令和の意味 ─ゼロにして和と為す。

タイ生活を振り返って今思うことを徒然と。

私たち夫婦が初めて2人でバンコクの地に足を踏み入れたのは、駐在になる前の2018年10月のこと。お付き合いして10ヶ月という短い期間で電撃的に結婚式をしたちょうど4ヶ月後のことでした。

私たちの新婚旅行は、ラオス→タイ→スリランカで、当初タイは長めのトランジットの予定でした。それが気がつけば延泊、延泊。実はバンコクは彼にとって初めて住んだ海外であり、思い出の地でもありました。若き日の彼にとっては悲喜交々感じたタイの地。新婚旅行中は当時を思い出して感情に浸る場面もあり、彼が抱えるタイへの複雑な想いに触れた瞬間でもありました。

そして娘が生まれた2ヶ月後の2019年春、色々な思いが形になりバンコクの地に再び足を踏み入れ、今度は家族3人で住むことになったのでした。

私にとっては産後すぐというタイミングで彼を海外へ送り出し、その後の諸々の手続きや引越しを、それこそ産後すぐから全部1人でこなす毎日。初めての育児に、彼がいない生活、段取りよく、抜けもれなく、とにかく淡々とこなしていく毎日。ヨガとアーユルヴェーダと出会い、自分のカラダと心と向き合うようになっていたおかげで、産後の敏感なカラダに、移り変わりやすい心でさえも、自分で気がつき自分で整えるという日々の鍛錬が為せる技だなと自分でさえも関心したほどでした。

その後娘を連れて1ヶ月おきにバンコクとタイを行ったり来たりを繰り返し、少しずつバンコクの土に、水に、風に、カラダと心を慣らし、ついに7月本帯同となりました。

あれから8ヶ月。本当にあっという間の8ヶ月でしたが、今回一足先に私と娘は日本へ帰国する決断をしました。「産後のひだち」なんて言葉を蹴散らし、大好きな人に会いたいが一心で、海を越え体を張って通い妻をするほど愛した彼を残す決断をするまでは、私にとって本当に苦悩の時間でした。

私たち夫婦は、お互いに出会えたことが人生最高のプレゼントだと言えるほどmy better half。本物の愛とは、赦しであり、寛容さであり、委ねることであり、明け渡すことであることを教えてもらいました。そして、そんな相手であっても、自分の聖域においては断固として汚させないという毅然とした態度が必要だということも。だからこそ、このタイミングでの決断は想像以上に苦しいものでした。それは、単に情勢が不安定になりつつある異国に残すことへの憂慮だけではありませんでした。

猛威を奮っているコロナウィルスの心配をするだけならば、私はタイでも日本でも同じだと思っています。むしろ、大切な人がそばにいる安心感や充足感の方が変え難いし、免疫も上がるとさえ思うのです。けれども、私がずっと自問自答したのは「私」でいられるかということだったのです。

残念ながらタイに8ヶ月いたものの、タイ語は全くダメ。タイ語教室に行くくらいなら、少しずつ表情が豊かになりコミュニケーションがとらるようになった娘の成長をつぶさに記憶しておきたかったし、タイに来てからハズレくじをひいて2回目の引越しを余儀なくされたおかげで滞在の半分を荷造りと荷ほどきで過ごしてしまったから。

土地勘もない、言語もできない、頼りになる友人も少なく、情報も少ない。ナイナイ尽くしの中で私のサバイバル能力は★1。それは、土地勘の全くないところに家を買うようなもので、あまりに脆弱だと悟ったからに他なりません。

けれども一方で、駐妻の誰もが必ず直面する「知らない土地、しかも海外で、言葉も通じず、丸裸の自分で放り出される恐怖」を経験し、それを克服した今だからこそ言える、「何もなくても、ただ私が私であれば生きていける」と胸を張り確信できるだけの強さも同時に身につけていました。

だからこそ、こういう時代、こういう時、自分が自分の足でしっかり立ち、私の身は私が守る。私の身は、私が責任を持つ。をしなきゃいけないと思うにいたりました。それは、誰よりも信頼し、誰よりも尊敬する同士である彼よりも自分を優先させて瞬間でもあり、二者択一の究極の選択で自分を信じる選択をしたことを意味していました。

女としてこんなにもせつないことはないし、こんなにも悲しいことはない。寄り掛かって、助けを乞い、いつでも甘えられる存在を確かめながら、彼の腕の中でおさまる自分。ではなかったということを突きつけられた瞬間でした。

結婚してもうすぐ3年。まだ3年。されど3年。夫婦のchapter1が終わったそんな絶望感に飲み込まれそれでも私は大丈夫と肯定する自分に気がついたのでした。

頭の中ですごく冷静に色々と分析して整理していたにもかかわらず、帰国を申し出る家族会議では、涙ポロポロ。でも、私が信じた彼だけあって、彼と話しながら、感じたのは、閉じたと思った本は、chapter1が閉じただけでChapter2が始まったということだったのでした。

世間はこれからますます変容し、混沌としていくと思われます。これまで誰も経験したことない数千年に一度の次元変容のフェーズに突入し、個々人の力(自分への信頼と愛)が試される時代への突入です。

だからこそ、経歴も、肩書きも、出身も、性別も、病気も、これまで意識的、無意識的に作りあげてきたものを脱ぎ捨て誰でもない自分を見つめ直す必要があると思っています。残念ながらこれまで守ってくれていた鎧が厚ければ厚いほど手放す恐怖は計り知れなく大きいものになるし、いじめや偏見や差別などを受けるたびに幾重にも重なる鎧を脱ぎ慣れてきた人こそ、軽やかに自由に生きていくことができるのです。

平成の時代は名の通り平らか成る時代でした。新しい令和の時代は、ゼロにして和と為す時代。ゼロにはなるけれど、そこから生まれる和を育む時代なのだと思っています。今は、ゼロが始まったばかりですが、この先に和の時代が必ずや来ると信じて、自分を内観し、自分を整え、自分の人生のすべてに責任を持ちたいと思うものです。

そんなことを感じたのは、2020年3月24日、牡羊座の新月の日でした。

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