変わることについて

カウンセリングを通じて-もちろん多くのひとたちは普段の生活で-わたしたちは変化し、成長し、回復します。苦しいときには「本当にこの苦しさは変わるんだろうか?」「ずっとこのままなのではないのだろうか?」「この苦しさがこの先も続いていくなんて耐えられない」と考えてしまうことも納得のできることです。たくさんの人のお話を聞いていて「ひとは変わるんだ」と確信しているカウンセラーでもそのひとが「いつ・どんなふうに」変わるのかを予言することはできません。けれども、いずれわたしたちはよい方向へ、自分を生きる方向へ変わることができます。

変化はいずれ確実に起こることではあるのですが、いつどのように、を語ることは難しいことです。自分で語るのが難しいときには、無理をせずに、偉大な先達を頼ることが良いですよね。なんと言っても季節は12月。ひとを描き、笑わせ、かつ涙を流させることでは並ぶ事なき、ディケンズ先生を頼ることにしましょう。

「クリスマスキャロル」。おなじみの物語です。誰も信用せず、人間を疑っていて、こころを閉ざしている、冬の季節よりも冷たい人物、スクルージの「地獄巡り」の果てに自分を取り戻す、回復の物語ですね。物語の始まりでは心を動かさない冷厳なスクルージが、妖精に無理矢理に引っ張られて子どものように喜び楽しんだり、厳粛な気持ちを感じたり、普通の人々の喜びを擁護する。その描写に読み手も同じように楽しみ、笑い、涙するのはさすがディケンズ先生。これが徳のある物語というものですね。

スクルージは「こころを抑える人」として生きてきています。スクルージは妹の記憶や別れた婚約者の記憶を閉じこめてしまっています。あまりにも強く記憶を押し込めてしまい、現実の暖かさを寄せ付けないように努力しているスクルージが回復するためには、記憶を取り戻すことが必要なことです。記憶を旅することは、こころ楽しい経験ばかりではありません。スクルージが「できればごめんこうむりたい」と正直に言うように、触れずにすませたいことも多いものです。けれども押し込めた記憶はずっと大人しくしてくれているわけではありません。かえりみられない、消化できない記憶はその取り分をゆっくりと、けれども確実に持っていきます。子どものころは貧しくつらいながらも妹を思い、若い時にはしっかりと働きながら友人も愛する人もいたスクルージが、長い年月を掛けて誰にもこころを開かないとても孤独で憎まれるようになったように、です。

物語の中で過去の妖精、現在の妖精とともに旅するスクルージは、今まで目を背けてきた記憶を次々に目にしていきます。そこには心温まる思い出も、思い出すことのつらい思い出もどちらもあります。わたしたちは幸せな記憶だけを取ることはできません。難しいことではあるのですが、イヤな記憶や不幸な記憶から目をそらすことによって、幸せで大切な記憶も同時に手からすり抜けてしまうのです。

思い出さないようにすることで、イヤな記憶を避けられるならまだ救いはあるかもしれません。けれども大抵の場合、そこで安心することは難しいようです。現実的にイヤなことや受け入れがたいことは、次々に起こってしまいます。そして、スクルージのように世界の悪い面にのみこころをとらわれてしまい、安心して生活をすることができなくなってしまいます。

未来の妖精の存在はディケンズ先生のすばらしいところなのだと思います。ありうる現実的な未来を想像し、それをしっかりと感じてみること。今の生活の延長に、どのようなことが起こるのかを想像すること。そして自分がどのような未来にいたいと、過去と現実をふまえた上で感じるのか。スクルージは自分の死を見ることによって、その様な未来を迎えたくはないと痛烈に感じます。ディケンズ先生は小さく、でも確実に未来を変えることはできることを、最も変わらないスクルージが変わることを通じて、一人のひとが変わることで、多くの人が変わる可能性があることを描き出します。「人のふるまいは、そのままにしていれば、必ずその行く末を指し示す」「だがふるまいを変えれば、行き着くところもまた変わる。」

もちろん変わったスクルージが若くなるわけではありません。空を飛べる羽が生えるわけでもないし、失った恋人を取り戻せるわけではありませんし、もっとこころ安らかに過ごせただろう時間をやり直すわけにはいきません。すでに年をとってはいるし、それほど残された時間も長いようには見えません。けれども、それがどんなに遅く取るに足らないほど小さいことに見えたとしても、変わることに意味はあるんだよと、ディケンズは優しくしっかりと語りかけてきます。そこには回復することの意義と、悲しみを受け入れ現実を見つめ、その上で進んでいける、一人のひとのささやかかもしれないけれども大きな変化が描かれています。

「変わる」と決めたスクルージも、前日にクリスマスのチャリティーを断った紳士を町で見かけた時に、声を掛けることを躊躇するシーンがあります。変わったと感じても、昨日の自分と違った行動を取ることには勇気のいることです。変に思われるかも、笑われるかも、という怖さはいつでもこころにありますよね。変わることはエネルギーも必要なことです。けれども、それは可能なことです。もちろん私たちには一夜で変化をもたらす素敵な妖精はやっては来ないけれども、スクルージほどロンドン一変わらない、というわけでもないのですから。


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