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「具足(句材)すくなく、するするとした句を、思ふところなく口軽く付くべし」~二条良基の連歌修行論に学ぶ~

今を遡ること700年前に生まれた二条良基。時は南北朝時代。その良基が記した【連理秘抄】(1349頃)という連歌論書に、連歌を修行するうえでの心構えの文がたくさん書いてある、繰り返し読んで学びなさい、と連句の先生に教えていただきました。

「連歌は心よりおこりて、みづから学ぶべし。さらに師匠の教ふるところにあらず。」
連歌は自分の心を頼りに自分で学ぶことが大切で、一番肝心なことを師匠が教えることはできない。

「連理秘抄」岩波文庫版「連歌論集」(上)


2019年秋キャリアコンサルタントの仲間と大人の修学旅行と称して、旅した京都。ちょうど下賀茂神社を参詣し、糺の森を並び歩いて世間話したこときっかけで、先達が通っていた朝日カルチャーセンターの「連句入門」の1日体験に誘っていただいたのが、私と連句のひょんな出会いです。

自分が惹かれて学んでいる「カウンセリング」・「対話」・「ファシリテーション」と「連句」はどうも同じ匂いがすると直感しました。それに、松尾芭蕉が旅した奥の細道で生まれた身として不足の教養を身に着けたいと思ったり、風雅の道がどんなものなのか私も足を踏み入れてみたいという心持ちが生まれ、右も左もわからぬけれどもエイやと入門したわけです。予期せぬ偶然の出来事をプランドハプンスタンスに変えるには以下の5つの力を磨いておくこと、と習ったことの実践です。

  • 好奇心(Curiosity):新しい学習機会を模索すること

  • 持続性(Persistence):失敗に屈せず努力をすること

  • 楽観性(Optimism):新しい機会が「必ず実現する」「可能となる」と捉えること

  • 柔軟性(Flexibility):信念、概念、態度、行動を変えること

  • リスク・テイキング(Risk-taking):結果が不確実でも行動を起こすこと

「師(芭蕉)の曰く『たとへば歌仙は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし。行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へ行く心なればなり」

『三冊子』土芳著

「座の文芸」である連句にとって何よりも大切なのは、一座のやりとりの現場で生まれるインスピレーションなのだそうです。それを最大限生かすためには、特定のテーマや「落としどころ」などをあらかじめ決めることなく、即興に従って次々に前に進んで行くことが大原則。そんなことを教えていただくと、「キャリアカウンセリング」に入門した時に学んだ定義が自然と想起されます。

「キャリアカウンセリングとは、
(1)大部分が言語を通して行われるプロセスであり、
(2)カウンセラーとカウンセリィ(たち)は、ダイナミックで協力的な関係の中で、カウンセリィの目標をともに明確化し、それに向かって行動していくことに焦点をあて、
(3)自分自身の行為と変容に責任をもつカウンセリィが、自己理解を深め、選択可能な行動について把握していき、自分でキャリアを計画しマネージメントするのに必要なスキルを習得し、情報を駆使して意思決定していけるように援助することを目指して、
(4)カウンセラーがさまざまな援助行動をとるプロセスである」
(Herr&Cramer,1996) 

「キャリアカウンセリング入門 人と仕事の橋渡し」渡辺三枝子+E.L.ハー著

はじめて連句の実作に参加した時に感動を覚えたのは、名ファシリテーターである「捌き」の方の連衆への関わり方。ベテランから初心者までスキルも知識も属性もまるで違う人たちが集う座を見事にまとめあげ、一つ一つの言葉と、全体の流れとを行きつ戻りつ確認し調整しながら作品が生まれていくダイナミックなプロセスにはびっくりしました。ルールと言葉のリズムを守りつつ、同じことを詠まないで、一巻の中に、四季、自然、宇宙、自分、自分以外の人をギュギュっと凝縮して、一人では決してできない作品が出来上がっていきます。一人一人違う視点と知識とセンスとコミュニケーションのかけ合わせなので、連ねていく句の付け心(二句の付け合いの物語的解釈)と、付け味(二句の感性的な触発、融合)は無限です。「捌き」に一直してもらった句は、作者が予測しないような輝きを増したり、一句としては平凡だけど、一巻の全体構成の中では「なくてはならない句」になったり。

付け焼刃で、歴史も式目も無理解で、捌きの方に指示もらいながら這う這うの体で詠んだ句も、「面白い発想だね」と認められ、一直していただく中で形としては全然変わってしまうのですが、作品の中に取り入れてもらい、作者として名を残してもらえる、そんなシステムも独特です。自分が詠んだ句にダイレクトに反応を周囲からいただけるので、なんだかもっと頑張りたい、頑張らねば、と思って力むとすぐに先生からダメ出しが。それが冒頭の二条良基に学ぶ、につながります。

「猫蓑通信」第115号に、二条良基による南北朝時代(1349年頃成立)の連歌論書である「連理秘抄」の文章の一部がひかれてありました。650年以上前に書かれた連歌論が、なんだかカウンセリングを学ぶにあたっても大事なことにも思えたので、勉強のため拙いながら、現代語訳してみます。

連歌は、自分の心から起こって、みずから学ぶべきものである。決して師匠が教えるものではない。常に連歌を好んで、興じ楽しみ、上手な人、技術が優れている人と交流すべきである。どのようにしても、習熟した人と交流しなければ、上達することはない。未熟な人とだけ一座をして、稽古しようとすることは、かえってまったく連歌を知らない人にも劣ってしまうにちがいない。学び始めの頃は、特に注意しなければならないことである。

「連理秘抄」・現代語訳

キャリアカウンセリングの勉強を始めた時に教わった先生からも、初学同士で人を持ち上げながら面接の練習しあうだけでは何の役にも立たないばかりか、変な癖や考え方が身についてしまうことあるから必ず熟達者と練習方法を間違えないようにやりなさいよ、と注意を受けたことを思い出します。

(中略)はじめから勇ましい連歌を練習してしまうと、そのまま連歌の言葉は荒々しくなってしまう。趣深く高尚で優美な連歌を習うと、生れつき未熟な人でも優れた表現様式を身につけられるのである。初心者は、特に優美でおだやかに、連歌に詠み込む素材(句材)を少なくし、滑らかでするするとしている句を、思慮分別があまりなく、口から出るにまかせて、前句に付けるのがよい。このほかに決して連歌の稽古において、先例も口伝えの秘伝もあるはずがない。

「連理秘抄」・現代語訳

カウンセリングの応答技法について学び始めた時、クライアントの一言にカウンセラーとして返答するのにものすごい不自然に時間を使ってしまう傾向があったこと思い出します。悲観的防衛主義の傾向のある私は、授業の中でのロールプレイングでは、面談場面のオブザーバーや、講師、クライアント役からフィードバックされることに必要以上にドキドキしたり、「正解」があるような気がしたり、一つでもずれたり間違った応答しちゃったらダメなんじゃないかとやたらと考え込んでしまっていたからです。クライアントの言葉を言いかえして応答するスキルを使ってみましょう、なんて言われると、やたらめったら長くて難解な文章で言い換えてしまったりして、クライアント役にきょとんとされたこともしばしば。でも、熟達した講師について習い、場に慣れてくると、カウンセリングは二者相互の動的な関係の中で進展していくプロセスなんだということが体感されてきて、カウンセラー役もクライアント役も緊張がほどけ「口から出るにまかせた」言葉を口にすることが怖くなくなります。二者の間の「関係ができてくる」という感覚も段々に体感できるようになります。

(中略)十分に慣れていない初心のうちは、あまり考え込みすぎないことが肝要だ。最初に思い立った一つの思い、初一念と言うように、思い寄るところを心配せず混乱せずに間を置かず出句すべきだ。(中略)連歌は熟達したとしてもなお、善し悪しをはっきりと治定することは難しい。下等な句だと思っても、優劣を判じて評点をつける人の心構えによっては高い評点がつくようなことがあることもいつものことだ。これは評点を付ける人が悪いわけではない。私が善悪をわきまえていないということでもない。ただ、時によっては好みにあうことがあるということで、上手な人にはよくこういったことがある。まして熟練していない人は善悪をわきまえるのは難しい。結局は口を軽くして気持ちを沈ませる必要はない。

「連理秘抄」・現代語訳

カウンセリングを行う上でも、スーパービジョンを受ける重要性が言われている。連歌連句もカウンセリングも、熟練者でも善し悪しを明確に決めることは難しいし、まして熟練していない人にとっては善し悪しをわきまえることもむずかしいから、まずは思い立った一つの思いを大事に自分の内側から外側に出してみる。そしてその外在化した思いを見つめなおすには他者との関わりが必要なんだと、そんなところもオーバーラップしてきます。

こうは言っても、一向に付かない句をせよというのではない。ただ風情、特別な趣もなく、詞も足らない句を、どうしようこうしようとこねくり回すと、初めの案よりもなおさら悪い表現になってしまうことがある。このようにして他の人に越されてしまったと委縮すれば上達することもない。また句作することが面倒くさくなる原因になる。言葉はあくまで優しい言葉にし、前句の語との縁語を少なくし、するすると句を詠むべきだ。
(中略)詞が足りないからといって、花鳥風月など四季折々の風物で飾り立てようとあれこれ競い合うほどに、強引に好みばかりで付けることは見苦しいものだ。(中略)趣深さの尽きない景物を荒れ放題の言葉で毛羽立てることはもっともいたましいことである。

「連理秘抄」・現代語訳

カウンセリングでの応答も、優しい言葉で、飾り立てるような言葉を少なく、するすると。。。


【覚えておきたいことメモ】

縁語…一首の中に意味上関連する語を連想的に2つ以上用いることで歌に情趣を持たせる、和歌の修辞技法のひとつ。 ただし、単なる日常語のイメージからなる連想ではなく、古今和歌集などに掲載される和歌で繰返し連想的に用いられているものでなければ、縁語にはならない。

掛詞…同音異義を利用して1語に2つ以上の意味を持たせる修辞技法

枕詞…主として和歌に見られる修辞で、特定の語の前に置いて語調を整えたり、ある種の情緒を添える言葉のこと。序詞とともに万葉集の頃から用いられた技法。

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