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とある美味しんぼ系ラーメンの超なが~いレビューの話2/2「至高の煮干ラーメン編」

超高級食材による二杯ワンセットの珠玉のラーメンコース。
ぶっちゃけ超ウルトラメガトン級に贅沢です。
今回はその二杯目の話。
因みに容姿がシンプルな理由は、スープの風味と香味をストイックに味わいたい私が、海苔とネギを外して貰ったからであります。
店主様、すいません(>_<)
ちなみに前回のお話(1杯目究極の醤油ラーメン)はこちらから…
https://note.mu/sato_kurihu/n/nd7fef49fc8ac

「高級ろたす(煮干ラーメン)」

タレ…生揚うす口醤油・鹿児島県洗双糖・愛知県有機本格三河みりん
スープ…秋田県比内地鶏鶏ガラ・香川県最高級銀付伊吹いりこ
麺…国産小麦「和華」使用 全粒紛入りストレート中細麺
具材…沖縄県あぐー豚肩ロースチャシュー・静岡県はっとりの焼き海苔極上
香味油…比内地鶏チー油

このお店の絶対美食「煮干ラーメン」の超高級食材バージョンです。
限定的に提供された一杯に、運良く出会うことができました。
ちなみに私が頂いたものは海苔、葱が別でありましたので、椀上にトッピングされていません。

そんな「高級ろたす」、まさに優れた作家の作品でありながら、前例がない程に素材の美しさに誠実な作品であり、その味わいの向こうに店主様のストイックな姿勢が感じさせられるような一杯でありました。

音楽に例えるのであれば、これまでの(もちろんこれからも)店主様の作品には、優れた楽譜を優れた楽器を用い、それを素晴らしい演奏で再現すると同時に、その音源をより感動的に、興奮的に誘うアレンジが成されていました。
そしてそのアレンジの部分に、高梨店主の独創性や、食べる者の期待を突く巧さがあり、逆に言えば食べる者…、つまりお客さんへの敬意と理解を感じさせられたのでした。

例えば二種類の煮干しを用いて味わいの幅を広げ、展開に起伏を生み出したり、あるいは煮干しの質感にわずかな荒々しさを残すことでエッジの効いたロックした性格の旨味を導いたこともあったと思います。
ただ美味しいだけに終わらない、食べる者の期待に応え、さらにはその一歩先を行く喜びを与えてくれるからこそ、このお店の店主様だけがもつ「食べる者の心の掴み」というものが感じられてきたのだと思います。

経験は楽曲、素材は楽器、技術は演奏、そして創意工夫がアレンジと例えられるかもしれません。
この作品は、通常よりもさらにさらに優れた楽器を手にした演奏家が、これまでの経験や技術の全てをその演奏に注ぎ込むことで、究極の本物感を表現したものであったと思うのです。

ここにはアイディア溢れるリバーブの加え方や、高揚感を誘うべく施されたオーバードライブ、そして小奇麗にまとめるためのノイズリダクションのアレンジなどは感じられません。
いや、存在するのかもしれませんが、何よりも素材そのものの生音の素晴らしさが主張されているために、それに気付かせないのです。

恐らく店主様にとってのこの一杯は、「巧さよりも、美味さを特化して表現すべき一杯」と格付けされていたのでしょう。
優れた楽譜、優れた楽器、そして優れた演奏という3つの魅力が、何よりも前面に施され、その魅力だけですぱっと胸を打つことができるのです。

そのスープは極上の味わいでした。
意識的にトッピングの干渉が少ない部分に、ゆっくりとレンゲを沈めます。
そして慎重にスープを頂きます。
直前に頂いた高級醤油マニアでも、この作品と同じく秋田県比内地鶏鶏ガラスープ、そして比内地鶏チー油が使用されておりました。
既にその高級鶏の個性は味わっているために、どうしても私の意識はこれから初めて味わう煮干し「香川県最高級銀付伊吹いりこ」へと集中していました。
しかしこの鶏の上等さは、私の意識を一瞬にして引き戻したのです。

口にした瞬間、比内地鶏チー油がほのかな甘味を誘いながら口の中で淡く溶けゆくように広がり、胸がぐいと絞めつけられます。
上品にして美味・・・、わかっていても予想を超える味わいがここに表現されています。
チー油をほのかに溶かしこんだスープの鶏の味わいは、香味と風味を見事に調和させながら、頬の内側を震わせるようにして口一杯にその表情を広げていきます。
そしてその味わいに包まれながら、舌の上には鶏の綺麗でスマートな肉の味わいが押し上がります。
そのすとっと芯のかよった旨味が素晴らしく、鶏の強い旨味というよりは、鶏の赤身が持つ上品な肉の風味を実体化する個性が感じられるのです。

そんな鶏の味わいを先行させながら、ここにジワリと響いてくるのが煮干しです。
淡麗系煮干しラーメンとして、まさに王道の味わいです。
しかしそこには超高級食材だからこそ生み出せる、まさに未体験の味わいがあったのです。

私はしばしば煮干しから広がるその特徴的な風味を粒子感という角度から味わいます。
そしてこの作品は、過去に味わったことがない程に美しい粒子感を表現してくれました。
透明感と輝きをもった宝石のようなタイルが、美しくも緻密に、そして整然と敷き詰められたかのような風味の広がりに、まるで数学的ともいえる表情を覚えます。
その幾何学的とも思える正確なキメの細かさは、過去に味わったことのない美しさを誇示し、食べる者に衝撃を与えます。
しかし一方ではそこに、煮干しらしい海のダイナミズムが内包され、生命感あふれる表情が満ち溢れているのです。
無機質に思えるほどに整然としながらも、味わうたびに浮き上がる生命力ある味わいに、胸がときめきました。

この煮干し感には、生命の力強さと規律正しい数学的性格が凝縮されています。
これを音楽に例えるならば、機械的にも思える正確無比なパガニーニの楽曲の演奏に対し、高価なヴィンテージバイオリンが深い枯れ感に満ちた重厚なる色気をその音色で表現しているようでもあります。
むしろ演奏が完全無欠であればある程に、歴史を感じさせる美しいボディーの鳴りが、ソリッドに心に響いてくるのです。

高級ろたすの煮干し感は、それに匹敵する感動を誘ってくれました。
そしてその信じがたい味わいは、美味しさや表現力で感動させると同時に改めて「素材力」のもつ凄味を突きつけ、私に対して料理の世界がいかに奥深いものであるかを再認識させてくれたのです。

煮干しのきめ細かさの安定感、一瞬のブレをも感じさせないその印象は、いかにここで使われた煮干しの品質が整っていたかの証明でありましょう。
全く同じ煮干しだけを集めて作られたかのように思える、その完全無欠な表情に圧倒されます。
荒々しさではなく、緻密さと正確さが生み出す迫力・・・、その前例のない世界観に例えようもない高揚感を覚えさせられたのです。

何度も水を飲み、綺麗な舌でその味わいを確認しました。
その度に煮干しの味わいが舌を捉え、その味わいが横方向への広がりを感じさせます。
煮干しの風味によって、美しくも広大なる平面が口の中に描かれるのです。
するとそこに比内地鶏の味わいが空間的にその個性を構築し、高梨店主による「煮干ラーメン」の世界が完成されるのです。
煮干しと鶏の生み出すハーモニー、調和を超えた立体的な共鳴がここに存在するのです。

そして何よりも称賛すべきは、この感動が汁完までの全ての一口一口で楽しめるという事実にあります。
一口一口がドラマティックにして高い説得力を誇ります。
しばしば美味しいスープに対し、私はレンゲが止まらないと表現しています。
しかしこの作品には、思わずレンゲを止めてしまうほどの美味しさがあったのです。

もちろんこの美味しさには、煮干し、鶏の美味しさを支えるタレの素晴らしさもあるでしょう。
生揚うす口醤油の味わいは、しっかりと舌をつかみながらも、それでいて素材の個性をゆがめることがありません。
スープの素材感に対しそっと背中を押してあげるような気張らず温かいその表情には、母性を思わす優しさが感じられました。
さらには鹿児島県洗双糖や愛知県有機本格三河みりんが誘う甘味もまた素晴らしいものです。
スープの素材感を柔らかく包み込むようにして艶を与え、素材が持つスマートな味わいを妨げません。

そしてトッピングもしかり。
沖縄県あぐー豚肩ロースチャシューの豊満でとろけるような豚の甘旨味は、貫録十分ながらもスープに濁りを与えるものではありません。
美しきスープを味わい、そしてこのチャーシューを味わった時、その旨味の力強さが、この作品に対してどっしりとした食べ応えを生み出します。
そして何よりも驚くべきは、この肉質の上等さ!!
あまりのスープの美しさ故に、チャーシューをこの作品の主役として語ることはできませんが、肉質だけでも食べる者を説得することができる、比類なき美味しさでありました。
そしてそこにはその味わいを巧みに引き出す、完璧なタレの味わいとバランスがあったのです!!

別皿で頂いた海苔も素晴らしい内容でした(本来は葱と共にトッピングされます)。
驚くほど香り豊かで、味わい深い海苔であります。
スープに加えれば、鶏、煮干しのハーモニーにさらなる表情を重ね、より深いアンサンブルを奏でるものだったことでしょう。
全ての素材に一切の妥協を感じさせない、まさに究極のスープ作りがなされていたことがわかります。

そして麺です。
麺は全粒紛入りストレート中細麺が使用されていました。
個人的な印象では、このスープに使われている煮干しの繊細さと調和させるのであれば、微細な全粒粉を配合した細身のストレート麺あたりが「ありがち」かと思えました。
なぜなら今回のスープは通常の煮干ラーメンに比べると煮干しの荒々しさに欠けるため、スープが麺に噛みついてくる感じが少ないのです。
そのためスープを背負いやすい麺、そして煮干しにも通じる枯れ感の強い味わいの麺が好まれがちだと思えたのです。
今回使用された麺の少し弾くような舌触りは、いつもの煮干スープの場合には煮干しの個性が麺に張り付き過ぎないという利点を生み出しますが、一方で今回の上品なスープに対しては煮干しの絡みが少し物足りなくも感じられるのです。

しかし!!
逆に言えばそのことが、より高い正確性でスープを味あわすことに繋がっているのです!!

ラーメンを食べていると、麺の味わいが徐々にスープに干渉してくることがわかります。
特に先ほど「ありがち」と記した低下水の全粒粉入りの細麺などで頂く場合、食べ終える頃にはスープの味わいが大きく変わっていることがあります(あくまで私個人の感覚です)。
するとこの作品はどうでしょう?
スープは美しさを極めた鶏、美しさを極めた煮干しによって構成されていました。
その美しさに対し、1ミリの濁りも許さないという姿勢がこの麺を生み出したのだと思います。

その前に頂いた高級醤油マニアが鶏ベースのスープだったのに対して、この高級ろたすは鶏と煮干しという二つの素材のバランスを高く要求する一杯でありました。
あまりに美しい素材を使うがために、小さなブレも大きな歪みとなって感じられてしまう、デリケートな作品であります。
それ故に最初の一口から最後の一口まで、その完璧さを貫くことが最重要視されていたのだと思うのです。

この麺は、終始スープの味わいを正確に描写してくれます。
口の中で麺の隙間から滴り落ちるスープの滴すらも愛おしく感じさせるような、クリアな味わいを表現してくれます。
もちろんこの麺自身も上等にして素晴らしい、何よりも美味しい麺でありました。
国産小麦「和華」を使用したというその味わいは、噛んだときにゆったりと小麦の柔らかな味わいを広げ、明るい香味を覚えさせます。
しかしそんな麺自身の美味しさを踏まえた上でも、やはりこの麺が示してくれた、究極のスープに対するあるべき立ち位置の妙に感心させられるのであります。

こうした一つひとつのパーツのセレクトに対しても、作り手の思いはしっかりと伝わってきました。
それだけでもこの作品が、お祭り用に招集したオールスターチームではないことが明らかです。

それにしても麺、なぜ今回共に提供された高級醤油マニアと異なるものを使用したのか・・・、その真意は高梨店主のみぞ知るところでありますが、しかしその完璧なる美味しさという事実は、食べる者にとっては何よりの正解であり、同時にその正解の本質に少しでも触れたいとして、意識をこの一杯へと深く向かわせます。

高級ろたすは、まさに究極といえる一杯でありました。
常に食べる者に笑顔を誘うラーメンを提供されてきた高梨店主の作品の中でも、最も「黙らされた」ラーメンでありました。

「本当に美味しいものを口にした時、人は黙る」・・・、先日亡くなられた、佐野実さんの言葉です。
今回提供された、高梨店主による「黙らせるラーメン」は、まさに最高のものだったと思うのです。

次は基本の煮干ラーメンを頂きに伺うつもりです。
この作品の素晴らしさを知っているからこそ、基本の煮干ラーメンのさらなる美味しさに気付ける気がします。
店主様の作家性を、ガツンと味あわせて頂こうと思います。
そしてまた何度も何度もその美味しさで、グルメぶった私の生意気さをねじ伏せて貰いたいと思います!!

日本の頂点と言われる煮干系のラーメンと比べても、この作品はまさに最高の、まさに至高の煮干ラーメンでした!!!!
ごちそうさまでした!!!!

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