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最も偉大なものは、最も素朴なものだ(9/10)

難しい文体を、カワイイ字体で印字したら、素敵に可笑しいに違いない。まるで、ピカチュウがハイデガーを語りだすような。例えばゲーテの死に際の言葉、「もっと光を」を、女子が好みそうな字体で活字にしたら、きっと楽しいものになるに違いない。そんなシリーズがあっても良さそうだが、無い所を見るとそんなに需要はないようだ。
丸文字の「自省録」なんて、見物だと思うのだが…。
(ちなみに、神谷女史の訳が好き。)
そんな僕の字体も、少しカワイイらしいから、自分を珍獣に例えたことはあまり的を遠く外してはいないかもしれない。
正直に書くと、学歴は三流の公立大中退で、しかも理系であり、調理師学校卒業なので、もしこのノートが出版され、哲学・宗教の棚に並ぼうものなら、腹を抱えて笑う人も続出するだろうと思われる。まるでレモンを爆弾に見立てて本屋に置いてくるようなものだ。趣はだいぶ異なるが、そんな「事実は小説より奇なり」を実例で行くものも見たい気もする。
(まあ、おかしな本の中に、おかしな本が混じるだけだ。クダラナイ、クダラナイ。)
「王様は裸だ!!」と云いつつ、自分も裸である子供、それが自分の姿であると思っている。
(絵本では、ちゃんとパンツをはいている。それは変だ。裸ではない。)
(まあ、そんな絵本は売れないし、大人の事情もある。)
(それくらい分かるくらいには、僕は賢い。エッヘン。)
だがしかし、この自分像は理想像でないことは確かであり、キチンとパンツやシャツをはいて着ようと思う、今日この頃である。
(最も偉大なものは、最も素朴で白い。)

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