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心が揺らいでもいいんです

3歳のボクと公園に行ったときによく思うことです。
言葉がまだうまく出てこないボクは、公園でお友達を作ろうとしても宇宙語すぎて相手にされないことが多いです。そりゃそうです、理解しろということの方が難しいし、初めて会う人たちに「言葉が遅れています」って言い歩くわけでもない。それでもなんか楽しそうにつきまとっているのがボクです。一応引き際はなんかあるみたいでシレーっとどこかに行くこともあります。

私が暮らしてきたアメリカで見かける子供達は、基本フラットないい子が多いと感じる。一緒に遊ぶ?って声をかけてくれたり、大きな子が仲間に入れてくれたり、なんかよくわからんけど勝手に遊んでくれていたりする。

どんな子にも基本フラットでフレンドリーな印象を感じる。

確かに何を訴えかけているのかわからない子たちだっている。小さい子も一緒に追いかけたいし、なんか楽しそうな輪に入りたいのは大人も子供も一緒だと思う。

ただフレンドリーな子だけではないことも確かで。

特にボクはこういう言葉をかけられていることが多い。
「何を言ってるかわからないから遊ばない」
どストレートに悪気がないからいうのよ。

その光景を目にすると胸がグッと苦しくなる。ボクはうまく話せないだけで理解しているから。何を言われているのか。それが苦しくなるよね。発達が遅れているから、っていう理由は初めて会う子供達には関係ない。公園で遊んでいる子たちはそんな背景など関係ないんだから。自分と違う子、そんな感じかな。

お嬢の時は感じなかった不安というかなんとも言えない気持ち。
気持ちって浮き沈みじゃない。その時によって違うから、沈んでる時には上手に話せない子は公園で遊んではいけないのかな?とか思うこともあるよね。

かといって、勝手にグルーピングする必要もない。そう思っている。
みんな同じ場所で過ごす人間同士、一緒に遊んでもいいし、遊ばなくてもいい。遊びたくなければ離れればいいし、他にきっと一緒に遊んでくれる人がいるはず。大人でも子供でもいいわけで。

いつもゆらゆら揺れる気持ちの中で思って見守っている。

ありがたいことにボクはとてもポジティブなんだと思うわけ。
来ないならいいよ!ってどっか行っちゃったり、ちゃんと自分の意思表示もするし、ニコニコ楽しそうにもする。

その姿は私の気持ちも前に向かせてくれている。

お嬢にとっては、宇宙語のボクがデフォルトだから少しわかってくれてると思ってる。(時々ひどいことも言うけど、その時は説明して理解してる)

そして、逆にね、教えてもらっている。
そう言われるとこんなに苦しいんだ、って思うからこそ、思いやりというか言葉の届け方を我が子に伝えることができる。
例えば、お友達が咳をしていたら「えーーーー」っていうのではなく「大丈夫?」って声をかける方が嬉しいでしょって伝えることができる。それは我が子にだけではなく私にもリマインドさせてくれている。

きっとこれからもっともっとフラットになっていくだろう世界に生きて行くからこそ、自分がフラットに人を見れる人に育ってくれたら嬉しいなと思う。

その過程には自分の心は揺らぐ。揺らいでもいいんです。
揺らぐってことは何かを伝えてくれている証拠なのかもしれないから。

そう思っています。

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