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伊勢路5〜伊勢から熊野へ 内へ内へ入ってゆく感覚と祈りの日

2020年1月17日(金)
今朝目覚めたとき、初めて瞑想の必要性を感じた。
ここに至るまで、身体のケアには毎日かなりの時間を費やしてきた。ケアをすることが翌日の自分の状態に直結することが解っているから。まるで仕事が終わった職人が包丁を研いだりするのにも似ている。

でもそれだけでは何かが足りないような感覚が湧いてきた。それはなんというか「今、ここにある感じ」をよりクリアにしたい感じ。テレビを付けると阪神淡路大震災に関するニュースが。そうか、きょうは1月17日だったんだ。

歩き始めてずっと気になっていたことあった。これまでもの凄い田舎に泊まっているのに、飛行機の音が結構するのだ。目の前の風景と上から聞こえてくる音のギャップに違和感を抱いていた。朝、宿の女将に聞いてみたら中部空港ができてから飛行機の音がするようになったそうで、日によっては機体が大きく見える日もあるらしい。

あと、ここまで歩いていて何処にでも目についたのは、ソーラーパネルとデイケアサービス。環境、エネルギー、高齢化社会。古の巡礼路で目の当たりにする今の世界の縮図。

朝の出発のとき、女将や若女将ご夫婦が私の姿が見えなくなるまで笑顔で見送ってくれた。それは重い曇り空を吹き飛ばすような明るいエナジーのエール。

そして今日から本格的な峠越えが始まる。今日越えるツヅラト峠は最初の大きな峠で、この峠を境に平らかな神の土地である伊勢の地から厳しい霊場である紀伊の山々へ入ってゆく。それはより深く自分の中に入ってゆく感覚と同期していた。この日は雨の予報。上下ゴアテックスを着て出発した。

峠を越えながら、雨の中を歩きながら、この日私は命のことを思った。失われた多くの命の行方。残された者の長きに渡る整理しきれない悲しみ、寂しさ、葛藤。

折しも数日前に友人の弟さんが亡くなったという連絡受けていた。友人はこの数年で愛犬、ご両親を立て続けに見送っており、今回弟さんまで見送ることになるとは、その心境を慮るといたたまれなかった。

旅立った無数の命への鎮魂、感謝。そして何よりも、残された人への想いが溢れてくる。あなたは決して一人ではない。愛する人を失い、もうこの世には誰も自分を愛してくれる人はいないと思っていても、あなたはこの世界から愛されている。

密かに悲しみにくれている人が「たとえかけがえのない存在を全て失っても、私はこの世界から、今なお愛されている」そんな感覚に触れる瞬間がありますように。そして命という松明を掲げながら、この世界で生き続けようと思ってくれるなら、こんなに嬉しいことはない。そんなことをずっとずっと祈りながら歩いていた。

終日雨の予報だったけど、雨は峠を越えてから降り始めた。しかも穏やかな雨。ほらね、世界はこんなにも優しい。今日の雨は慈悲の雨、流れる涙を拭う雨。

今日の泊まりは素朴な老夫婦の営む海沿いの宿。濡れ鼠のようになったわたしの心と身体を、さりげなく癒してくれた。

こんな雨の日もあるんだな。


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