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とある美味しんぼ系ラーメンの超なが~いレビューの話1/2「究極の醤油ラーメン編」

とあるリッチな美食愛好家さんが、人気実力ともに県内トップの店主様に「最高のラーメン」づくりを依頼。

その依頼に対し、職人気質の店主様は日本中から納得のいく高級食材を調達し、究極の醤油ラーメンと至高の煮干ラーメンを完成させました。

しかしラーメンのスープを一杯だけとることはできないらしく、美食愛好家様のご厚意により、そこで生まれたわずか数杯のうちの一杯に私もご招待いただくことができたのでした。

そんな美味しんぼ状態の一杯、一応ラーメンレビューを楽しんでいる私としてはその感動を文章にしたためるしかありません。

というわけで二杯をワンセットにして提供されたその一杯目、究極の醤油ラーメンからレビューさせて頂きます。

【高級醤油マニア】
一流食材だけで構成された、まさに贅沢を極めた一杯であります。

・タレ…広島県寺岡屋長期3年熟成醤油・岐阜県関ヶ原たまり・鹿児島県洗双糖・愛知県有機本格三河みりん
・スープ…秋田県比内地鶏鶏ガラ
・麺…国産小麦「和華」使用 全粒紛入りストレート細麺
・具材…沖縄県あぐー豚肩ロースチャシュー
・香味油…比内地鶏チー油

まずはスープから頂きました。
そして口にしたその瞬間、未体験の質感に体中の力がすっと抜けていくような感覚を覚えました。
比内地鶏チー油の舌触りが誘うシルクのようなキメ細かさに驚かされます。
オイル特有の弾くような艶やかさではなく水に溶け込むかのような肌馴染みを覚えさせ、同時にそこに香る透明感溢れる綺麗で雅やかな香味と風味が、この一杯が成す究極の素材美の序章としての務めを完璧に演出していました。
素晴らしいチー油です。
美しさをそのままに、口の中であまりにも滑らかな表情でスープに溶け込んでいきます。
その淡く、すーーっと姿を溶かし込んでいくその様に、得も言われぬ美しさを覚えます。
そしてオイルとスープが重なり合うまさにその瞬間の、まるで美しさが共鳴し光を放つような華やかなる美味しさ・・・、壮絶なるその一瞬の煌めきと、切ないほど美しいその味わいに感動が止まりません。
例えようもなく劇的な一瞬が、一口一口に対して常にライヴで表現されていくその奇跡は、ラーメンという概念を超えた表現力を纏っていたのです。

そしてさらに驚かされたのが、ベースとなる比内地鶏鶏ガラスープの素晴らしさであります。
最も美味しい鶏の赤身があるとするならば、まさにこのスープの味わいではないでしょうか?
脂身による化粧を無駄に感じさせることがないままに、綺麗な赤身だけがもつであろう洗練された旨味が表現され、その性格が、この一杯に優しくも優雅な世界観を築きあげるのです。
淡さを感じさせる柔らかさがあり、一方ではその味わいの深みからは吸い込まれそうなほどの奥行き感が主張されています。
そしてチー油の優しさに彩られながらも終始すっきりとした透明感ある表情が奏でられています。
説得力のある繊細なる美しさというものを、このスープは教えてくれます。
全ての美しさに、凛とした表情が満ち満ちているのです。

そしてその秀逸なる美味しさは、後味にもしかり。
美しきスープの味わいに、寺岡屋長期3年熟成醤油がさらなる品格が重なります。
ここにブランド醤油にありがちな個性を主張し過ぎる性格は感じられません。
ここにあるのは、まさに比内地鶏鶏のスープの個性と調和するべき曖昧さの一切ない纏まりあるコク、そして尖りなく伸びやかなキレであります。
その個性が、スープの下側からすっとその姿を感じさせ、スープの風味がまた一つ優雅に押し上げられるのです。

そんな寺岡屋長期3年熟成醤油の味わいが舌の上に広がると、一瞬タイミングを遅らせながら上から撫で上げるように味わいを広げるのが関ヶ原たまり醤油でありましょう。
そこにじんわり柔らかな甘味を浮かべ、さらにはその甘味をもたつかせずに照り感を演出させるのは、鹿児島県洗双糖や愛知県有機本格三河みりんの個性がここに同調しているからかもしれません。
比内地鶏と寺岡屋長期3年熟成醤油の気品溢れる味わいに対して、甘くとろっとした質感を覚えさせながら広がる関ヶ原たまりの個性が、後味での重厚で柔らかな温かみを生み出します。

そしてこの温かみが心を打つのです。
その瞬間、この作品がもつ芸術性や優雅さ、気品といったものが一気に食べる側の心へと吸い込まれていくように感じられるのです。
近寄りがたき気高さが奏でる圧倒的エレガンス、そしてそこに演出された気品溢れるエモーショナルな表情・・・。
その二つの魅力が、食べる者の胸に同時にその美味しさを訴えかけるのです!!

余韻では再びチー油の優しい香味が甘く囁きます。
その素晴らしき内容、そして持続力あるその表情に、次の一口を待つ箸、あるいはレンゲを持つその手が止まってしまいます。
何という美しさ!!!!
そして自分は、何という優雅で素敵な時間を体験しているのだろうかと驚かされるのです!!!!

そんな美しさを極めたスープに対する麺には、比較的華奢な性格のものが使用されていました。
しかしこれがまた絶妙なる調和を生み出しているのです。
国産小麦「和華」を使用したというその麺は、細く、柔らかな質感であり、その味わいもまた優しく柔らかなものでありました。
小麦の個性が見事に生かされています。
しっとりと麺の自重を舌に携えながら、柔らかな味わいを緩やかに舌に広げていきます。
全粒粉の個性が、小麦に野性味ある表情を軽やかに彩り、優しさの中に芯のある穀物感を主張していました。
愛おしいです。
麺の魅力が、あまりにも愛おしく引き出されています。
スープの洗練された味わいの中で、麺はしなやかにその身をなびかせ、穀物が秘めたる生命感ある表情をその透き通るスープに映し出していくのです。

トッピングにはあぐー豚肩ロースチャシューが使用されています。
正直言うと食前、このセレクトに対していくらかの疑問を持っていました。
比内地鶏のすっきりとした味わいに、あぐー豚の脂の甘味は馴染まないように思えていたのです。
しかし実際に味わってみると、あぐー豚のチャーシューからは豊満で丸々とした、艶もはっきりとした豚の甘旨味が主張されながらも、その味わいが溶け出してスープを濁すようなことはなく、口の中で比内地鶏の表情とのコントラストが美しく描かれていたのです。
双方の味わいに実に無駄がなく、旨味豊かながらも纏まりがあるために、距離感が故の共鳴が感じられます。
あぐー豚のチャーシューの味わいに舌鼓を打ちながら、水を一杯頂き、次のスープを口にしたときのその感動的な味わいは、全ての素材に雑味がないからこそ成立するものでありましょう。
そして一口一口と高まっていく、あるべきタイミングであるべき素材へと舌のピントが合っていくその感覚に、自身の味覚が研ぎ澄まされたかのような感覚を覚えさせられていました。
しかしそれはもちろん、この一杯に使用される素材のもつクオリティーであり、同時にこの一杯を生み出した店主様の完璧なる調律によって築かれたものだったのです。

この作品には、一切の無駄のない美味しさが存在します。
そしてこの個性が、この作品の1から100にまで貫かれていたのです。
間違いなく完璧な作品でありましょう。
ラーメンらしさをこれだけ強調しながら、これだけ美しく、これだけ美味しいラーメンを私は他に知りません。
「究極のラーメン」という言葉に、最も相応しい一杯であると確信できます。
そして圧倒的な素材力で、日常から乖離した研ぎ澄まされた美しさを表現しながら、一方では心を打つ味わいで感動させるこの作品こそ、「真のエレガンス」を表現した唯一無二の料理であったと確信するのです。

クリエイティブディレクターの浅野矩美さんがこう語っています。
エレガンスとは、考え抜かれたシンプルさ、つまりは「侘び」であると。
侘ぶ(※ 侘びの動詞形)というのは、限られた時間の中で、そこにあるものと知恵を使って、いかに品よくもてなし、相手に満足してもらうかということ、そしてその「侘び」とは、その人の人生経験だったり、キャラクターだったり、工夫や趣味といったものが全てに集約されてくるものであると。
だからこそ、その時々で上品さを兼ね備えたシンプルなもてなしができるかどうかは、作り手が自分の中にいろんな引き出しを持っているかにかかってくるのだと…

この作品を最初に味わった時、私には一瞬、これが店主様の作品らしくはないようにも思えました。
その理由とは、この店主様の作品の最大の魅力の一つである作家性や、作り手の思い、狙いといったものが、主張的に演出されていないことにありました。
その一杯から作り手を感じられる・・・、この店主様はこういった作品を生み出すことができる希有な才能を持つ料理人であります。
しかしこの「高級醤油マニア」は、一見するとその個性が希薄なようにも思えたのです。
ところが先ほどの浅野矩美さんの言葉を思い返した時、この作品もまた実にろたすさんらしい真意を感じさせてくれる一杯であったことに気付かされたのです。
レギュラーメニューとして成立させるべき限られた素材の中で「知恵を使って品よくもてなし、相手を満足させていく侘び」が店主様らしさであるならば、素材選びに一切の制限を取り払い、贅沢の限りを尽くしたこの作品において、作り手の個性を主張することよりも素材感を理路整然と構築させることに拘り、「上品さを兼ね備えたシンプルなもてなし」を成し遂げたその姿勢もまた、まさに店主様の美学であったと思えたのです。

もちろんこの作品の素晴らしさ、完成度の高さの根底には、店主様がこれまでに生み出してきた名作の数々があったことは間違いありません。
しかしこの雑味のない究極的にキメ細かくクリアな味わいを持つ数々の素材を完璧に調律させた一杯は、あまりにも美しさが整然とし無駄を一切感じさせないために、最初の一口を味わった時点では、作り手の色気が感じられないようにも思えてしまうことも無理のないことだったのです。

ところが・・・
この作品は、一口ひと口と味わっていくことで、そこに新しい感覚の芽生えを感じさせていきます。
スープの美しき余韻が心に積み上げられていくたびに、これら素材にかかわった生産者への感謝の気持ちが膨れ上がっていきます。
それは一つひとつの素材に対し、その魅力が誠実に表現されているからでありましょう。
この作品はただ美味しいと呼ばれる素材を並べただけはありません。
素材に対する料理人の憧れや敬意といったものがあればこそ、その美味しさを素直に引き出すために料理人の知恵や技術といったものが誠実に注ぎ込まれているのです。
そしてスープを飲み終えたとき、その美味しさへの感動と同時に、この作品を生み出した料理人への感謝が心に溢れかえってきたのです。

そしてその時・・・、
私がその出会いから天才であると信じてきた店主様が、改めて天才であることが証明されました気がしたのです。
この一杯に感動すると同時に、自分がラーメンを食べるようになったこの数年の日々に対しても感動できた気がしました。
自分がラーメンに注いできた感覚というものに、誤りがなかったように思えたのです。
そのことが兎にも角にも嬉しく思えたのです。

これだけの名作を前にして、私個人の話になってしまい恐縮ですが、私が他の分野のサイト運営者から、突然ラーメンのレビュアーに転じた理由の一つが、店主様の存在でありました。

修行先で生み出してきた数々のレギュラーメニューそして限定メニュー、さらにはそこで立ち上げられた「別暖簾」という新しい試みを通じ、店主様の才能には感動させられ続けました。
一杯の椀でこれだけの美味しさと作家性を表現できる料理人がいるという事実に驚かされました。
そしてその修行先で、店主様自身がプロデュースした無題ブランドより生み出された「ど煮干中華そば」を食べたその日に、私はラーメンサイトを始めることを決意し、翌日にはスタートさせていたのです。
もし私のラーメンレビューのスタートがこの店主様のど煮干中華そばであるならば、この高級醤油マニアは、そのゴールにも値する一杯であったとすら思えます。

完璧です。
「高級醤油マニア」は、美味しいの本質を一気に深めてしまうほどの名作です。
この作品を味わった私自身、この作品を通じて食の理解に対して大きな成長を感じさせて貰いました。
そしてこの作品のポテンシャルは、この作品を作り上げた高梨店主様自身に対しても、その理想を更なる高みへと導き、今後に続く名作への糧となっていくことと思います。

ところで、
このお店のような魅力的な限定作品の多いお店に対し、しばしばレギュラーメニューにストイックであるべきだという非難があったりもします。
しかしこの「高級醤油マニア」は何を意味するのでしょうか?
レギュラーメニューでは絶対になしえないアプローチを施した作品でありますが、その一方ではこの作品を生み出した瞬間、、この作品がこのお店の新しい基準の一つになったことと思います。
時流に敏感であり、食べる側、そして作り手の進化も激しいラーメンというジャンルにおいて誰よりも高い基準を定めることに成功したこのお店は、その領域に踏み込めていない世の多くのラーメン店よりも確実に一つ高いステージからの感覚と視野の広さ、誰よりも高い理想をもって今後のレギュラーメニューに取り組んでいくものと思います。

究極を知った店主様の、これからの作品づくりに、今まで以上に興味が湧いてきました。
そして私自身、究極を知ったことにより今まで以上に店主様の「知恵を使って品よくもてなし、相手を満足させていく侘び」が理解できるようになっているかもしれません。

今この瞬間、このお店のレギュラーメニューを改めて食べたいという衝動に駆られています。
そこにある店主様の侘びを感じながら、屈指の淡麗系ラーメンの味わいにも舌鼓を打ちたいと思います。

(続く)

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