あなたへ。

自分が悲劇のヒロインであることは、人生を描いていることであり、胸を張っていいんだ。
悲劇のヒロインがいなければ、シナリオは次に進まないからね。

夜、スマホの明かりで部屋の中にできた影が私の友人である。光の元となるのは小さい画面の中で繰り広げられる連続ドラマ。見ながら子供の時のことを思い出した。画面の中で泣いてる役者を見て、その涙につられた事が何回あったんだろうか?と考えた。数えられないほどたくさんのドラマをみて育った。ドラマを見ていない瞬間なんてなかった気がする。ディズニーの並び時間だって、ああ、確かミスiDの面接の待ち時間ですら、坂本裕二のカルテットを見ていた。

去年とある人から、作品を作るなら孤独になりなさい、と言われ、それだけで全てがわからなくなった。全然悪気がないのもわかるけど苦しかった。忘れられなかった。1日たりとも、頭から離れないで、私の心を蝕んだ。思い出さない瞬間があると、その後ふと思い出した時のダメージが大きくなるから、常にうすらと思い出すようにしていた。記憶と距離を置くなんて、そんなの怖かった。
元々家族から見放されてたからせめて友人が欲しくて、誰かに褒めてもらいたくて、自慢できる事として脚本を書いていたから、1番の目的を殺してでも脚本を書く理由がわからなかった。
夢を踏み潰されたみたいで、ここ1年映画も舞台も見れなかった。自分の監督した作品も苦しくて全然編集に向き合えなかった。自分の仕事に向き合えないってことは、みんなの信頼を失うってことで、すごく責められた。死にたかった。どんなにみんなから責められても、もう映像と向き合おうと思えなかった。だって、物を作れば作るほど、友達はみんな離れていくんだと確信したから。
唯一見つけた希望を突然失って、すごい喪失感だった。中学生の頃、授業中に脚本を書いていて、数学の先生に原稿用紙を取られて集中しなさい!と怒られた時と同じくらいショックだった。

いつからこんなに人生がつまらなくなったんだろう。大人ってこんなに面白くないんだなと思った。いつか来る死を楽しみに毎日を過ごした。それなのにご飯を食べる自分が許せなくて、生きようとする自分を懲らしめたくなった。死にたいのに、生きようとする自分が、決意が薄くて許せなかった。だけど、事故死は他人に迷惑をかけるし選べなかった。自殺も、失敗して入院して、腕や太ももや、身体中に沢山管を刺された事があるから、もう選ぶのが怖かった。
自然と死ねればいいのになと毎日考えるばかりで、脚本を書きたいと思うことは無くなった。
2度と、2度と私は表現なんてしたくないと思った。
負けた気がした。負けて、孤独になって作品を作ることにした気がして、作ったら負けな気がした。

ドラマを見れなかったはずの私が、今日ドラマを見ていた。
きっかけは特になかった。あの苦しみが1年近く経ち、少し弱まったのかなあ。寂しい。あの時の苦しさを手放してしまう自分が、悔しい。
遺書に、本当に真の孤独になれた、と書いて死にたかったのに出来ない自分が情けなくて悔しい。

だって普通に全然友達いるし、全然いける、作品作りにおける孤独なんて言葉の綾でしかないのは分かってる。

だから、私は今この文を、読むかわからない、あなたに向けて書いている。
私は作る。私は作る。私は作る。私は、

あなたの認める天才じゃなくても、家族が私を愛さなくても、「孤独になるの!?あの人の言葉に負けるの!?」と自分に責められても、私は作る。

私という存在は、あなたからどんな残酷な表現の仕方をされても、あなたから最低な人間として描かれても、私は、私は、作るよ。

これは己に負けたわけじゃない。孤独になったわけでもない。ただ、今日見ていたドラマが面白くて、悲しくて、涙が流れてしまったから、子供の時にドラマを見て泣いたピュアな気持ちが、強烈に思い出せたから。

お互い、色々あると思いますが、私は私の人生を歩みますから、物語を描きますし。頑張りましょうね。あなたも。なんだかんだ、影から応援してます。

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