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映画『イン・ザ・トール・グラス -狂気の迷路-』考察 ※ネタバレあり


Netflixで製作公開された映画『イン・ザ・トール・グラス -狂気の迷路-』。原作はスティーヴン・キングとキングの息子で作家のジョー・ヒル、2人の短編小説『In the Tall Grass』です。
不気味で時間も場所も定まらないこの舞台は、観ていてとても混乱します!考察する隙も多いので、観たらきっと誰かと話したくなるはず。今回は本作の考察をまとめていきます。

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画像出典:映画『イン・ザ・トール・グラス狂気の迷路』公式サイト

① 主人公はトラヴィス

本作では「時間」も「世界線」も入り乱れています。登場人物も、私たちが最初から追ってみていた世界線の人物ではなくなるのです。この世界線のベッキーが死に、別の世界線のベッキーが走り回り……となっているので、混乱してしまいます。しかし、トラヴィスは違います。彼だけは最初からカメラが追っているトラヴィスです。彼が主人公で、この彼の世界線ではどうなるのか……と考えながら観ると分かりやすいので、考察のヒントになるかもしれません。


① 草の中は世界が入り乱れている

草の中に入ると場所も時間も定まらなくなります。そう、「時間」もです。トラヴィスは2か月前のベッキーとロスに出会いました。そして、自分の死体もここにあります。「時間」は「世界線」とも言い換えられるでしょう。「岩」に触れた者に殺された世界線、無事に草むらから出られたが再び戻ってきた世界線、自分が「岩」に触れて周りを巻き込む世界線……。様々な「時間」と「世界」の交差点になっているのです。だから、再会した相手が自分の知っている相手とも限りません……。もしかすると、相手は何度か私のことを殺しているのかもしれないのです。トラヴィスは草むらの中でベッキーたちと再会していましたが、本来の世界線のベッキーはすで殺されていました。実は全く別の世界線のベッキーと最後まで行動を共にしていたのです。


② 多くの人が「岩」に触っている

トービンの父親ロスが「岩」に触れてみんなを1つにすべく行動していました。しかし、草むらの中には「岩」に触れていないロスが存在しています。それに、触れたトービン触れていないトービンもいるのです。

「岩」に触れたトービンも2人居るように思えます。最初、カルが出会ったトービンはトラヴィスの名前を知らないようでした。カルに「トラヴィスに呼ばれて草むらに入った」とは言いませんでしたから。

もしくは、カルがトラヴィスを殺した世界線のトービンかもしれません。トービンはトラヴィスに懐いていたので、カルに復讐するつもりで「岩」を触らせようとしたのかもしれません。

どちらにせよ、様々な世界線でいろんな人が「岩」に触れています。もしかすると、全ての世界線を合わせると、全員が1度は「岩」に触れているのかもしれません。


③ 昼夜で1ループ

本作には夕方や朝方といったものはありません。いきなりに昼になって、いきなり夜になりました。演出上パッと変えているようにも見えますが、本当にいきなり変わったようにも見えます。いえ、そもそも違う時間軸……違う世界線にストーリーが変わったからパッと変わったのかもしれません。
昼と夜を1セットにして、「岩」に触れたものが変わっています。後半はロスが全員に言う事を聞かせようとする世界が続くので変わっていないように見えますが、前半やラスト付近はその変化が分かりやすいです。
昼と夜の1セットで、目覚めると別の世界線に移動してしまうのかもしれません。トラヴィスは本来の世界線のベッキーの死体を見つけましたが、昼になった途端別の世界線のベッキーに合流できました。トービンの母親ナタリーも、ベッキーが殺された世界線から合流しています。草むらでは、私たちの時間の常識が通用しません。


④ 「岩」にはどんな力があったのか?

「岩」は人に森羅万象の全てを見せます。そして、ロスは、みんなに「岩」を触らせようとします。この世界でみんなひとつの家族になろうとしたのです。もし従わなければ殺そう、という狂気に支配されていましたが……。しかし本来はそんな狂気に陥らせる力はないように思います。

「岩」に触ったトービンはトラヴィスに「岩」を触らせようとはしませんでした。あなたが触りたいなら良いけど……と消極的です。ラストのトラヴィスも「触るのは自分だけ、トービンは無事に外に出て欲しい」。と、ロスとは真逆。

どうやら、あの「岩」に触った者の思考が強く表れるようです。ロスは草むらに入る以前から高圧的で、ナタリーに「子どもをちゃんと管理しろ」と命令する人物でした。そして「岩」に触った後は、自分が皆を管理していう事を聞かせようとします。トラヴィスは「岩」に触れる前から段々と父性に目覚め、ベッキーへの愛も深まっていました。だから、「岩」に触れた後も攻撃的にならず、守るべきベッキーやトービンのために自己犠牲を選べたのでしょう。

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画像出典:映画『イン・ザ・トール・グラス狂気の迷路』公式サイト

⑤ 改心した者だけが世界を変えられる

様々な世界線が入り乱れていても、同じ人物同じ環境なら結末は同じはずです。しかし、そうなっていません。「岩」に触れた者も、誰が殺されてだれが殺されていないのかも、全然違います。その一番の要因は、彼ら一人一人の決断にあります。言い換えれば「改心」とも言えるでしょう。
本作のカメラが追っているのはトラヴィスの「改心」です。トラヴィスは中絶を勧めたことを後悔し、やり直したいと願っています。この「改心」が本作において重要となっています。改心した結果、どんな結果になったのかはご存知の通り。
ベッキーも心変わりして決心しました。それが良いか悪いか判断せずに誰かを優先して生きてきたベッキーが最後には、自分と自分の大切なものを守ろうと決めたのです。ベッキーにとってはこれが「改心」。「改心」したベッキーもまた助かりました。
「改心」した者が世界を変えられる、というメッセージが強く出ています。


⑥ 神の存在

なぜ改心した者が救われるのか?スティーヴン・キング作品の中にはしばしば「神」が登場します。邪神であれば直接的にまがまがしく現れますし、聖書のような「神」であればさりげなく登場人物たちを諭すように現れます。本作でもその傾向が強く出ています。改心した者が救われる展開もそのひとつです。
中絶はキリスト教においては「大罪」で、殺人です。それを後悔したトラヴィスが救われる、というのも分かりやすい表現でしょう。
ほかにも神の存在を感じさせるシーンが多々ありました。さりげなく聖書や神についてのセリフが登場します。トービンが教会で目覚める、というのもわかりやすい表現です。


⑦ 「シャイニング」

スティーヴン・キングの作品のほとんどは同じ世界の話です。『IT』の出来事のあったデリーは『ドリームキャッチャー』の主人公たちの故郷であり、『ドリームキャッチャー』の男の子の力は『シャイニング』の少年の持つ特別な力と同じ「シャイニング」でした。
本作でベッキーは、重要なところで別の世界線を垣間見たり直感が働いていたりしました。もしかすると、ベッキーも少なからず「シャイニング」の持ち主だったのかもしれません。
または、お腹の子どもが強い「シャイニング」の持ち主なのかも。「岩」や岩に触れた者がベッキーの子どもに執着しているシーン、危険が迫ったり終盤でベッキーが草むらに入るか悩んでいたりするとお腹が痛む、といった演出は赤ちゃんの「シャイニング」が影響した結果にも見えます。


まとめ

神の存在、ベッキーの特別な直感、邪神、呪い……キングファンにはたまらない映画になっています。そして、登場人物たちの心の闇や疑心暗鬼、絶妙なバランスの人間関係は、ジョー・ヒルだからこその雰囲気です。
ただ観るだけでも楽しく、考察する幅も広いミステリーホラー。ぜひ何度もみて考察してみてください!

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