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映画『プラットフォーム』考察※ネタバレ有

2019年にスペインで公開された映画『プラットフォーム』。謎の施設、謎の仕組み、そして人間の本性が引き出される環境……辛い、と思いながらも引き込まれる演出が光る映画です。現実社会への風刺やラストの「伝言」など、考察する「空白」が残されているのも本作の魅力。本作について少しだけ考察しました。
この「伝言」は伝わったのでしょうか?

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出典画像:映画配給会社クロックワークス公式Twitter

【考察①】人を殺すと上の階に行ける?

ネットで聞いた考察なのですが、興味深いのでご紹介します。(伝聞の伝聞で聞いた考察なので、元ネタがどこなのかは分かりませんでした……)
一か月の中で人を殺していれば殺しているほど上の階へ行ける、という考察です。なるほど、確かに主人公の部屋で人が死んでいればいるほど上層階へ移動できていました。バハラットの場合は、相方がいなくなったためランダムで振り分けられたのかもしれません。
そして、ミハルがいつも上から登場するのも納得できます。邪魔する人を殺しながら下へ下へ移動するのだから、誰よりも上の階へ行けるでしょう。もしかするといつも1階にいるのかもしれません。1週間程、食べ物を食べて体力を回復したら下へ……。8日目にゴレンを助けたのもこれが理由なのかも。
一番無垢な子どもが最下層にいるのも納得です。

【考察②】社会の縮図

この施設は現実社会の縮図になっています。そのことは、本作を観ていて多くの方が感じたでしょう。上の者は富、下の者は貧する。
特に注目したいのは、階層ごとの行動です。大きく分けて4つの階層があります。
1~10階程度の「最上層」。(富裕層)
11~99階程度の「上層」。(中流層)
100階~の「下層」。(貧困層)
そして「最下層」。(声なき人々)
(現実と同じく明確に分けられないので、だいたいこのくらい、と大雑把に分けました)
層ごとに考察します。

【考察②-1】最上層

最上層なのに、更に上の者を妬み、下の者を蔑みます。
好きなだけ食べ物が食べられ、心に余裕が出来る層がここです。下の人にも何か分けられる、分けよう!と活動を始める人も出てきました。しかしそれが出来るのは初めてここに来た人、純粋でピュアで世間知らずな「子ども」。現実を知らず、理想で語るイモギリのような人だけです。
現実世界も似たようなものなのではないでしょうか。子どものお遊びのような「活動家」をするのは、決まって富裕層です。綺麗事を並べて、理想を語ります。しかし現実は?彼らが語るように簡単にはいきません。現実は複雑で一筋縄ではいかないのです。
そんな現実を知ったイモギリは、絶望します。ゴレンを含めた下層からの「成り上がり」は、最上層に上がるとほとんど何もしません。誰も信用できず、自分の世話だけで精一杯であることを知っているからです。
しかし、お遊びではなく本当に「変えよう」と考え、本当に変えられるのもこの層です。

【考察②-2】上層

食べ残しや汚い物、それでも何かしらを食べられる層。殺人、犯罪をしなくてもなんとかなります。現実世界だと、いわゆる「労働階級」「中流階級」「中間層」等がこの層だと言えるでしょう。
このシステムを変えたい、と思っても上にも下にも声は届きません。そして、変えようと思っても、実行できるだけの気力や余裕はあまりないです。

【考察②-3】下層

富はここまで分配されません。殺人、暴力、犯罪、とにかく手を汚さなければ生きられない層です。お遊びの「活動家」はここを非難するでしょう。でも、ここに来たら非難できなくなりました……。手を汚さなければならない理由があります。もうじき弱って死ぬ老人と諦めたように座る障がいを持った青年が静かにいたシーンも印象的。
下の方へ行くにつれ、暴力が減り静かになっていきます……。

【考察②-4】最下層

終盤になるまで、誰もこの層の存在を知りませんでした。それもそのはず。この層まで来るとみんな死んでいます。現実社会でみんなが見て見ぬふりをしている「声なき人々」と言えるでしょう。
文字通り「下には下がいる」という絶望感がここにはあります。


【考察③】ここに「政府」はいない

本作は資本主義の皮肉になっています。最下層まで富を分配すべきだ!と主張しても「共産主義か?」と言われて誰にも共感は得られませんでした。資本主義的な環境になっていますが、現実と違ってこの場所に欠けているものがあります。
それは「政府」です。「政府」は今を生きる現代に必要不可欠な存在です。この施設の中のルールを決めて、全員にそれを強制できる存在
この施設が「政府」なのでは?とも思えますが、「政府」側の存在だと思っていたイモギリもこの穴の中にいるではありませんか。そもそも、政府は上にある存在ではなく、市民が作り上げるものです。

【考察④】ゴレンが作り上げた「政府」

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画像出典:映画『プラットフォーム』公式サイト

本作途中から「政府」が登場しました。それはゴレン自身です。一番下の人々まで富を分配できるように、上層部の人々が得られた食料の全て(または一部)を徴収します。従わない者には罰(暴力)を下しながら、下へ移動しました。
そして、食料が足りない人々に平等に分け与えていきます。まるで「政府」の行う富の再分配のようではありませんか。ゴレンのやったことは、市民が革命を起こし、国を変える「市民革命」そのものです。

イモギリのことを、「お遊びの活動家」と表現しましたが、その活動は無駄ではありませんでした。そのイモギリを見て、ゴレンの気持ちは揺れ動き「政府」が出来たのですから。

【考察⑤】ここの管理者は「神」

この施設は現実社会に例えると、最上層は「富裕層」、上層は「中流層」、下層は「貧困層」、最下層は「見えない人々」です。ではここの管理者は?
管理者こそ「政府」のようにも感じますが、「政府」は誰かの上にあるものではなく、穴の中にあるものです。ゴレンがそれを証明しました。

管理者は「神」です。「自然」とも言えるかもしれません。
管理者が与えるのは環境だけです。誰が何をしようとも罰も恩恵も与えません。階層を勝手に移動しても、人を殺しても、この穴の環境を変えようとしても、何も言いませんでした。
食べ物を取っておくと、温度が上がったり下がったりして殺されます。それは「政府」による罰のようにみえますが、罰とは違うようです。水の中にずっと居続ければ窒息するのと同じ、そういうルールなだけです。
ただ、こういう場所を提供しているだけ……。なぜこんな困難を人々に与えているのか?その理不尽さや「きっとこれは試練なんだ」と思う心情も含めて、管理者は「神」や「自然」なのだと考察します。

【考察⑥】1か月で1生

1か月で立場が変わるこの穴。まるで1月ごとに輪廻転生しているようです。現世ではこんな立場だけど、来世は良くなるかもしれない。来世は悪くなるかも。
バハラットがロープを使って上に行こうとする姿は芥川龍之介の短編小説『蜘蛛の糸』を連想してしまいます。
本作が仏教まで意識していたかどうか分かりませんが、どうしても連想してしまいました。

【考察⑦】ゴレンは「救世主」か?

本作は宗教色が強い作品でもあります。私の肉、血、ワイン、リンゴ……。
外の世界から、自ら望んでやって来たゴレン。望んでこの穴へやって来て、人間たちの本性に触れ、導く。まるで聖書の「救世主」のようです。
幻想の中のイモギリとトリマガシの会話も「聖書」の一文を読んでいるように感じます。
本作の中で、管理者を「神」、ゴレンを「救世主」、イモギリを「天使」と読み替えて見てみると面白いです。
しかし、ゴレンは本当の「救世主」ではないようです。
【考察⑧-3】宗教的に見て に続く

【考察⑧】最下層にいた子どもとラスト考察

【考察⑧-1】ストーリーの面から見て

社会風刺の面から見て、宗教的に見て……の前に、シンプルにあのラストを考察してみます。ゴレンはおそらく、最下層に着く前に死んでいたように思います。あの333階は幻想です。
食べ物を持ち入ってもOK。16歳以下の子どもがいる。この階にいる子どもは、ミハルの子どもだと言われていますが、息子ではなく女の子。しかも最下層にいるのにやせ細っておらず、健康そう。
明らかにおかしいです。ゴレンは現実か妄想か分からなくなったのでしょう。ゴレンの愛読書『ドン・キホーテ』の主人公と同じように。伝言が上の伝わったのかどうかは……。

【考察⑧-2】社会風刺の面から見て

ゴレンはこの世界を変えられませんでした。最下層でゴレンは絶望に包まれています。そして「伝言」は子どもに託されました。社会風刺の作品によくあるラストですよね。私たち大人が世界をめちゃくちゃにし、何とかしようともしますが……最後は子ども、「次世代」に託してお終い。なんと身勝手な話でしょうか。
そもそも0階の人々には「伝言」はいかないでしょう。毎日毎日料理を綺麗に盛り付けるだけの人々です。この施設で25年働いたイモギリもこの穴で起きていることは知りませんでした
きっと、最下層の下に焼却炉かごみ処理施設があるのでしょう。一番下で綺麗に清掃されてから上に戻っているように思います。でないとテーブルが上がる時、周りの階に物が散らばってしまいますしね……。
大人のエゴで勝手に子どもを「伝言」にしたつもりになって満足
そんなのではダメだ。大人で何とかしよう、そういう「メッセージ」とも受け取れます。

【考察⑧-3】宗教的に見て

最下層は333階。かなり興味深い数字です。
つまりここには666人がいる?「666」と言えば、獣の数字。この場所は悪魔の遊び場だったのかもしれない、と感じてしまいます。でもその逆かもしれません。
数字の3。神と子と聖霊の三位一体を意味する「3」、数霊術では「333」は神や天使、救世主などの人物を表すのだとか。連続する「3」に意味がないとは思えません。
ラスト、この子どもこそ「伝言」だ、とまとめられます。ゴレンではなく、この子どもこそが「救世主」なのではないでしょうか。
それにトリマガシの「旅は終わった」という言葉。ゴレンたちはイエスの元へやってきた東方の三博士の役割だったのかもしれません。そして0階へ戻る「救世主」を見送り、ゴレンの旅は終わりました。寝ている子どもを見ているゴレンのシーンはまるで宗教画のようです。
この先、何が起きるのか。それは神のみぞ知る。

まとめ

宗教や経済に疎いので、正しい考察ができたとは思えません……。ぜひ、あなたも考察を書いてください。本作は人の数だけ考察がある作品だと思います。

私は「政府」の重要性を訴えているように感じました。「政府」と聞くと、よくわからない政治家たちによるよく分からない統治のように思えます。しかし、私たちが選んだ人々によって統治されています。もしそれが気に食わない統治なら、責任は私たちにあります。
逆に言えば、「政府」は上から与えられるものではなく、この穴の中で作れる「希望」だと言えるのかもしれません。お遊びの「活動」なんかではなく、覚悟をもって作り上げる。綺麗ごとだけではなく、時には暴力や犯罪も。命がけの革命が……。
私には勇気がでないことですが……。
そういえば、人間の歴史は戦争の歴史でもあるな……と本作を観ていて思い出しました。

さて、あなたは今何層にいて、何が出来ますか?
一緒に何をしましょうか?

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