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【NARAKA:BLADEPOINT】劉煉実装直前イベ「百錬の金」テキストまとめ

今回は近接バトロワ「NARAKA:BLADEPOINT」の話題。

2024年4月25日~5月9日まで新キャラ実装直前恒例の新テキスト解放イベントが開催されています。今回は事前に予告されていた通り、「劉煉」の小説です。

このイベントのテキストは何故か後から見返せないので、自分用に残しておきます。


◇1.晩春

潤州の晩春の夜よく雨が降る。雨が糸のように細く、シリシリという音の中で眠るのが至福のひと時。それでも、苦しんで眠ることを拒む人がいる。
劉家の演武場の傍らで、幼き劉煉は傘もささず、ただ雨に打たれながら、壇上で父親の機敏な身のこなしを見て、小さな手足で不器用ながらも真似をした。
最近家主の劉錚はますます武術に没頭し、己の体を顧みなくなってきた。劉夫人はどう説得しても効かず、執事や使用人に頼っても、主である夫は聞く耳を持たないことはわかっていた。やむを得ず、幼い劉煉に父親を呼び戻すように頼むしかなかったが、思いもよらぬことに息子も行ったきりだった。
その小さな劉煉はただ今、父親に夢中だ。壇上の劉錚は何百回何千回も同じ技を繰り返し、身のこなしが稲妻の如く。真気は精錬され、すでに化境に入っている。数々の金色の真気が雨の幕を切り裂く。まばゆい光が幼い劉煉の心を打つ。劉煉はすっかり母親の頼みを忘れたが、突然、先生が授業で教えた詩が脳裏に浮かんだ。
「切るが如く磋くが如く、琢くが如く磨くが如し。」

最後の文章は「論語」から。「切磋琢磨」のこと。
文章的には「切るが如く、磋(みが)くが如く、琢(みが)くが如く、磨くが如し」と読んでほしいのかな?


◇2.真夏

「煩わしいぞ!」劉煉はふと身を振り返り、彼の袖を引こうとする滄海の手を振り払った。「ここで私の邪魔する暇があるなら、武術の修行に行ったらどうだ」
滄海は口を尖らせて納得しない様子だ。母親と里帰りする機会は少なくて、夏の潤州は確かに楽しい。そうでないと、彼だってこのいつも服を汚すのを恐れる坊っちゃんと遊びたくはなかった。「あのさ、少し遊んでも修行の支障にならないぜ。」
その言葉に劉煉は驚いた。遊びが修行の支障にならないだと? 彼は滄海のなにも気にしない目をじっと見つめ、自分の呼吸がふと重くて熱くなってきて、頬が燃えるような感じがした。日々切磋琢磨をする自分は、何故大量の時間を無駄にしていた滄海に劣るのだ。
「滄海、将来私に負けても、後悔するな!」いかにも納得できなかった劉煉は、ただ悪態を吐いて、去っていくしかなかった。
「このこわっぱめ……」本気で怒っているような劉煉を見て、滄海もしつこく付きうことをやめ、ただその場に立って叫んだ。「呼び捨てすんじゃない、滄海さんって呼べ!」

ちなみに滄海との関わりは百鍊バトルパス追加スキンにいろいろテキストが追加されています。


◇3.金秋

「劉くん、騙されるなよ!」友人が本当にお金を出そうとするのを見て、ハーディは急いで止めた。「こういう手口は永州で何度も見たことがあるよ。」
「彼が切って見せたのは全部厳選されたいい玉材で、かごの中に残っているのはすべて石ころだ」暖かい秋晴れの日、そもそも賑やかな潤州市場に、異国のアクセントが響くと、好奇心に駆られて、人々が一斉に集まった。ハーディは臆せずに言葉を続け、詐欺の手口を暴く。「玉材に価値があるのは中に玉があるからだ。石をどう切っても、中には石しかない。」
その言葉を聞いて少し不快に感じた劉煉だが、友人の官話のレベルをよく知っているので、特に別の意味はないと理解した。
「切らないと、石か玉かを知る由もなかろう。」劉煉は頑石を撫で回し、何を考えているのか表情では分からなかった。「構わん。これを買う。」
手を上げ、刀を振り下ろすと、華やかな光が露わになった。
皆が驚きの声を上げる中、ハーディは、普段冷ややかで何事にも動じない友人が笑顔を見せたことに驚いた。

※官話:かんわ。「公用語」的な意味らしい
※頑石:がんせき。「ただの石」的な意味らしい


◇4.真冬

冬の夜は寂しく静かである。故に、茶碗が割れる音がより凄まじく響き渡った。
「劉煉様! ご無事でしょうか?」杏子は慌てて立ち上がり、部屋に飛び込んだ。劉煉に怪我はないかを確認した後、新たにお茶注いでくれた。「なにかありましたか?」
「問題ない、下がっていい。」劉煉は茶碗を受け取り、手がひどく震えていた。問題ないと言っても、顔色は紙のように蒼白で、おでこには細かい汗が滲んでいた。身を以て磁と化す力を習得して以来、この症状はますます頻繁に発作するようになった。体中の経絡がまるで金属の破片が真気の流れと共に動いているようで、激痛が走る。
「切るが如く琢くが如く、琢くが如く磨くが如し。」劉煉はつぶやいた。病で精神がぼんやりしている中、彼はよく子供のときに初めて学んだ詩を思い出す。後に家を出て四方を遊歴した時、彼は職人が玉を彫っているのを目の当たりにしたことがある。玉砂を混ぜた水で慎重に磨かれていた。磨きや鍛錬を経ずして、果たしてそれが石か玉かを知ることはできるだろうか。そして、どのようにして「器」になれるだろうか。
器になれるのなら、強くなれるのなら、幾多の痛みも耐えられる。ただ、この体に残された時間はもう長くない。
そろそろ、あの島に行く時が来たのかもしれない!


まとめは以上です。ここまでご覧頂きありがとうございました。