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21. 愛のレッスン / Lessons in Love

⭐️バーバラ⭐️

ある夏の朝、まだ暗いうちのこと、私たちが滞在していた家に住んでいたジョーン(これは本名ではない)が、私たちの部屋に来て言った。
「起こしてしまって申し訳ないんだけど、あなたが必要なの。
私の娘のメアリ(本名ではない)がいま電話をかけてきて、すごく動揺しているのよ。
たったいまレイプされたようで。
彼女のアパートまで、一緒に行ってもらえないかしら。もう帰っているみたいだから」

私には即座に、自分が行くべきだとわかったので、手早く着替えながら、聖霊と会話し始めた。
「私は、真に助けとなるためだけにここに居る……」
ジョーンと私はメアリのところへと向かう前に手を握り合い、どのようなかたちであれ、聖霊の望むとおりに使ってもらえますように、と祈った。

私たちが到着すると、戸惑った様子で涙ぐんだメアリがドアを開けた。
私たちは3人で手を繋ぎ、聖霊に、私たちとともにいてください、そしてそれがどんなことであれ、私たちのそれぞれが学ぶべき愛のレッスンを、私たちに教えてください、と祈った。
それから数分間、静かに座っていた。

メアリが、何が起きたのかを語り始めた。
仕事で帰りがとても遅くなった彼女が、自宅のアパートの前の道で車を止めたとき、ひとりの男が近づいて来て、ある通りまでの道案内を必要としている、と身ぶりで示した。
彼女が車の窓を下げるやいなや、彼は車のドアロックを外し、ドアを開け、彼女をシートに押し倒して、車の中へと押し入ってきた。

メアリは奇跡講座の学習者で、どのような状況下でも善きことは知覚され得る、という概念に慣れ親しんでいた。
彼女は、防衛的な態度を最小限に抑えるようにと導かれている、と感じた。そしてまた、これは実に、起きていることを一変させるための機会なのだと自分の最善を尽くして悟ろうとするように、キリストの目を通して見るようにと、導かれているとも感じていた。

彼女は彼に、たった一言、「神はあなたを愛しています」とだけ言い……、そしてその後は、沈黙して、抵抗せずにいた。
その後、彼女が驚いたことに、彼は彼女に静かに礼を言って、歩み去ったのだった。
彼女はすぐさまアパートの部屋に入ると、母親に電話をかけた。

メアリにはほとんど何の怪我もなくて、会話するうちに私たちは、この男がメアリの身体を使っていた時間は、トータルで5分にも満たなかったようだ、と推測した。

私はメアリに、今日の彼女のワークブック・レッスンは何だったのかと尋ねた。
彼女の答えは、「このことについては、別の見方がある。」(訳注:文末参照)だった。
驚くほどぴったりのレッスンだ。

私たち全員で彼に祝福を送ることができる、というインスピレーションが私に「訪れ」、メアリもそれに賛成した。

「こんなふうに考えてみて」と私は促されるようにして言った。
「もしイエスが直接、あなたのところに来て、
『メアリ、ここに、何としても無条件の愛を受け取る経験を必要としているきょうだいがいる。
彼にその経験を与えるために、私にあなたを使わせてもらえないだろうか』
と言ったとしたら、あなたは何と答えたかしら?
明らかにあなたは、はい、と答えたのよね。
それに加えて、あなたは彼に、神が彼を愛していることを、言葉にして思い出させてあげたわね。
あなたの愛にあふれる反応によって起こる癒しが、どれほど遠くにまで届くものか、誰にもわからないわ。
癒しは、この男性の内側で起こるのみならず、彼の周りのすべてのひとに起こり得るのよ」

メアリがシャワーを浴びてローブを着るあいだ、ジョーンと私は静かに座っていた。
私たちには、警察に通報するように導かれているとは、感じられなかった。
実際のところ、私たちは全員、喜びと愛に満たされているのを感じていたのだ。世界が凶悪犯罪と呼ぶであろうものを、関わるすべてのひとにとっての愛のレッスンへと変容させる聖霊の能力を目の当たりにして。

それからメアリが、眠りたい、と言った。
部屋を出るとき、私たちは彼女を抱きしめ、パワフルな教師であってくれた彼女に感謝した。

帰宅の途についた車のなかで、ジョーンと私はとても静かだった。
私たちふたりともが、なんとも喜ばしい解放感と、実践的な愛の真実を学んでいることについてのイエスへの感謝を感じていた。

私たちが車を降りて家に入ったとき、ジョーンが言った。
「起きたことのすべてが驚きだわ。
メアリのところへ向かう最中、私は自分が、『被害者の母親』だと感じて怖がっていたのに、いまではその感覚は、喜びと平安に変わってしまったのだもの。
以前は私、何が起きようとも『愛こそが道である』という真実を実際に生きるだなんて、まったく想像もできなかったわ。
でも明らかにそれって、いつ何時も、どんな状況でも応用可能か、または真実ではないかのどちらかよね」

私は、これでこの一件は終わりだと思っていたのだけれど、もっと学ぶべきことがあったようだ。
私とロバートは、一年以上、金曜の夜の奇跡講座のグループに出席していた。
そこでは参加者たちが、それまでの1週間で、奇跡講座を実践し生きることによって経験した奇跡の話を、シェアするのが常だった。
メアリの一件は、確かにパワフルな物語ではあったが、私はその話はシェアしないようにしようと決めていた。
いつでも必ずいる、奇跡講座のグループってどんなものだろうと、ただ様子を見に来ただけの初めて参加する人びとを、怖がらせてしまうのではないかと考えたのだ。

その金曜の晩、ジョーンが私のほうを向き直って言った。「バーバラ、みんなにメアリのレイプの話をしてちょうだい」
思っていた通り、そこには、およそ25名の集まりのなかに、6、7人の初参加者がいた。
にも関わらず、私は話をするよう促されているのを感じた。
確かに、この物語はシェアされるべきだったのだ。
物語を語るうちに、私には「レイプ」というのはジャッジメントだとわかった。
この世界は、被害者と加害者が存在する、と信じている。
人びとが、いまいる場所にたまたま居合わせている、と信じている。
人生で起こってくる出来事に、高次の目的などない、と信じている。
私たちが発する言葉に、「愛してる」と「助けて」以外の意味を持つものがある、と信じているのだ。

私は、ジョーンとメアリと私が、ともに聖霊に導きを求めたこと、私たちは全員、聖霊が言うことならどんなことでも……警察に通報するなり、病院に行くなり、そのほか何であれ、言われたとおりにするつもりであったことを指摘した。

私は、聖霊が私を通して話そうとしていることを語るあいだ、部屋がどれほど静かであったか覚えている。私は、全員が「聞いて」くれますようにと、口には出さずに祈っていた。
それから数日のうちに、私は牧師からの電話を受けたのだが、彼はややきまり悪そうな様子だった。
彼が言うには、ある女性から、私がレイプを容認していた、と告げる電話があったが、彼としては、そんなことは本当のはずがないとわかっているので、事実確認のために電話してみたのだ、とのことだった。
明らかに、金曜日の集会の参加者全員が「聞いた」わけではなかった、ということだ。

後日、メアリが電話をくれ、他にも話したいことがあるの、と言った。

今回のこと以前にも彼女は、過去数年のあいだに二度、レイプされていたらしい。そして、そのそれぞれの事件の後の数ヶ月のあいだ、彼女は友人たちの関心を一身に集め、激しく怒ったり、落ち込んだり、ひどく興奮したりして、たくさんの人びとを気の毒がらせたという。
「今回はね、」と彼女は言った。「まるで違ったの」
彼女は、自分がこの新たな「恐ろしい」体験について友人たちに話し、ふたたび関心を集めたい、と思っていることに気づいたが、そのような誘惑から解放されることを意志し続けた。
メアリは、いまでは自分はレイプのレッスンを学び終えたと確信しており、すべてのひとが担ってくれた役割に、心から感謝していた。
彼女は、被害者を演じることと訣別して、愛にたどり着いたのだ。

「聖霊の教えのもとでは、すべての関係が愛を学ぶレッスンとなる。」 ACIM T-15.V.4.6

ありがとう、イエス。

訳注:「このことについては、別の見方がある。」
レッスン33の応用形。レッスン33の主題は、「世界について別の見方がある。」

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