山田町と「新しい町」②

新しい町
作詞・作曲 下田卓

※町ができる 町ができる
 新しい町ができる
 傷つき息絶えた大地の上に
 新しい町ができる

 晴れた日には 瓦礫を片付け
 雨降る夜には 酒で温まり
 希望と絶望を 繰り返し
 新しい暮らしが 始まる

 東から来た男が 土を耕し
 南から来た女が 苗を植える
 西から来た男が 火を熾し
 北から来た女が 飯を炊く

 ※繰り返し

 やがて川には 橋が架かり
 やがて家が建ち 道ができ
 やがてこの町で 初めての
 新しい命が 生まれる

 町の中心に 墓ができる
 旧い時代の 記憶を刻み
 戒めと祈りが こめられた
 誓いの墓ができる

 ※繰り返し

 朝日が昇る 陽が昇る
 新しい町に陽が昇る
 絶望の底から 立ち上がった
 この町に陽が昇る

 タエちゃんは震災の翌年の2012年1月に「新しい町」に出合った。新年のロックイベントの楽屋裏で、対バンだった夜のストレンジャーズのギター、ボーカルの三浦雅也さんが手招いた。「きのうすごい曲を知ったんだよ。タエちゃんも歌ったらいいよ」。三浦さんは興奮気味に言い、薄暗い廊下でギターを弾き語りして、歌詞とコード進行をメモしてくれた。

 三浦さんはその前日に、元DEEP&BITESで、パンダの着ぐるみでプレイする「ギターパンダ」こと山川のりをさんが歌う「新しい町」を聴いて触発された。その山川さんにこの曲を直接伝えたのが、作詞・作曲したカンザスシティバンドのリーダー、下田卓(たく)さん(ボーカル、トランペット)本人だ。ブラスやリズム隊、ピアノで構成する5人組の同バンドは1997年の結成。東京を拠点に、ブルースやスイング、ジャズなど米国中南西部の戦前の黒人音楽を基調とした楽曲の演奏活動を続けている。

 下田さんによると、「新しい町」の歌詞は東日本大震災が発生する以前の2007年にほぼ完成していた。当時、新聞やテレビで、ボスニアやカンボジアの内戦の後遺症とか、アフガニスタンなどの戦乱に関する報道に接したのがきっかけだった。

 「町はがれきに埋もれてるんだけど、逃げ出さずに暮らしている人がいて、これからお店を再開するんだって言ったりね。日本でも原爆が落とされた広島や、空襲で何にもなくなった東京の状況は、僕の父母の世代は経験している。どん底からはい上がってここまで来たっていうようなことを考えているうちに、あの詞ができました」

 しかし、どうしてもメロディーが決まらない。米国の黒人女性シンガーでギタリストのシスターロゼッタサープ(1921〜73)と、ジャズのラッキーミリンダー楽団による戦前の録音のようなゴスペル調の曲にしたいという構想はあった。が、一向にまとまらず、時間だけが過ぎていった。

 そして、4年後の2011年3月11日。パソコンの中で塩漬けになっていた歌詞がリアルな輪郭を伴って、下田さんの前に立ち上がってきた。「津波の映像を見ると、町が目の前でどんどんなくなっていく。そういえば『新しい町』は、町を復興しようっていう歌だなって」。かと言って、これをどうしても世に出さねばという気負いや使命感は特になかった。「なんとなく、やってみたら」かつての構想通りの雰囲気を持つ旋律ができた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?