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誰かの願い #23
ずーっと「副委員長」だった。
やりたいわけじゃなかった。
いちおう、(自他)推薦→投票じゃなかったかなぁ。
でも、田舎で、、成り手がなくて。
ただ、それだけだ。
自薦などしたことがない。
人望があったわけじゃない。
どっちかと言ったら「先生の犬」だった。
親も先生もそう居てくれたら、ラクだったからだろう。
いい子の扱いは、大人がラクだ。
副委員長の前は、
先生のお手伝いしましょうね、と母親に言われて、自分から先生に御用聞きに行くように言われて、学校から帰る前に担任に、お手伝いを申し出ていた。
小学校1年生の頃からずーっとだったなー。
母の望みはなんだったんだろうな。
このことを父は知らない。
常に自分の事で、いっぱいいっぱいの人だった。
最初はそれでもうまく回っていた。
ともだちなんていない。
「副委員長」は、仲間に入れてもらえなかった。
常に審判役だった。
副委員長のこともあり、大人たちには、いいように使われた。学校行事に雑事はつきものだ。
だんだんと
親や先生の言うことばかり聞いていて、
自分はやりたくないのに、、と。なった。
自分の好きなものや、やりたいことがなかった。いや、あったかもしれないが、人前で話せなかった。
口にすることで、気を遣われるのが、イヤだった。これは、今もだ。
自分より他人を優先し続けた結果だろうな。
今もはっきりした答えをもたないのが、
自分を大切にする=わがまま
だろう。
だ。
宇多田ヒカルが
自分の幸せ願うこと わがままではないでしょ
と歌っていて、衝撃だった。
え、違うの?だった。
だが、こうも歌っている。
誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない。
熱血ドラマでよく聞く
自分を大切にできないヤツが、人のことを大切にできるわけがないだろう!
が「陳腐」に聞こえた。
いつから、世界は「自分ファースト」になったのか。
そして、いつから、それが「よいこと」になったのか。
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