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人として、神として(9/16)

どんな風に八つ当たりしても、状況は変わらない所か、悪くなる一方だ。素直に、従順になろう。神に対し、人に対して。
スピリチュアリズムにも謝りたい。ゴメンなさい。
この変な日記も、残りわずかだ。別のノートもあるが、普通の、ごく普通の日記にする。作家気取りのイカレポンチは、もう、止めだ。人生40年、確かにシンドかった。キツイ人生だった。だが、それは自業自得が大きい。もっと自分を大切に、人に親切に、神に従順になろう。
でも、Aさんとの恋が成就せず良かった。僕の人生に巻き込む所であった。いや、僕の錯覚だ。でもこれで良し。全てなるようになる。恋はしてもしなくても良し。もう40代、本当、大人しくしよう。なんだかんだ、楽しいこともなくはない。明日死んだとて、後悔もしない。
僕はスピリチュアリズムに貢献したかった。小我な動機と大我と、どちらが占めていただろう?もうわかんない。でもいいや、僕は病気と付き合っていくし、自殺願望も絶対克服する。絶対克服できる。愛を知ったし、後悔もある。生き乍らの再生、がスピリチュアリストならできなければ。
こんなウスノロでも、まだヤレることは少しはある筈。少しでも、少しでも。
電話番号、どうしよう…。変えた方が楽だが、全部縁を切ることになる。楽なら、楽でない方を選ぶ。解約して番号を変えるのは止め。
人生って、面白くてシンドくて、(ちょっと過酷で)、けど楽しいものにしたいって思えた。
まだ、生きてる。
41年、確かに長かったけど、もうちょっと頑張ろう。
善人として生きれば、お迎えも早くなるかな…笑
不純だな、これは。
まあ、良し、善く生きる。
神として生きる。(未熟ではあっても、神。)

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