山田町と「新しい町」③

「新しい町」について語り合う下田卓さん(左)と伊東妙子さん<2015年12月、東京・浅草で>

 その年の初演では、当時蔓延していた過剰な自粛ムードに疑問を感じる反面、「このタイミングで東京の人間がやるのは、ちょっとあざといかなとか、どうなのかなという気持ちもあった。何かメッセージを込めたというより、単にセットリストの中の一曲という感覚で歌いました」。

 新曲「新しい町」は、そんな下田さんの懸念をよそに、じわじわとポピュラリティーを獲得していく。前述のバンドのほか、有名無名を問わず多くのミュージシャンがカバーし、阪神・淡路大震災にインスパイアされた楽曲「満月の夕(ゆうべ)」で知られるソウル・フラワー・ユニオンの中川敬(たかし)さんも15年発表のソロアルバムで取り上げた。

 12年初め、大阪のFM802の番組にゲスト出演してスタジオライブで披露すると、関西を代表するディスクジョッキーのヒロ寺平さんが曲にほれ込み、1カ月間にわたってほぼ毎日かけてくれた。95年に激甚な震災を経験した関西の人々は、深い共感とともに受け入れたことだろう。

 歌が広まった理由を「歌詞に戦争とか震災の言葉は一つも出てこなくて、聴く人がそれぞれに解釈できる。音楽的にはコードや構造がシンプルで、アレンジが自由に効く」と下田さんは自己分析する。岡山県和気町で棚田再生プロジェクトのテーマソングになったり、労働者の町、東京・山谷のシャッター商店街で歌われたりしたこともある。

 歌詞はただ、どことも特定されていない荒廃した町が、東西南北から集まった人々の手によってよみがえる過程を「昔話みたいなストーリーテリング」で淡々とたどる。声高に「がんばれ」とか「絆」とか言わないし、凡百の応援歌とは一線を画す。

 14年10月、T字路sのタエちゃんはライブのため、初めて山田町に降り立った。震災から3年半余り。津波と火災でついえた町は、本格的なかさ上げ工事に備え、家屋や商店の基礎がことごとく撤去されて地表がむき出しになっていた。荒涼とした町を吹き抜ける秋風は、潮と砂ぼこりの入り混じったようなにおいがした。「どれだけ大変なことがあったんだろうかって、言葉を失いましたね」

 タエちゃんも、以前の下田さんのように「東京に住む自分がこの曲を歌ってもいいのか、どう思われるのかという不安があった」。しかし、それは全くの杞憂だった。「あの歌が聴けてよかった、本当にいい曲だってたくさんの方に言っていただいて、すごくうれしかったです」

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