恋愛は、失う覚悟を持って始めるのがいいのかも。
お互いに大好き。
それがわかったから
お付き合いを始めたはずなのに、
関係を続けていくと、
相手のそっけない態度に
不安や寂しさを募らせたり、
逆に、いつもいつでも連絡を取っていなければ
相手が機嫌を損ねてしまう…なんて事が続いて、
なんだか息苦しくなったり。
上手くいかないな、
モヤモヤするなって思うこと
あると思うんです。
ただそれって、
お互いに好きな気持ちを
ちゃんと持っていたとしても、
相手が求める愛情表現と、
自分が生み出せる愛情表現とは
それぞれ異なるし、
置かれた環境によって
相手にどれだけ集中できるかも
それぞれ異なるし、
意識せずに全てぴったり合うというという方が
非常に稀なんだということを、
ちゃんと自分の心に落とし込めていないから
生まれてしまうモヤモヤ
なんじゃないかなって
思うんですよね。
相手がされたい事と
自分が相手にしてあげたい事と、
実際、自分が相手にしてあげられる事を
合わせるのって、
そもそも、ものすごく難しい。
好きなのに、
物足りない、
好きなのに、
息苦しい。
そう感じてしまうのは
そういう互いの感覚の違いから
くるのかなぁって思うんです。
ただ、実際のところ、
「違う」というのは仕方ないんですよね。
それって、
どうするのがいい、
どうしたらダメ、みたいな問題ではなくて。
どうしたら、
互いの本心を明かしあって
理解し合って、
自分の心の中の
相手を想う気持ちを失うことなく
互いの求めるものと、
互いに与えられるものとの
バランスを取っていけるか。
そういう、
二人の愛を育むために与えられた
大切なテーマなんじゃないかなって
思うのです。
相手に合わせて我慢し過ぎても、
モヤモヤが溜まりすぎれば
自分の中の相手への気持ちを
失いかねませんし、
自分の希望を押し通し続けた時に、
それが、相手に無理を強いていたものであれば
一時的に自分は幸せを感じられても、
いつか、相手の方で
愛にほころびが生じる
危険性があります。
そもそも
互いのニーズの擦り合わせみたいなお話って、
恋愛に限らず、
複数人が関わって何かをしようとする時は
いつでも出てくる問題で。
それぞれの思惑をちゃんと取り入れて
みんなが納得できるやり方で進めていかないと
うまく回らないと思うんですよね。
何かをしようとした時、
そのことに対する捉え方って、
みんなそれぞれバラバラなのが
当たり前。
積極的にしたいこと。
無理なくできること。
負担はかかるけど、
できなくはないこと。
物理的にできないこと。
できなくはないけど、
やりたくないこと。
みーんな、温度感が違う。
そういう思惑を整理して
互いに歩み寄れる範囲がどこまでか、
どんなやり方にすれば
それぞれ無理をし過ぎず
プラスな感情を維持しながら
うまく回っていくか。
その辺りを調整していって、
そして、
どうしても無理が出てしまうなら
ハレーションが極力起きない形で
やめる方向に持っていくことも
もちろんある。
複数人で何かをする時、
シンプルに考えれば
そういう判断になっていくのだと思います。
それが面倒なことになってしまうのは、
そこに何か別の思惑や事情や、
誰かのこだわりが働いて、
納得いかないところを残したまま、
一部の人に無理がかかり、
その人の善意や責任感を
搾取し続けないと回らない状況のままなのに、
変わらずそのままで進んでしまうような時。
そんなふうに
問題が拗れる理由は、やはり
「誰かがなにかに執着しすぎているから」
だと思うのです。
上手くいかない。
思ってたのと違う。
納得いかない。
なのに、
それじゃなきゃダメ。
負担がかかって辛い。
なのに、
そのまま進まなければダメ。
そういう執着が
人を苦しめる。
この執着の原因は、
もちろん、
自分以外の他の誰かであることも
たくさんあると思うのですが、
意外と
執着しているのは、
「自分自身」である場合も
あると思いませんか?
耐えられなくなる前に
そこから離れられたら、
自分が壊れずにすむのに、
離れられない。
離れたくない。
そんなふうに
自分で思いこんでしまう。
もちろん、
自分は逃れたくてたまらなくても、
自分以外の何かのせいで、
しがらみにがんじがらめになって
苦しい人間関係から
抜け出せない場合もあると思います。
それはもう、確かに辛いですよね😭
としか言えないですし、
ほんとにもう、どうしたものやらと
頭を悩ませるよりほかないのでしょうけど…
自分で自分の首を絞めてることも
結構あると思うのです。
本来、そんな必要はないはずで、
自分が苦しんでるなと思えば
ただ、やめればいいのです。
同居や結婚、職場の繋がり等、
社会的、経済的側面や自分の生活スタイルにおいて、
相手に頼らざるを得ない部分や
簡単に断ち切れない何かが生まれてしまうと、
そこから逃れるのは
確かにものすごく難しい。
でも、恋だけなら
「自分から距離を取る。」
それだけで終わらせられるのです。
こんな好きになれる人
もう出会えないかもしれない。
なんて、ただの幻想。
苦しんでいるからこそ、
自分が頭の中で勝手に作った
相手との理想の関係に
縋り付きたくなってるだけ。
現に苦しんでいて、それを
2人で解決していけないのなら
自分が相手から大切にされてないか、
自分がワガママなだけか、
どっちかなんだろうなと思うのです。
どちらにしても、
どっちが悪いということではなく、
2人では、互いの求め合うものの
バランスを取ることは
できないんだということが
明らかになっているだけ。
自分が我慢してはじめて続く関係は、
愛を育んでいるとは
到底言えないのです。
互いが良い関係で、
幸せでいられると思ったから
お付き合いしているはずなのに、
お付き合いを続けたいから
自分を偽る。
それでは本末転倒なのです。
「恋愛は、失う覚悟を持って始めるといいのかも」
というのはそういうことです。
素直な自分を出すことと、
素直な相手の気持ちを尊重すること。
互いに苦しむことなく続けられる、
心地良く愛を感じられる
バランスを見つけていこう。
色々試行錯誤しても
心地よくいられる
付き合い方が見つけられず、
苦しめあってしまうなら、
この恋とはさよならしよう。
互いにそういう覚悟で臨んで初めて、
対等に愛し合う関係を
構築していけると思うんですよね。
そうやって、長い年月かけて
自分の奥まで伝えあって、
相手の奥まで理解しあって。
それでも愛を失わず、
心の深いところで繋がりあえた時に
はじめて、本当の意味での、
「あなたを失いたくない」
「こんなに好きでいられるのはあなただけ」
という気持ちが生まれるのかなぁ…
なんて思うのです。
そこまで辿り着けたらもうそれは、
恋ではなく、愛なのかもしれません。
私はまだきっと
そこまでの愛を育めたことがないんです。
もう一生出会えないかもしれないけれど、
いつか出会って、
そういう愛まで育ててみたい。
それが、私の憧れ。
だからこそ、
一つ一つ、恋に出会ったときには、
そこに執着しようとしないで
ほんわりしたトキメキを楽しみながら
その人としての関わりを
深めていけたらいいなぁと思うのです。
これが、アラフィフな私の
現在の恋愛観です。
また長い長〜いお話に付き合っていただき
ありがとうございました☺️
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