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八木海莉さんに夢を預けさせてほしい


 イヤホンから聴こえる声には柔らかく透き通った印象がありました。同時に凛とした軸を感じさせ、柔らかさが力の弱さと同義ではありません。その柔らかさはむしろ、しゃかりきに気張りはしないという、一種の気怠さからもたらされているようにも思えます。

 独特の癖を持った歌い方と、直感的にはわかりにくいものの不思議と印象に残る歌詞が脳裏に染み渡ります。歌唱すると共に作詞作曲も手掛けた八木海莉さんの世界観に包まれるような感覚です。

 メジャーデビューから既にシングルをひとつ発売していますが、新たにリリースされたばかりのEPに収録されている『お茶でも飲んで』『SELF HELP』『Sugar morning』『海が乾く頃』というそれぞれに色彩の違う曲たちを聴いていると、歌による表現に憧れ続けてきた八木海莉さんの過程がひとつの結実を迎えたように思えました。彼女がインタビューなどでEPをいい作品になったと自賛するのは、販促を考えれば当然のことなのですが、それだけではないと言えそうです。

 彼女は歌うことに憧れてきました。そのために人生を動かしてきました。ただ声が良いとか歌の技術があるとか、そういうことではなくて、表現に対する信頼に足るだけの憧れや思索が作品を支えています。

 四月二十七日、八木海莉さんのファーストEPとなる『水気を謳う』が発売されました。上記の四曲に『お茶でも飲んで』のアレンジバージョンを加え、さらに通常版にはボカロPのふるーり氏が作曲した『ダダリラ』も収録されています。過去に発売されてきた彼女の歌と異なり、タイアップが前提とならない純粋に彼女自身が表現するための楽曲たちです。

 少し不思議に思うのはEPのタイトルです。

《EP全体や曲ひとつひとつを見た時に、“水分”が多いと思ったんです》

 由来について本人はこう語っています。確かに『お茶でも飲んで』や『海が乾く頃』は曲名に“水分”が含まれています。『Sugar morning』も曲中には出てこないものの、朝に飲むコーヒーが自然と連想されます。

 しかし、EP発売前に先行配信が行われ、ミュージックビデオが公開されるなど、収録曲の中でも特に強くプッシュされていた『SELF HELP』はそういった“水分”が直接的に見えてきません。最初から水をテーマに四曲を作ったわけではないのだから、一曲くらいそういうものがあっても良いのは間違いありません。けれども彼女の表現を「信頼」するとき、そこに込められた意図を必要以上に深読みしてみたくなります。表現者に対して凡人がしばしばそうしてしまうように。

 水気という単語を目にしたとき、ぼくは「水気を切る」という言葉を想起しました。何かを水で洗ったら「水気を切る」作業が必要です。水で洗い流せば汚れを落とす目的の大半は達成されますが、水分が残っているとそれが新たな汚れに繋がります。ただ「洗う」ことと「洗練」の違いは、「水気を切る」過程にあると言うことができます。

 ところがEPでは、水気を切るのではなく謳います。歌う、唄う、詠う。いずれでもなく謳うのです。この文字から連想されるのは「謳歌」という褒め讃えるニュアンスです。水気が残るものは「洗練」され得ません。それでも表現者として自らの歌を「洗練」させようとするはずの八木海莉さんは、水気を讃えようとします。

 彼女が強く憧れ、そして到達した歌という表現にとって、水気はいかなる意味を持つでしょうか。EPの収録曲を紐解きながら考えてみたいと思います。





M1『お茶でも飲んで』

口数多くなればなるほど
鮮明になるから厄介ね ねえ厄介ね
ウーロン差し出す お茶でも飲んで

 メジャーデビュー前からYouTubeで発表されていた楽曲であり、ミュージックビデオも公開されています。

 ミュージックビデオのサムネイルではふたりの八木海莉さんが対峙していますが、これは曲を作る際に彼女がイメージしていた通りの映像だと言います。

《『お茶でも飲んで』は曲作りを始めた頃に作った曲なんです。上京してきて一年は東京に慣れようと思って過ごしてきましたが、高校二年生になって焦り始めていたんですね。その時の気持ちを歌ったのがこの曲です》

 焦る自分に向き合う自分が、お茶でも飲んで落ち着けと烏龍茶を差し出す――そういう曲というわけです。

 差し出すお茶が緑茶でも紅茶でもなく烏龍茶であることに注目してみたい気がします。烏龍茶は茶葉の発酵途中で加熱して発酵を止めたものです。茶葉を発酵させない緑茶や完全に発酵させる紅茶との違いはそこにあります。

 完全にまっさらな状態ではなく、かといって熟しきってもいない。曲を作った時点ではまっさらだったと言えますが、現時点での八木海莉さんのイメージに重なるし、このタイミングで収録されたことにひとつの意味を垣間見たくなります。

 「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」というネットミームと化した『月刊少女野崎くん』のセリフが聞こえてきそうですが、作り手の元を離れた途端に意図とは別に意味を纏うのもまた表現の特性でしょう。

 ウーロンを差し出すこの曲が、制作より期間を経たこのタイミングでファーストEPに収録されたのは必定でした。表現者として大きな一歩を踏み出しながら、まだ洗練されていないこのタイミングでなければならなかったのです。




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 八木海莉さんが上京して一年が経過した頃の焦る気持ちを表現したのが『お茶でも飲んで』だと言います。

 上京前の彼女は、Perfumeを輩出したアクターズスクール広島で歌やダンスや演技といった表現を学びました。

 在籍当時の中学生だった頃のインタビューでは、将来の夢を次のように話しています。

《女優さんになることです。広瀬すずさんに憧れています》

 しかしその後に選択したのは歌い手になることでした。EPの発売に際して週刊少年ジャンプ誌上に掲載されたインタビューでは、その理由の一端が語られます。

《音楽の道を選んだのも、一人でできるという点は大きかったと思います。例えば演技の多くは誰かがいて成立するけど、歌は一人でも歌えるから》

 他者の存在を必要としない表現として歌を選択した彼女は、高校入学と同時に親元を離れ、地元広島から東京へ移り住みました。東京に行ったから何者かになれる保証があるわけではありません。しかし、何者かになって自分の表現をしたいという欲求に抗うことはできませんでした。

 学んだ表現の素地があるにせよ、憧れ以外に自身を支えるものが無いような状態で、八木海莉さんの人生は大きく動き始めました。





M2『SELF HELP』

これが今の幸せ
納得させようと必死さ
おっかしいね もったないね
よね?ええそう、そうさ
妙なトキメキよ、永遠なれ

 先述の通り、EPの顔のような扱いを受けている一曲です。週刊少年ジャンプ掲載のインタビューでも、八木海莉さん自身が聴いてほしい一曲に挙げています。そして、収録曲の中では最も水気から遠い印象があります。

 本人はこの曲の背景を次のように語ります。

《今の時代、何もしなくても生きてはいけるけど、何かしら取り組まなくてはならない、みたいな風潮があるじゃないですか》

 何かをしたいからするのではなく、しなければならないからする。そんな自分に納得しているか、自問自答の曲です。

 納得させようと必死と歌うとき、その腹の内には納得しきれない自分がいます。けれども、曲の途中で心境は変化を見せます。

これが今よ 掲げろ
納得しなくたって良いってさ!

 何かに納得するためには根拠が必要です。それは大抵他者による承認であり、自分ではコントロールできない厄介なものです。

 一人で成立する表現に憧れた八木海莉さんは、自分を納得させようと必死な人々へ向けて納得しなくたって良いと歌います。

 高校入学と同時に単身上京した彼女の決断に対し、賛成の声ばかりではなかったでしょう。どれほど憧れたって表現の道で成功する保証はどこにもないし、そもそも憧れとは他者からほとんど理解されないものです。

 生きるために納得を優先させるならば、理解されない憧れは捨てざるをえません。多くの人はそうやって生きています。認められることより憧れを優先する者は、奇妙な変人と称されます。

 しかし八木海莉さんは胸の内のトキメキが妙なものであっても、それを「永遠なれ」と歌いました。





M3『Sugar morning』

機能しない昨日を招いたせいで
意味のない夢で怯えてしまう
今じゃないなんて知ってるけど
膨れた顔 また布団かぶるの

 YouTubeで配信されている「ぐうたらじお」によると、この曲は嫌なことがあった次の日の朝を歌っていると言います。

 そうした背景も含めてこの曲を聴くと、憂鬱な気分を抱えた朝に砂糖を入れたコーヒーの甘さを感じながら、どうにか新しい一日を生きようとするような人の姿が目に浮かんできます。

 ここにあるのは過去を引きずってしまう人間の弱さです。そして曲の中で弱さが否定されることはありません。どこか無気力なようでもあり肩肘張らない柔らかさを持った八木海莉さんの歌声が、洗練されない者の落ち込みに「そんな日もあるよ」と言うように寄り添います。

 ここにひとつの『水気を謳う』彼女が顕現するように思えるのです。





 上京した八木海莉さんは、YouTubeにギターの弾き語り動画を上げるようになりました。幅広い選曲を歌いこなす豊かな表現力で徐々に注目を浴びると、高校卒業を迎えた昨年に大きな転機が訪れます。テレビアニメ『Vivy ーFluorite Eye's Songー』で主人公のヴィヴィとして歌唱を務めることになったのです。このアニメは歌姫AIとして造られたヴィヴィが、百年後の未来で起こる人間とAIの戦争を回避するために奔走するSFヒューマンドラマでした。

 アニメのあらすじを読む限りではヴィヴィが歌姫である蓋然性はありません。またもキャラクターに歌わせてライブコンテンツとして稼ぐアニメかと、食傷に他ならない気分を覚えても無理ないことです。

 しかし『Vivy ーFluorite Eye's Songー』は、歌やAIといった現代のアニメ制作におけるトレンドとでも言うべき要素を存分に活用し、この時代を代表する一作と言っても過言ではないほどであるとぼくの目には映りました。

 多彩なキャラクターはいずれも魅力的に設定され、キャストの演技がそれを引き立てます。映像演出がハイレベルで、視覚によって興味を惹起し続けるだけの引力があります。何より歌がオマケではなく、それを中心に据えてSFの壮大なドラマによって盛り立てるという構成のシナリオが最大の魅力であったように思います。

 歌姫AIのヴィヴィは心を込めて歌うことが存在の使命です。けれども人間にすら曖昧な心をAIのヴィヴィは定義できません。心を込めて歌うとはどういうことか。物語を通し、ヴィヴィはその問いへの思索を続けます。

 やがてヴィヴィが到達する答えがもたらすカタルシスにこの作品の大きな魅力があります。それは劇中で披露された楽曲の数々が素晴らしいものであったからこそ発揮されたものでもあります。

 八木海莉さんはヴィヴィとして多くの楽曲を歌いました。そのどれもが物語に寄り添って作品の色彩をより美しいものとしています。是非作品を観ることで実感してもらいたい部分ですが、ここでひとつ選んで挙げるならばオープニング曲の『Sing My Pleasure』でしょう。

 アニソンらしく大きな盛り上がりを持ったメロディと、作品の象徴的な要素をいくつも拾い上げるリリック。誰かに心を込めた歌を届けようとするヴィヴィの《Pleasure》が真っすぐに表現された一曲です。

 曲を手掛けた神前暁さんが《ヴィヴィはAIなので、息継ぎがなしでもいけるだろう》と考えたこともあり難しい曲になりましたが、八木海莉さんはそれを見事に歌い上げてみせました。

 憧れだけを持ちながらまだ何者でもなかった八木海莉さんが、心を込めて歌う使命を持ちながらその方法を持たないヴィヴィの歌声となる。高い完成度を誇ったアニメと楽曲の中で、そこに大きく貢献した八木海莉さんは飛躍的に注目を集めました。その勢いで昨年十二月には『魔法科高校の劣等生 追憶編』の主題歌となった『Ripe Aster』でメジャーデビューを果たします。





M4『海が乾く頃』

会って話そうよ
海が乾く頃
会って話そうよ
時間を忘れてしまうくらいに
会って話そうよ
会って話したいよ
会って話そうよ
涙に呑まれても

 この曲は幼少期に祖父が亡くなった際に七日間書き続けた手紙が元になっていると言います。

《祖父はお好み焼き店を経営していたんですけど、レジのレシートロールが余っていたので、レシートに手紙を書きました》

 このエピソードにぼくは舞城王太郎先生の『好き好き大好き超愛してる。』の1シーンを思い出します。

 作中で主人公は恋人だった女性を病気で亡くしていますが、誕生日の前日にその女性から手紙が届きます。生前に百通の手紙を用意し、それが毎年主人公の元に届くよう手配していたのです。

 作中で届いたのは百通のうち二通目の手紙でした。まだ女性が生きているうちに送られた一通目は探しても見つかりません。果たしてその手紙に何が書かれていたのか、主人公はあれこれ考えを巡らせますが、その答えを知る女性はもうこの世にいません。

 大切な誰かの死と手紙。これらの要素がふたつのエピソードを結びつけますが、逆に言えばそれ以外の結びつきはありません。先に逝ってしまった者と残された者、手紙の書き手と受け手も逆です。しかし、直接会いたいと強く願いながら、叶わない願いを少しでも成就させるために手紙、すなわち言葉に思いを託すという点において、八木海莉さんと小説の女性は同質です。

《海が乾くことはない…亡くなった人にも会えることはない。その想いから広げていきました。海もしょっぱくて、涙もしょっぱい…だから、もし涙が海なら余計に乾くことはないということを歌っています》

 叶わないことを切に知りながら願いを表現する。いかにも物語のようなエピソードを持つ八木海莉さんに表現者としての天性の素質を感じてしまうし、メジャーデビューした現在、その素質を能動的に作品へ昇華させた姿に、さらなる表現への期待をしたくなります。

 祈りは言葉でできている。言葉というものは全てをつくる。言葉はまさしく神で、奇跡を起こす。過去に起こり、全て終わったことについて、僕達が祈り、願い、希望を持つことも、言葉を用いるゆえに可能になる。過去について祈るとき、言葉は物語になる。






 もう一度ファーストEPの顔である『SELF HELP』を聴いてみたくなります。

これが今よ 掲げろ
納得しなくたって良いってさ!

 この『水気を謳う』というEPは、確かに八木海莉さんの《今を掲げる》作品になりました。収録曲の大きな構成要素は焦り、自問自答、煩悶、悲しみといった、思わず気怠さを覚えるような後ろ向きなものです。そして、それを妥協によって受容せず素直に苦しむという、熟しきらない今だからこその弱さが描き出されています。表現者として天性の素質を持ち、憧れの強さでそれを開花させるべく踏み出し、心を模索するAIの歌声として成長し、未成熟な弱さを持ちながらも、秘めた輝きを放ちつつある今。

 彼女が送り出した曲たちはいずれも透明でキラキラと光を反射する水気を纏っています。「洗練」を「水気を切る」ことと考えたとき、それはまだ果たされていません。これから十年かもっと経過した後に振り返れば、若かったなと少しばかりの気恥しさと共に懐かしむような作品なのではないかと思います。

 それでも、少なくとも今は、纏った水気を切る必要はありません。「洗練」は何かを格式高いものにする過程を指します。格式なんて自分以外の誰かの価値観に過ぎません。

 それぞれに水気の要素を持つ『お茶でも飲んで』『Sugar morning』『海が乾く頃』と、水気を含みながらそれを高らかに肯定してみせる『SELF HELP』。八木海莉さんが作詞と作曲を手掛けて送り出した四曲は、独特の湿度を持った美しさを放っています。


 初めてのEPで謳われた水気。それはやがて迎える洗練への布石か、それとも纏ったままの個性を歩むのか。誰かの納得のために生きざるをえなくなった日々の中でその行く末を見守りたいと願ったとき、芽吹いたばかりのシンガーソングライターと『Sing My Pleasure』のラストが重なるような気がします。

そっと静かに目を閉じて
その夢を預けてほしい





【参考】


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