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もうひとりのJames Bond

James Bondと言えば007。

今のDaniel Craigも渋いですが、先代のPierce BrosnanやRoger Moore もかっこよかったなあと思いつつ、、

でも、今回は007のJames Bondではなく、ベトナム戦争当時、アメリカ空軍の戦闘機パイロットだったJames Bond Stockdaleという人のお話。

もともとは、最近、ストア哲学のエピクテトス関連の本を読んだのをきっかけで、ストア哲学を調べていく中で、James Bond Stockdaleという人に出会いました。

始まりはこの本から。

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この本は漫画も挿入されていてわかりやすく書かれています。ストア哲学は約2000年以上前のギリシャ・ローマ時代の思想ですが、欧米を中心に今も影響を及ぼしていることを知りました。

その中でもローマ時代のストア派哲学者のエピクテトスの教えを生徒が綴ったダイジェスト版でもある「要録」(「提要」)と呼ばれる小作品は、「心の平静」を保つためのエッセンスが書かれています(最近では岩波文庫から新訳本が出ていて、下巻に「要録」が掲載されています)。

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エピクテトスの思想はローマ皇帝のマルクス・アウレリウスや、17世紀哲学者のデカルト等、様々な思想家等に影響を与えているようですが、より実践的な人々にも影響を及ぼしているということで、その一人がJames Bond Stockdale。

James Bond Stockdaleがベトナム戦争当時に地対空ミサイルで戦闘機が追撃され、戦争捕虜となり、ハノイの捕虜収容所で拷問に受けながらも7年もの間、生き抜ぬき家族のもとに戻ることができました。そして、周囲の捕虜のメンバーが絶望で命を落として行った中で、生きる糧となったのは、このエピクテトスの「要録」だったと言われています。

そして、この本は彼が大学院で国際関係を学ぶ機会を得た際に、その大学で知り合った哲学教師にたまたま薦められたもの。

彼の著した ”Courage Under Fire" という小冊子がありますが、そのサブタイトルが ”Testing Epictetus's Doctrines in a laboratory of Human Behavior"。

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彼の戦闘機が撃墜され、コックピットから脱出しベトナムのとある小さな村に降り立つ前に、自分自身にこうささやいたそうです。

I whispered to myself: "five years down there, at least, I'm leaving the world of technology and entering the world of Epictetus."  〔”Courage Under Fire" p7〕「これから少なくとも5年は拘束されるのだろう。そして現実社会のテクノロジーの世界を離れてエピクテトスの世界に足を踏み入れることになる」

ローマ時代のエピクテトスの思想を20世紀の捕虜収容所という極限状態で活用し自らを実験材料として実践して検証するという、すごさを感じるとともに、これが時代を超えた「普遍性」ということかと思いました。

逆境や極限状態でいかに生き抜くか、という点において、このJames Bond Stockdaleの話は、ジム・コリンズの「ビジョナリーカンパニー②」にも彼のインタビューとしても掲載されてます。そして企業の危機の回復、また企業のレジリエンスの要素として"Stockdeal Paradox"というコンセプトが議論されています。

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「私は結末について確信を失うことはなかった。ここから出られるだけでなく、最後には必ず勝利を収めて、この経験を人生の決定的な出来事にし、あれほど貴重な経験はなかったとい言えるようにする」(「ビジョナリーカンパニー②」p135)

しかし、こので重要なのは、単純な楽観主義ではなく厳しい現実を踏まえてであるということ。

ジム・コリンズが「収容所で耐えられなかった人は、どのような人か」という問いに、James Bond Stockdaleはこのように答えている。

「楽観主義だ。そう、クリスマスまでには出られると考える人たちだ。クリスマスが近づき、終わる。そうすると、復活祭までには出られると考える。そして復活祭が近づき、終わる。そして復活祭が近づき、終わる。つぎは感謝祭、そしてつぎはまたクリスマス。失望が重なって死んでいく」(「ビジョナリーカンパニー②」p136)
「最後にはかならず勝つという確信。これを失ってはいけない。だが、この確信と、それがどんなものであれ、自分がおかれている現実のなかで、もっとも厳しい事実を直視する規律とを混同してはならない」(「ビジョナリーカンパニー②」p136)

ジム・コリンズは"Stockdeal Paradox"として困難な状況でのスタンスの在り方、対処法を語っているが、なぜそのような考えに至ったのか、その精神的、思想的なバックボーンまでは議論されていない。やはり、ストア哲学の影響が大きかったのではないか。

また、このことは、第二次大戦時のユダヤ人収容所のアウシュビッツから生還したV.E.フランクルが「夜と霧」でも同じようなパラドキシカルな状況が語られているところがあり、すごく印象的で考えさせられました。

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「収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである」(『夜と霧』p121)

James Bond Stockdale は軍人として鍛えられている一方で、エピクテトスの「要録」というドアから外に続く精神的に開かれた道を見つけたのが大きかったのではないかと思います。

身体的・物理的な拘束状態にある捕虜生活であっても内的豊かさの世界を確保できたことで、置かれた状況を堪え抜くことができたのかもしれません。

James Bond Stockdaleは、7年の捕虜生活から解放された時、厳しい拷問により肩や足の骨が折られ、まっすぐ歩くことができない状態だったそうです。彼はいつ解放されるかの保証がまったくない極限状態で、それでも内面的豊かさを保ち続けた。

内面の豊かさを維持しつつ、しかし、そのような極限状態で、なぜ「確信」を抱き、持ち続けることができたのか。

それは、軍人としてのJames Bond Stockdaleという個人の意志力によるものなのか、あるいは、エピクテトスの「要録」による、内面の世界の確立の過程でその精神が練り上げられたのか、その点はもうすこし考えてみたいと思いました。

ちなみに、James Bond Stockdaleの人生とエピクテトスの関係、ビジョナリーカンパニー②等の内容が、Ryan Holidayというストア哲学を紹介している著述家のYoutubeでアップされています。

現在のコロナ禍の状況は、ここまでの極限状態ではないにせよ、外的環境の自由を奪われている状況であり、そしてその中で精神的な圧迫感を抱えていることは、ある意味、ジム・コリンズや、V.E.フランクルの言うところのパラドキシカルな状況に似ているとも言えなくもない。

もう一人のJames Bondの生き方は、今の私たちの生き方のヒントになるかもしれないと思いました。


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