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11. 自我と肉体 / Ego and the Body

奇跡講座のなかの数箇所において
イエスは自我にとっての肉体の使い道を
「魚を釣る餌」(訳注:T-24.Ⅶ.4)
だとか
「装身具を引っかけるための」もの
(訳注:T-20.Ⅱ.1 ※文末参照のこと)
などという表現で論じている。

⭐️バーバラ⭐️

私にはすぐに、彼が何のことを言っているのかがわかった……私は自分の身体を、注目を集めたり称賛を得たりするために使っている、ということだ。
身体をそのような目的で使うことは、自分自身の罪悪感や苦痛のもととなるだけではなく、兄弟を愛のないやり方で扱うことであるのだと、イエスはとても明確に説明している。

「それなら」と私は思案した。「私はどんな服を着るべきなのかしら?」
私は自分の服をすべて持ち出し、その一点一点について、ガイダンスを求めた。「これは、あなたが私に着させたいと思うものですか?」
多くの品について、私はほとんど尋ねる必要さえなかった。
私はそれらの品を、ほかの誰かの身体の目を私の身体へと、羨望や欲望や賞賛によって惹きつけるという、紛れもない意図をもって買ったり作ったりしていたのだから。
私は、たっぷり半分以上の服を手放すことになった。
手放してみると、私はほんとうにほっとして、穏やかな気持ちになった。
「さあ、それじゃ」と私は尋ねた。「あなたは私にどんなものを着てほしいですか?」
私が「聞いた」答えは(ガイダンスについては次章で取り上げる)、
「あなたの内側から輝き出る光を育むような色の、穏やかで、落ち着いていて、心地よく、シンプルな服を着なさい。
そして常に、こう尋ねるようになさい。
『これは、私の内なるキリストを表現しているだろうか』と」

何年にも渡って奇跡講座を学ぶうち、私は次第に、外見に関することについての興味を失っていった。
「完璧な体型」になれたらいいのにと願うこと、脚や脇のムダ毛の処理(私はアメリカの基準においては毛深いほうなのにも関わらず)、髪型を「きれいにセット」することや、流行のファッションに遅れないようにすること、アクセサリーをつけること(結婚指輪はつけている)、化粧をしたり香水をつけたりすること。
いまでもときどき、健康食品店(食べものについても後述するつもりだ)で手に入る、自然素材のデオドラントをつけることはあるが、実生活のなかで恐れや怒りを経験することが少なくなるほどに、不快な体臭も和らぐ、ということに気づいて感動している。

私がここできちんと明言しておきたいのは、以上のことは、私が、衣服についてガイドされたと感じることだ、という点だ。
けれども、あなたは、まったくちがうやり方で聖霊に使われるかもしれない。
どんなことについても、たったひとつのルールは、聖霊に導きを求め、聖霊が神の子全体を癒すのを助けるために、あなたにとっては何が適切なのかを教えてもらう、ということだ。
すべては、あなたと聖霊のあいだの問題なのだ……それ以外の誰でもなく。
私は、あなたが自分自身のためのガイダンスに従うようになるための、インスピレーションでありたい、と真摯に願っている。
必ずしも、(食べることや着るものなどについて)形の上で私がしていることを真似るのではなく、私の生き方の本質を真似してほしい。
……それは、聖霊のガイダンスに従う、ということだ。

(あなたを愛してるわ。
こうしたすべてのことについて、あなたとわかち合えるのが、ほんとうにうれしい!
目を閉じて、いますぐ大きな深呼吸を5回して、私の愛を感じてね。)

※訳注……「装身具を引っかけるための」もの
原文においては、a thing “to hang trinkets on”。
文中に A Course in Miracles からの引用がある場合、その訳はなるべく、中央アート出版社『奇跡講座』に準ずるようにしている。
この部分における ACIM原文の、
Look upon all the trinkets made to hang upon the body, ...(T-20.Ⅱ.1)
に対し『奇跡講座』では、 hang を「飾る」と意訳している。
ただ通常、「壁に絵をかける(=飾る)」という使い方はしても、着飾るという文脈でhangを使うことはないと思われるので、ここではバーバラの言わんとすることをより正確に伝えるため、「引っかける」と直訳した。

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