見出し画像

8/12(sat)Summer evening Calm@Art Lodge Mojo:Moja O.A.

片平里菜さんが、ステージで僕の名前を何度も呼んでくれて、かつてないほどに、覚えやすいアーティスト名にしてよかったと思えた

僕のライブを見て、「景色が見える音楽」という言葉をくれて、救われた気持ちになれた
それは僕にとって曲づくりの大きなテーマのひとつだったから余計に
終演後も「東京の歌歌ってたよね〜」と言ってくれた
届いた感じがして嬉しかった
きっと僕の歌詞における発想の根底には片平さんの歌詞の世界が間違いなく影響している
特に3rdアルバム『愛のせい』は、僕がライブを始めたばかりの頃にリリースされたこともあってか無意識に作詞における目標のようになっているのかもしれない
『山手通り』のような曲を僕も作りたいと永遠に思っている

ワンマンの告知を回収してくれた時は心底嬉しかった
O.A.の立場で告知をするのが憚られることくらい自覚はしてた
でもローカルを回りふるさとへの意識を念頭に置いたツアーを行ってきた彼女の姿勢に、スタッフ兼O.A.として、店を背負ってステージに立つ立場として自分なりに向き合いたいという思いが口をついて出た
「若いながら、数字や結果に囚われず、支えてくれる人を大切にしたいという姿勢がすごい」なんていうようなことを言ってくれて、勝手に同じ思いで通じ合えているような気持ちになった
都会とも田舎とも言えない千葉県の外れで暮らしながら、高校から都内の学校に通い色々な経験をした僕にとって、都内よりも千葉埼玉でのライブが多いことは、自分としても不思議だと思っている
正直、都内のお店に対して基本的には苦手意識がある
演者もスタッフも打算で動いてる人が多いように感じてた
大学1年当時、コロナ禍でライブが出来なくなったことも相まって、いい音って何かとか、いいイベントとって何かとか、大切にしたいライブハウスを思いながらそんなことを自問自答していた
多分打算で動いてる人は都会とか田舎とか関係なく、いるところにはいるんだろうと思う
自分にとっては、あまりそういう雰囲気を感じないで済む場所にたどり着くことができ、居心地の良さから結果的に長居することになったのがたまたま都内ではなかった、というような感覚が正直なところかもしれない
片平さんの言葉で、地元ではないものの、10代後半以降の僕にとってMojo:Mojaがひとつの居場所であったことを再確認できた瞬間にもなった

見に来てくれた僕のお客さんとお話してもらえたのも、すごく嬉しかった
片平さんと僕含め物販の傍のテーブルで、4人でちっちゃくなりながらまったりお話できたのが、ただひたすら至福の時間だった


片平さんがお店に着いたときはくたびれた様子で、正直コンディションも良くないのが分かるほどだった
そりゃそうだ、大きなイベントの直後で燃え尽きない方が無理があるだろう
僕もいつもそうだしな
僕のステージを終えた直後、少し挨拶したら、「起用だね(右手)」と言ってくれた
きっとその時点ではまだテンションも上がりきってなかったのだろうと思いつつ、それぞれのステージを経て、彼女のステージを終えて、最終的に元気な笑顔が見れたことがほんとに嬉しかった

ステージ上では少し辛そうに見えた瞬間もあったが、歌うときの眼差し、何かが宿る雰囲気、声の力は格別だった
それが肌で伝わってくる感じがした
セットリストについては、定番のナンバーで固めてきたような印象だった
「あの曲が聞きたかった」なんて言い出したらキリがない
冷静ぶって「定番のナンバーで確実にやりきるライブ」だなんて評論家ぶったことも言ってみたりした
けど、やっぱり『女の子は泣かない』をみんなで一緒に歌えたのが最高に楽しかったし、本編最後の生音での『からっぽ』が何より心に染みた
10年聞き続けて最近ようやく歌詞の意味を実感できたような気がしていた『Amazing Sky』が生声で聞けて感無量、リベンジと称してアンコールで聞いた2回目の『夏の夜』のCメロの歌詞がまるでその状況を歌っているように聞こえてきて命を燃やすように歌うその姿に涙が出そうになった

終演後お客さんがほぼ帰った後で、店にくれたサインの写真を撮る僕の後ろから、「ポップコーン食べてもいいですか!」って聞こえてきて、振り返ったらニッコニコの片平さんが立ってこっちを見てた
元気な姿が見れてよかったと思った
O.A.やスタッフとしての安堵の思いと、ファンとして舞い上がる気持ちが入り乱れる中、その笑顔でやっと力を抜くことができた気がした

演者での撮影のとき、非売品のキーホルダーをくれた
帰り際握手をしてくれた
華奢だなぁと思った


片平さんはイベント全体について、『埼玉の底力』と評してくれた
父は、そうさん(店長)に向かって「今日のMVPはあなたです!」と言って帰ったらしい
そうさんは、俺たちに「店よりそれぞれの演者の底力」と言ってくれた
最高なイベントになったのは、スタッフや演者一人ひとりが今日に照準を合わせ、向き合うことができたからかなと思った
僕はO.A.として、全身全霊を捧げることができたと思っている
もちろん緊張はしていたものの、扉を開けてステージに立った瞬間から、一音楽人としての意識が再燃した
いつも通りの延長として最高な演奏を提供しなければ、という意識に駆られた
この店で最も多くライブをしてる演者の一人として、裏方の事情も把握している立場として、闘志に火がついたような感覚だったのかもしれない
元はと言えば、僕が何度か片平さんのカバーをライブでやったことが今回のオファーに繋がったようなところがあったらしい
そうさんが帰り際それを教えてくれた
そんなただの個人的な演奏がこれほどまでのことになるなんて、イベントから一夜明けた今でも信じられない

奇跡以外の言葉で説明ができない気がしている
「生きてて良かった」って、こういう時に使う言葉なんだな

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?