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お誕生日おめでとう

昨日は新月🌑

太陽と一直線に重なることで、
真っ暗闇になった月をイメージしながら眼を閉じていた。

「もしかして、わたしの旦那さんはかなり自己実現してるひとなんじゃないか?」

唐突に出てきた言葉。
それから走馬灯のように想い出がカラダを巡る。

★欲しいと思ったもの、やりたいと思ったものは手にいれる→自分はお金が無くてもひとから得ることに抵抗がない
★人からお小遣いや物をよくもらう
★好きなものを好きなだけ食べる

わたしはそんな旦那さんを常に「恥ずかしい」「情けない」と思っていた。
40歳を越えても他人や親からお小遣いもらったりなんて、そんなの自立していない!

そう思っていた。ずっと。

しかし…

この日はお金や物を渡す側の状況が見えたのだ。

「いつもありがとう」
「あなたが喜んでくれると嬉しい」

ああ。そうか。と思った。

彼はそんな風に周りに愛されているから受け取れるのかもしれない。

「悦びは連鎖する」

受け取ることで相手は悦ぶ。
受け取りそれを次の誰かに差し出して次の人が悦び…
そうして悦びが連鎖のように繋がる。

この図式をわたしはずっと否定していたのかもしれない。

だから旦那さんが持ち合わせていた、
自己肯定感や自己実現の姿に気付けなかった。

そう思ったとき、

わたしは幼少期に、
とある価値観を強固に作り上げてしまった気がする。

「この世界はお金、お酒、性で欲が満たされればそれで良いんだ。世の中なんてそんなものだ」

まあまあ、色々な経験から
こんなことを、
小学校低学年頃に思ったのだ。

日常で起こることすべて
「世の中なんてそんなものだ」と、
目の前の現実を他人事のように見ていた。

なにかにつけ、
そう言って絶望していた。

(いま文字にして改めて驚く。わたしは子どもの頃、日々に絶望していたのか)

夜中になり自分だけの時間が訪れると、
朝になることが本当に恐かった。

また新しい1日がはじまることが恐怖だった。

明日は、一体、どんなことが待ち受けているんだ。


いま思うと、
すべてに絶望しているからそう思うんだろう。

早く大人になって自立すれば、
この生活から抜け出せると思った。

でも変わらなかった。
相変わらず日々は苦痛で不安しかない。

当たり前だ。
私自身の価値観が変わらなければ、
ずっと世界は「世の中なんてそんなものだ」でしかない。

そんな世界のなかで、

ふと見つけたわけだ。

「もしかして、わたしの旦那さんはかなり自己実現してるひとなんじゃないか?」

驚いた。

欲しいものがこんな身近にあったのに、
まったく気が付かなかった。
というより、受け入れられなかった。

彼の感覚は、
わたしの価値観のなかに無かった感覚なのだから。

でも、その旦那さんを選んだのは、わたし。

絶望のなかにいても、
ちゃんと見つけたじゃないか。

選べるということは、
わたしのなかにも彼のような部分があるのかもしれない。

それを認めてこなかったのは、わたし。

昨日は新月。

新月は潜在意識と繋がりやすいと聞いた。
抑圧してきたものが浮上しやすいらしい。

それを、一旦、受け入れる。

いらない思い込みは書き換えられる。

わたしは最高に楽しんでいる人生を送りました!
おめでとう!

8/25辺りにエネルギーが変わる?らしい?

8/24はわたしの誕生日。

新しい人生を生きよう。

最高に楽しい人生を歩くため生まれてきました。
おめでとう!
(そして画像のパンケーキを食べるのでした❤️)

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