山田町と「新しい町」⑥(最終回)

 歌の中盤にこんな一節がある。

 <町の中心に 墓ができる 旧(ふる)い時代の 記憶を刻み 戒めと祈りが こめられた 誓いの墓ができる>

 下田さんはこの「墓」に、広島の原爆ドームのイメージを重ねた。ドームは「壊れそうになったら補修して、いつでも一番悲惨な状態を保とうとする、まがまがしい」負の遺産だ。「人は忘れてしまうから、目に入ってくる形として残さねば。いずれ町が復興して繁栄しても、実は自分たちの生活している地面の下に昔死んだ町があるっていうことを覚えていたい。もう二度と(同じ犠牲を)繰り返さないようにしようっていう戒めになりますよね」と下田さんは言う。

 「絶望の底から 立ち上がった この町に陽が昇る」。歌の最後は再生を果たした町に明るい希望を託す。あえて「立ち上がった」と過去形にしたのは、「あの時は全然駄目だと思ってたけど、俺たち、よくここまで来たよなっていう感じで終わらせたかった」からだ。がれきに埋もれた町で新しい暮らしを始め、新しい命が生まれ、新しい町ができる。被災地に暮らす人たちにとっては、歌の世界の中で来るべき「復興」の日を迎えることができる。

 まるで映画のハッピーエンドみたいだと僕は思う。山田町をはじめとする東北の被災地、シリア、アフガン、ヒロシマ、ナガサキ……。この歌が、荒廃から立ち上がろうとする、あるいは立ち上がった全ての国や町、路地裏に捧げられたものであることを確信する。

 タエちゃんは「被災地はもちろん、いろんな理由で町が壊れた人のために歌っていきたい。聴いてくれる人の心に灯がともって、力が湧いたらいいな」と話す。

 下田さんはいつか、「新しい町」を各国語に翻訳して歌ってみたいと思っている。「それまで生活していた場所が壊滅して、途方に暮れたり、心がすさんだりした人たちの支えになればうれしい。ルイ・アームストロングがジャズで広めた『聖者の行進』みたいに、どこの誰が作ったのかは知られていなくても、曲だけはみんなが口ずさめるような。そうなったら音楽家冥利に尽きますよね」

 あの晩のセッションは、町のみんなを大いに力づけた。「まだ何かやれる、これから何か次につながるんじゃないか」とマルさん。野田さんも「失敗してもいい。とりあえず、やってみっぺしっていう精神さえあれば」という。

 阿部さんは、四方から集まった人たちが荒れ野を切り開く様子を描いた「新しい町」の1番の歌詞に思いをはせる。「誰かがじゃなくて、みんなが力を合わせて、一つの町を作る。男も女もそれぞれの分野で、やれることをやっていかないと」

 みんなが、「新しい山田町」という歌をうたっている。

 ハレルヤ!

(終わり)

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