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世界の中にありながら、世界に属さない。

というタイトルの本が大好きだ。

セラピストであり、トランスパーソナル心理学やインテグラル理論を日本に紹介した吉福伸逸さんの著作。

吉福さんが亡くなる3年前に行ったレクチャーの内容をまとめた本なのだけど、私にとってこの本は、仕事をするうえでの「テキスト」だ。

何がいいって、タイトルがいい。

「世界の中にありながら世界に属さない」


スーフィーの言葉らしいのだけど、この言葉について、本の中ではこんなふうに語られている。

社会の中で一般の人たちの中にいながらしっかり適応している人が、それを超えたいという妄想を持っていることがすごく多いんですね。
そういった人に関して、僕は嫌悪感を感じて嫌になるんですよ。
嫌になって、「まあ、夢の中に住みたきゃどうぞ住んでてください」と思うんだけど、われわれの基本は、どんなことをしても世界内存在であることは否定できないんですね。

ヒマラヤの洞窟の中に住んでいようが、われわれは世界内存在なんですね。だから、スーフィーの言葉でいわれる「世界の中にありながら世界に属さない」というふうなところに行ってほしいんです。
超えるんじゃないんですよ、世界にいながら属さないんです。
属さないっていうことは縛られないってことなんです。
社会からどう思われようと、世間からどう思われようと、そんなことは関係ないんですよ。

『世界の中にありながら世界に属さない』P148より

世の中には、たくさんの非常識「常識」の顔をしての存在している。

前半人生で知らず知らずのうちに、自分の内側に取り込んだ「常識」を一つひとつ検証していく。それが、大人になってからの楽しみなのかもしれない。
私も、誰かと対話をしたり、文章を書いたりしながら「まだまだ気づかないうちに縛られている常識があるのかー」と驚かされている。

とはいえ「常識」が悪いわけじゃない。

それがあったおかげで、なんとかここまで孤立することなく、社会の一員としてやってこられたのだろう。合理的ではない価値観・常識も、正当性のない思い込みも、かつて私を助けてくれたもの。
だから、悪者扱いしたら「恩知らず」だと思うのだ。

ただ、もう不必要になっただけなのだ。
衣替えをするように、不必要になった価値観・常識をしまいなおす。
そんなことを繰り返しながら、私たちは生きているのだろう。

* * *

さて、今月は誕生日があった。
6月9日で42歳になった。

そして、気づけばあっという間に前職の退職から1年が経った。

ちょうど1年前のnoteでは「次のこと」を色々と意気込んで書いたけれど、まだまだ道半ば。

行動はしている。
ただ、このひとつひとつの「点」のような出来事が、いつか振り返った時に「線」として繋がるのだろうか……そんな不確かさのなかを進み続ける日々だ。
ドキドキとワクワクを同時に抱えながら、成長痛に悶えたり、新幹線の車窓から眺めるような急がしく変わる景色に、時々酔いそうになりながら。

だけど、そんな目まぐるしい現実のなかにいる時こそ、この言葉を思い出してみる。

「世界の中にありながら世界に属さない」

吉福伸逸氏は、著書のなかでこう語る。

「大丈夫、破綻しなさいよ。破綻してしまえば、必ず何か浮上してきますから、恐れずに破綻に向かってどんどん進みなさい」

『世界の中にありながら世界に属さない』P117より

そう、破綻してしまえばいいのだ。

わきおこる全ての出来事が、自分自身を解放するためのチャンスを与えてくれているとしたら? 
もっと自由になるためのチャンスが、いつも目の前にあるのだとしたら?

破綻するくらいのつもりでやった時、はじめて起きるべきことが起きて、世界に縛られることなく「自分」でいることができるのではないだろうか。

なんてことをツラツラと思う6月最終日。
今月は「さすがに破綻するんじゃないか」と思うくらいに遊び、働き、学んだ。

だけど、意外と大丈夫だ。
まだまだ破綻が足りないのだろうか。

であれば、7月はもっと破綻していこう。
(注:破壊じゃないよ、破綻だよ)

というわけで、2023年上半期おつかれさまでした。
下半期もよろしくお願いします。

6月初旬、初めて訪れた金峯山寺にて。
翌日に訪れた泥河、大峯山(女人結界門まで)、天河も含めて素晴らしかったです。

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