紙とペン。枠から外れて創造力を養うトレーニング。
世の中にはルールが溢れている。
「信号は青になったら渡りましょう」
「お酒は20歳になってから飲みましょう」
安全や健康のために守るべきルールはある。でも、社会のルールというものは時代を追うごとにどんどんどんどん増えていく。
ルールは17個で良かった?!
日本で初めての憲法は17個しかなかった。今は103条まであるらしい。六法全書はどんだけあるかわからないけれど、新しい法律もさらにできる。そこに、条例があり、社会のルールがある。家庭のルールもある。
ルールは、何か不具合があるから作られるもの。だから、一度ルールができると、それが削除されることはあまりないような気がする。
“守らなければならないルール”や、ルールとすら思っていない“当たり前(刷り込み)”に知らず知らずのうちに縛られている私たち。
AI社会に必要な創造力
AI社会となり、人間に求められるのは「創造力」。0から1を生み出す、いや、むしろ、0そのものを生み出す力が求められていると思う。
ルールとは、「枠」のひとつ。刷り込みや思い込み故に、枠があることすら気がつかない。
枠に気づく、枠を壊す、枠から出る、枠の外から観る…そういう事が創造性を育むのではないか。かといって、社会のルールを破るわけにはいかない。
己書は枠から出るトレーニング
己書(おのれしょ)というものを習った。お地蔵さんとか、良い言葉とかが雰囲気のある文字で描いてある、あれ。
たまにワークショップやっているのを見たことがあるけれど、正直、
「わざわざワークショップでハガキに文字書いて何が楽しいんだろ?」
と思っていた。
でも、これ、「枠」から出るための合法的なトレーニング(笑)だと気づいた。
固定観念を外す己書
硬筆や毛筆の授業でお手本通りに書けるのが「良し」とされる日本。明朝体の読みやすい字が美徳とされる。(アメリカでは、サインは個性的な方が良しとされると聞いた事がある。)
「字が汚いなぁ」は「キレイな字という枠に入りたいなぁ」という気持ちの裏返し。
でも、己書は、「おのれ(己=自分の)しょ(書)」だから、自由。文字の大きさもバランスも、書き方だって書き順だって、なんなら画数だって自由。
先生に聞いたら、自由に書いていいよ、と言われると書けない人が多いらしい。
きっと、それだけ私たちは「枠からはみ出ないこと」を刷り込まれているのだと思う。
先生のちょっとしたアドバイスをもらうと、その枠がぽーん!と外れて自由になる。
文字の意味を文字の動きで表したくなる。
紙とペンを持って座りながらできる、枠から外れるトレーニング。
これを繰り返すことは創造力を養うトレーニングでもあると思う。
己書、あなどるなかれ。
オマケ
調べたら、本部がうちの近くってゆー(笑)。
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