山田町と「新しい町」④

沿岸部に「新しい町」を広めたいと話すマルさんこと佐藤澤一彦さん

 T字路sが去った後、竹松やのマルさんは「新しい町」を山田町のみんなで演奏したら面白いんじゃないかと考えていた。震災の1年前、当時住んでいた盛岡市で初めて彼らのライブを観た。「頭で聴くというより、体ごと持って行かれる感じ」に衝撃を受けた。震災の翌年に盛岡を再訪したT字路sの「新しい町」の演奏に心を打たれ、「ぜひ沿岸の人たちに聴いてほしい」と2014年秋に山田に呼んだのだった。

 マルさんは津波で織笠地区跡浜の実家が半壊した。自家用車で盛岡から約90キロの閉伊川に架かる花輪橋(宮古市)の付近まで来た後、古里を目指して歩いた。4時間ほどして大沢地区川向の辺りまで来ると、がれきに埋もれた町が見えた。あ然として「悲しいとか何とかいうより、無心に近かった」。

 実家は2階までがれきが入り込み、高校生のころから集めてきた昔のリズム&ブルースやロックなど、アナログのレコード1万枚が台無しになった。生まれ故郷で父親と2人で暮らしていくために、東京や盛岡の飲食店で働いた経験を生かし、更地になった町中でプレハブの居酒屋を開店したのが震災翌年の暮れのことだ。

 開店から3年を迎える15年、マルさんはタエちゃんや町の演奏家らに、一緒に「新しい町」をやろうと持ちかけた。11月19日夜。竹松やのフロアには再訪を果たしたタエちゃんと、古いジャマイカ音楽やソウルなどに影響を受けた東京のシンガー、モッチェ永井さんを囲んで、トロンボーンとトランペット、ユーフォニアムの三つの金管、アコースティックギター2本のプレイヤーが勢ぞろいした。それぞれがソロを取り、高揚感と充実感にあふれる演奏を繰り広げた。


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