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藤井風に会いにマニラへ

先日、藤井風のアジアツアーコンサートを観に奥様とマニラに行ってきました。

ホントは、奥様は娘と行く予定だったのですが、娘がどうしても外せない用事で行けなくなってしまい、、チケット1枚浮いた状態に。。

「一緒に行く?(連れてってもいいわよ)」

とのお誘いに、

「はいっ!よろこんで!」(3軍から急遽1軍昇格!的な。。)

ということでマニラに行くことに。

正直言って、始めは「藤井風。。うーん。。」という感じでした。

そりゃ、歌唱力、ルックスは良いし、ピアノは上手いし。。

そうなんだけど。。。

今や登り龍のような勢いの藤井風。

とは言え、どこがそんなに人気があるんだろう。。と、

年甲斐も無く、おじさんは、やや斜め目線でみていたもの正直なところでした。(ファンの皆様、謹んでお詫び申し上げます、、汗)

なのですが、コンサート前に家で、車で藤井風の曲を朝な夕なに聴いているうちに(聴かされているうちに汗)、、

Xに投稿した方の気持ちもよく分かってきて、、w

とにかく、藤井風に直接会える絶好の機会なので、奥様に連れて行ってもらおうと思いました。

最近、自分の知らない世界、自分自身ではあまり興味のスコープに入っていない世界、アウェイな世界、居心地の良くない世界にあえて飛び込んでみる。

そんなこをとちょこちょこやってみているので、そのノリで行ってみることに。

マニラのホテルでは藤井風の顔がプリントされたTシャツを着ている人と、何人もすれ違い、そのたびに「あれ、あそこにも、あそこにもいるよ」と奥様に声をかけてしまい。。。

正直なところ、気合入っているなあと思ってしまったり、、(スミマセン)。

奥様は、あまりグッズに興味を示していないようで、Tシャツは持っていませんでした。

まだ、いまいち藤井風コンサートのモードになれないまま会場に。

コンサートホールは、マニラ湾近くの巨大ショッピングモール、「SMモール・オブ・アジア」の一角にある「アリーナ」。

20時コンサート開始。

もうすでにしびれる展開。
コンサートはすべて写真、動画撮影がOK。
藤井風登場前のオープニングでマニラの夜はすでに異常な熱気。

藤井風登場。

うん。
確かにカッコいい。
男から見てもカッコいい。
カッコいいという表現もフィットしていない感じもする。。
みずみずしく輝いている感じ。
美しい感じ。。。
どう表現したらいいんだろう。
アリーナ席の前の方だったので藤井風が良く見える。
ピアノは上手いし、サックスも吹けるなんてズルい!w
中央の花道のようなステージにも近かったので藤井風が目の前に!
斜に構えていたおじさんもすっかりノリノリに~
ダンサーの動きもキレキレ。
”死ぬのがいいわ”の演出。
世界的なヒット曲でもあるので大盛り上がり。
”まつり”では私も思わずみんなにつられて同じおどりを。。

気付いたら、自分も立ち上がってみんなと歌って踊っていました。

全曲歌い終わっても、マニラの会場の熱量、アンコールの声がすごい。

アンコールは滅多にやらないそうですが、藤井風は少しだけ歌ってコンサート終了。

コンサート後は会場ロビー内でのグッズ販売で長蛇の列。そしてTシャツは残り2種類に。

奥様は興味ないのか、列には見向きもせず外に出ようとしている。

実は、自分はホテルで見たあの全面藤井風の顔のTシャツを買いたいなあ、それを着てマニラの街を歩きたいなあという心理状態になっており、、(奥様には言っていませんが)。

「記念だし買わなくていいの?」と奥様に水を向けてみましたが、コンサートだけで満足してしまったよう。

結構な長蛇の列で、売り切れる感じもあり、後ろ髪を引かれる思いでコンサート会場を後にしました。

藤井風。

なんというか、キラキラ輝いているというか、光っているというか、艶があるというか、、。

老若男女問わずみんなを魅了するものがあるなあと感じ入りました。

最近では、藤井風は米国の大手レコードレーベル、Republic Recordsと契約したとのこと。

しかも、そのレーベルはテイラー・スウィフトやアリアナ・グランデも所属する大手。

それはそれで、すごいことですが、世界的な大手レコードレーベルとしても今後の世界的なトレンドを見てのことではないか、あるいはそのようなトレンドを作って行くためではないかとも思ってしまいました。

もちろん、本人の魅力、実力ですが。。

藤井風の魅力。

歌唱力、声質、ルックス、ピアノ、サックス、語学力、時には変顔をするサービス精神、飾らない自然なふるまいなど、多々あると思いますし、それぞれがそれぞれの藤井風に魅力を感じている。

しかし、やはり、大きな魅力として、藤井風が表現する「歌詞」にあるのではないかと思っています。

その歌詞から醸し出される世界観。

例えば、”花”。

枯れていく
今この瞬間も
咲いている
全ては溶けていく

何が出来るのだろうか
誰を生きようかな

みんな儚い
みんな尊い

しわしわに萎れた花束
小わきに抱て
永遠に変わらぬ輝き
探してた
僕らを信じてみた
僕らを感じていた
咲かせにいくよ
内なる花を

”花”(藤井風)

「内なる花」とは何だろうか?

永遠に変わらぬ輝きをもつ内なるもの、しかもみんなひとりひとりがもつ尊いものでありつつ、儚いもの。

それであっても、尚それを咲かせうようと「内なる」もののアプローチしていく。

金子みすゞの詩の世界にも通じるような。

例えば ”帰ろう”。

あなたは夕日に溶けて
私は夜明に消えて
もう二度と 交わらないのなら
それが運命だね

あなたは灯ともして
わたしは光もとめて
怖くはない 失うものはなどない
最初から何ももっていない

”帰ろう”(藤井風)

「最初から何も持っていない」とはどのようなことなんだろう。

確かに、人は、身一つで生まれてきて、身一つであの世に戻って行き、なにも持って行く事はできない。

自分の灯をともすとは何をすることだろうか?

例えば、”まつり”。

愛しか感じたくない
もう何の分け隔てもない
まとめてかかってきなさい
今まならすべて受け止めるから

で一体何が欲しいわけ
誰に勝ちたいわけ
なかなか気づけんよね
何もかも既にもっているのにね

花祭り夏祭り
何でも好きに遊びな
あなたの心の中を咲かせな(えいっ)
秋祭り冬休み
その閉じた心 今こじ開けな
あっけーな
ラッセーラ

”まつり”(藤井風)

「初めから何も持っていない」一方で、実は「何もかもすでに持っている」。

そして、自分で、自分の判断で、自分の意志でで自分の好きな色を選んで心の中で(花を)咲かせることができるんだよ。

「内なる花」を咲かせてみたら。

と、藤井風はメッセージしている。

そして、”満ちてゆく”。

開け放つ胸の光
闇を照らし道を示す
やがて生死を超えて繋がる
共に手を放す 軽くなる 満ちてゆく

晴れてゆく空も荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を放す 軽くなる 満ちてゆく

”満ちてゆく”(藤井風)

「愛でる」という言葉も印象的です。

「愛(め)でる」とは、美しさを味わい感動する。つくしみ愛する。かわいがる。関心する。ほめる事。。

どんな時、どんな状況だったとしても「愛(め)でていく」心の余裕、あるいは覚悟を持つということかと。

そして、「何も持っていない」と思っているけど、実は「すべて持っていている」ことに気付き、相手にGiveしていく。

手放すことで満たすことにつながること。

満たすために手放すこと。

一連の藤井風の歌詞・詩を読んでいるうちに、ふと

「自灯明(自燈明)」という言葉を思い出しました。

ブッダが亡くなる(入滅)前に、

弟子たちが「これからは何を頼りに生きて行ったらいいでしょうか」と尋ねた時に

「自らを灯火とし、他をたよりにせず自らを拠り所としなさい。自分自身を頼りとして生きていきなさい」とおっしゃったとのこと。

お釈迦さまはべつに自分(お釈迦さま)の考えを強要するものではなく、自分(お釈迦さま)の言葉を拠り所にせよともおっしゃらなかった。

ただ数学者が静かに示す定理のような、この世界を貫く法則があるだろうし、それを実感できるように自己を整えなさい。

そしてそういう自己を、拠り所にしなさいとおっしゃったのである。

「自燈明」(p8)玄侑宗久_三笠書房
仏教は「自分を拠り所に」と言いつつ、「無我」も言っている。
「捨てなければいけない私」から「「拠り所にできる私」へ移行させることが
「整えし自己」を目指すこと、と著者は語っています。

藤井風の楽曲の底辺には自分自身の「自灯明」を探し求める東洋的なテイストがあるような気がします。

AI等で急激な社会変化が起こるかもしれない不安定で不安な思いがある一方で、新しい道筋ができ始めるかもしれない兆しへの期待感。

そんな時代だからこそ、世の中の意識の動きが自分自身の内面にも向かっていることと、藤井風の世界観が大きく共鳴してきているのではないか。

などと、つらつら考えてみましたが、、

まあ、あまり何も考えずにカッコいい藤井風のライブを楽しむ。

それだけで、十分に「心が整う」感じがしました。

とりあえず紅白が楽しみです。

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