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細井平洲ゆかりの地を訪ねて【後編】

平洲記念館へは名鉄常滑線の聚楽園(しゅうらくえん)駅から徒歩約20分。

聚楽園駅前のロータリーでは、細井平洲のキャラクター「へいしゅうくん」がお出迎え。

平洲記念館見学の後は、また聚楽園駅に戻る道すがらに細井平洲ゆかりの地を訪ねました。まずは生誕の地へ。

細井平洲は享保13年(1728年)6月28日に平島村の豪農であった
細井甚十郎の二男として誕生。
平洲の号は誕生地の平島の書き換えとのこと。

現在は生誕の家は無く、記念碑は住宅街の一角に静かに立っていました。

次に、八柱神社へ。八柱神社は、昔はこの地域一帯の荒尾七ヶ村の氏神様。境内には細井平洲が尾張藩に学者として迎えられたときに寄進した石灯篭があります。

八柱神社の階段
安永9年(1780年)に藩主徳川宗睦公の国入りに従い、
尾張藩侍講(*)として初めて名古屋城下に入った。
その年の9月に、この石灯籠を寄進した。
(*)侍講(じこう):君主に奉仕して学問の講義をする人。またはそれを司る人。

最後に観音寺へ。観音寺は伊勢湾に面する丘陵の上にあり、古くから風光明媚な場所として知られてたようです。

江戸時代には寺子屋があり、細井平洲も8歳から10歳にかけてこの寺子屋の義観和尚について学んでいました。

観音寺には大きな樟(クスノキ)があり、壮観です。

「大樟(おおくす)」高さ約23m、幹回り約10m、
枝張り南北約31m、東西約30m
根元には白竜照玉大明神が祭られています。

樹齢数百年の感じで、もしかしたら細井平洲もこの樟を見上げていたのではないか思うとなんだかドキドキしてきました。

とにかく、樟は圧倒的な大きさす。自然のパワーに圧倒され、畏怖のような感情の一方で、なんだか大きなものに文字通り包み込まれいる安心感も感じました。この樟の下でしばし佇み深呼吸。(樟がきになって、お寺の写真を撮り忘れ;汗)

今回は上杉鷹山の先生である細井平洲ゆかりの地、愛知県東海市を訪ねてきました。やはり、ゆかりの地(現地)に行ってみてその人の生きた場を実感するのは、理解が深まる感じがしました。


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