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阿東が生んだ文学者たち~氏原大作交流館訪問記

山口市街から木戸山を越え、国道9号線をドライブしていると、「自然のまんま屋」を過ぎたあたりで、篠目川を隔てて1軒の古民家が見え、黄色いのぼり旗が立っていることがあります。


きれいに手入れされた古民家「氏原大作交流館」 (photo by Ito Satomi Photography)

故郷を愛した児童文学者

氏原大作(本名・原阜〈はら・とおる〉1905~1956年)は、阿東篠目で生まれ、生涯を故郷で過ごしました。


生家から見えるふるさとの景色 (photo by Ito Satomi Photography)

代表作は「幼き者の旗」。沢村貞子の主演で東宝から映画化され、浪曲のレコードも発売されました。大作は戦地から「主婦の友社」の懸賞小説に応募。600編の応募の中から選ばれ、菊池寛ら審査員に高く評価されました。妻のトヨコさんが戦地に送った手紙がモチーフとなっており、登場人物の名前は、実際の家族の名前が使われています。

山口市出身の詩人・郷土文学研究家の和田健さんは、「大作の作品の大半は、私小説とは違った家族小説といってもよい」と書いています。5歳で母親と離れて暮らすことになった大作少年。優しい文章や家族愛を扱った物語が多いことは、生い立ちが関係しているのでしょう。

生前最後の長編少年小説となった「花の木鉄道」は、子どものころ、近くで行われていた国鉄山口線の建設工事の現場へ遊びに行った記憶がもとになったとされています。


長編小説「花の木鉄道」 (photo by Ito Satomi Photography)

このほか、教科書に採用された作品もあり、小学校の代用教員を務めていた大作は、学校の校歌の作詞も手がけました。徳佐小学校、大殿中学校、地福中学校(現阿東中学校)、そして母校でもある篠目小学校(現・さくら小学校)。

中でも、地福中と篠目小の校歌は、大作の教え子であり、1964年の東京五輪開会式で指揮者を務めた作曲家、片山正見が作曲しています。

生家を交流館に

そんな大作の生家は、阿東篠目文殊にあり、ご親族の方が定期的に通って管理されています。この築100年の古民家を、氏原大作平成顕彰会が「氏原大作交流館」として活用しています。

館内には大作の著作や生い立ちを紹介するパネルなど、貴重な資料を展示しています。会議などでも利用でき、週2回は地元のインストラクターさんによるヨガ教室が開かれています。


大作の人となりを紹介する大きなパネル (photo by Ito Satomi Photography)


貴重な資料が収められた展示ケース (photo by Ito Satomi Photography)

代表の伊藤繁樹さんによると、顕彰会ではこれまでに、「氏原大作を語る会」を5回開催。「幼き者の旗」を上映したり、大作の思い出を語り合ったりする場を設けてきました。

実は、生家を解体するという話もありましたが、「家もなくなったら思い出す人もいなくなってしまう」との思いから、伊藤さんが活用方法を模索。交流館として再スタートを切ることになりました。


読書スペース。伊藤さんが集めた本もある。 (photo by Ito Satomi Photography)

お酒が好きだった大作にちなみ、顕彰会では日本酒「氏原大作」をつくり、地元の「自然のまんま屋」で販売しています。お酒にまつわるエピソードも多く伝えられていて、伝記によると、亡くなる前々日も、仲間たちとお酒を酌み交わしていたそうです。

地元の小中学校の校歌も手掛けた大作ですが、今は篠目小、地福中も統廃合でなくなってしまい、地元でも校歌の存在を知らない人が増えているのが実情。交流館を通じて多くの人に郷土の作家、氏原大作を身近に感じてもらいたいですね。

和田健は「氏原大作が生きていれば、いまの山河・人心の変貌をどう嘆くことであろう」とも書いています。大作が愛した故郷の風景を、私たちは今一度見つめなおし、価値を伝えていきたいものです。

展示を見たい方、交流館で何かしてみたい方は、顕彰会の伊藤さん(090‐9489‐8444)までご相談ください。

トップ写真を含めて写真は Ito Satomi Photographyさんが撮影してくれました。ありがとうございました。

参考文献
和田健(1969年)「氏原大作伝」氏原大作顕彰会
やまぐち文学回廊構想推進協議会(2013)「やまぐちの文学者たち」



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