more and more からの脱却

今までわかってはいたけど
ぼんやりしていた
なぜ人はもっともっと、と
私欲に満ちるのか
そうでないと言っていても
誰しもわずかながら無意識的に
保有している
more and more
という欲求

ここからの脱却方法が
クリアになった氣付きの瞬間
幸せの再現性を
外部から
内部の「わたし」の魂、こころと
直に繋げること


わたしが幸せだった日、
またはサイコーだった時期を思い出す
仕事が順調だった時期?
リッチなホテルに泊まった日?
給料が入った日、
友達と笑い合ってた日、
家族が生まれた日。
色々とあると思うけど
実は、その「風景」の中に1つだけ思い出せていない
「要素」がある

それは「それを味わっているわたし」。


その欠落のせいで
わたしたちは「幸せ」を再現できずにいる
「幸せだった日」を思いだした時
きっと
「外界」を思い出したはず


リッチなホテルで見た風景
友達と飲んだお酒の味
ワイワイと騒いだ音楽


それら全ては
「外界刺激」
であるということ
そして人は
もう一度その
「幸せ(外界刺激)」
を再現しようとする


「リッチなホテルにさえ泊まれたら」
「周囲の人間関係さえ良ければ」
「お金さえあれば」


そして、その努力は
必ず失敗する


なぜなら
「外界刺激」は
わたしたちの出力程度では動かせないから。


ワット数が足りない
(ボルトもアンペアも)

わたしたちは人間関係を変えられない
他人の気持ちを変えられない
嫌な上司を無理やり
「転勤」させることも出来ない
世界中のお金を手にれることもできない


わたしたちに唯一出来ることは
「外界刺激」の変更ではなく
「内部許容」の設定変更

つまり
リッチなホテルに泊まった「わたし」は、
あの日、あの場所で、
どう感じていたか
友達と騒いでいた幸せなあの夜
「わたし」はどう感じていたか
この「わたし」が感じていたことなら
再現が可能である
微弱な電流で。


そしてそこには
「ありがとう」
という言葉が必ず介在する。
ここがミソだとおもう


もう一度、思い出してみてみる
わたしが幸せだった瞬間
あなたが順調で、幸せだった日
その日が最高であれば、最高であるほど
その日のわたしの口からは、
ありがとう
が出ていたはず
口に出していないとしても
「ありがたい」
と心で思ったはず


最高であれば、最高である日ほど
感じていたのは
温かなこころ
喜び
それが真の幸せの要素だったということ
これが
「内部許容」
これは
「幸せ」ともいう
「内部許容」は外部からやってこない
ということに氣づいた


「内部許容」は
内部から生み出されるもの


「外部刺激」なんて
絶対に変えられないこの世界で。
「内部許容」を鍛えるには
瞑想、ヨガ、内省の繰り返し
ライフワークとして
毎日の積み重ねであったり
神社に行くことで
「内部許容」の設定が変更ができるとのこと
そこには
「整数倍の周波数」
が関係しているそうで

わたしたちは
外界から入ってきた「電磁刺激」が
網膜を経て、鼓膜を経て
微弱な電流となり脳に結像した時に
どうしてそれを「受け取れた」のかを考えること
物理上、それは明らかに
「共振・共鳴」したからで(整数倍で)

もう一度再現しようと
旅行にいこうとするのではなく
外部からインプットされた
「情報(振動)」に対して
脳内のニューロンが
「共振・共鳴」したからこそ
受け取れたのであるから
「共振・共鳴」の起こし方は
ありがとう
ありがとう
ありがとう
魂からの響きを重ねること

どこにいても
だれといても
どんな状況にいても
再現できる
幸せの法則

コロナでどこにもいけない
楽しいことが全然ない
くすぶってるなと思ったら
まずこのステップを


①思い出す。
②考える。
③見つける。
④内部に再現性を求める。



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