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生い立ち〜幼少期編〜

皆さんはじめまして。

まずは立ち寄っていただきありがとうございます。

なにやらおシャレに見せる機能なとが色々あるみたいですが、不慣れなので淡々と書いていきたいと思います。
読みずらい部分も多々あると思いますがよろしくお願いします。

生い立ち

1987年11月千葉県に産まれる。
一応性別は男です。
2つ上に兄が居ます。

僕の幼少期は、一言で言うと「変な子」でした。

生まれた家庭は、縁側のある日本家屋平屋建て、
祖母と両親と僕達兄弟、同じ敷地に祖母の兄弟の家が建っており、本家と分家などがある、少し古風なお堅い家庭とでも言いましょうか?ちょっと普通の家庭とは違った家で育ちました。

お盆や正月などは本家に親戚一同が集まり20人くらいで宴会をするのがお決まりでした。
そしてそれが普通の家庭なんだと思っていました。(笑)

そんな古風な家系に、、、

こんな異端児が生まれてしまいました!!

親戚一同が集まれば、クレヨンしんちゃんの真似をしてケツだけ踊りをしてみたり、ほっかむりをしてどじょうすくいをしてみたり、、、(笑)

なんでそんな事してたか今は覚えてませんが、きっと楽しかったんでしょうね^^;

あとは、暇さえあれば、ずぅ〜っと喋ってたみたいです。
ご飯の時も話してて食べるの遅いタイプの子供です。

おかげで今でも酔っ払うと、お前の小さい頃はな〜って言われます(笑)

恐らく母親に似たんでしょう。

父方はお堅い家系でしたが、母方の家系は一般的な昭和の家庭とでも言いましょうか、特別裕福でもなく、家族仲良くワイワイやってきました。

お金が無くても、人間関係が1番!人を大切にしよう!

って教えの家族です。

後々詳しく話しますが、母方の家系の影響がもろに今の僕と言う人間を作ったと言えるでしょう。

母の影響は偉大ですね。

異端児ですから悪戯も沢山しましたね。

クレヨンで畳一面にお絵描きしたり、障子に穴を開けまくったり、床の間にある鳥の剥製の首をボキッと折ったり、、、(笑)
(普通の家には床の間に鳥の剥製なんて居ませんよね^^;)

そんな事すると、いつも決まって親父が怒るんですよ。
怒鳴るんです。
2歳の子に怒鳴っても何言ってるか分からないんですよね(笑)怒ってる事は分かります。
怖いから泣きますよね。

母親
「なんで怒られたかわかる〜??」

「わ''がん''な''ぃい"〜!!!泣」

そうこうしてると、ゴチンッ!!!とゲンコツされるんですよね、、、
そうすると泣き止むんです。
痛くて泣くのは悔しかったんですよね(笑)
これだけは、ハッキリ覚えてるんです。

兄は逆で怒られてる時は理解してるのか泣かず、ゲンコツ食らって泣いてました。

兄に負けたくないって気持ちもありましたね、、、

痛くても泣かないぞ!!石頭なんだ!!
って自分に言い聞かせてました(笑)

そのうち、痛いと笑うって言う変な癖が着いたのはここだけの話で(笑)

他にも変なエピソードは沢山ありますがそれは追追需要があればお話いたします。

両親は共働きだったので、幼稚園に行くまでは、家に居る大半は祖母と過ごしていました。

8時に朝ごはん、10時のお茶の時間、12時にお昼、15時にお茶の時間、18時に夜ご飯、20時半に寝る。(このサイクルは30年経った今でも祖母は変わっていません)

祖母の兄弟の家と行ったり来たり、一緒にお茶したり、行き来して2回お茶したり、祖母に折り紙やあやとり教わったら祖母の兄弟の家に行ってそれを教えてあげたり、水戸黄門を一緒に見たり、暴れん坊将軍を見たり、必殺仕事人を見たり、、、時代劇ばっかり見てました(笑)

そう、武士になるのが幼い頃の夢でした!

そんなこんなで、常に大人に囲まれてる幼少期でした。
これが普通だと思ってました(笑)

幼稚園に行くまではこんな生活を毎日送ってました。
昭和の初期の頃なら珍しくもなかったんですかね?

少なくとも自分の周りにはこういう幼少期を過した人は居ませんでしたね(笑)
2日に1度は知らない大人が家に来てお茶して行く家。

こんな生活してたら人見知りなんてしなくなりますよね(笑)

3歳までの生活でその人の性格や知能指数が決まるって言われているみたいですが、あながち間違ってないのかな?と今では思いますね。

長くなってしまったのでここら辺で幼少期辺は終わりにします。

幼稚園、小学生、学生編に続きを書くとしましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます!!

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これからもよろしくお願いします。

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