英語しか取り柄が無い雑魚人材

どうも、関東地方のどこかのメーカーで機械設計エンジニアとして働いている佐藤(偽名)です。
今回は非常にセンシティブなタイトルにしましたが、過去の記事から私が本音で情報発信すると反響が大きい事に気付きましたので、私が常々感じていることについて情報発信していくことにしました!
今回は"英語しか取り柄が無い雑魚人材"というテーマで歯に衣着せずストレートに語っていくことにします!

まず最初に断っておきたいのですが、この記事を執筆している私自身は英語が得意ではないです。
大学院入試で必要だったTOEICで820点を取得するまでは大学入試以外でまともに英語を勉強した事が無かったですし、留学の経験も人生において皆無です。
しかも最終学歴が工学修士のゴリゴリの理系ですし、仕事も機械系エンジニアという絵に書いたような理系人間です。しかし、グローバル企業の第一線で活躍して世の中に貢献したいという野望はあったので、好きでもない英語を嫌々ながら勉強していました。
今では英語が苦手な人からは"英語ができる人"と評される傍らで、英語が得意な人からは"英語ができない人"と評価されています。
そんな微妙な立場にいる私が体験してきた事を今回は記事にすることにしました!

この記事のトピック
1. 英語スキルというわかりやすすぎる看板
2. 最も多いのはノースキルな上に英語すらできない人
3. 親からの廃課金で英語力を手に入れた人
4. そもそも基礎スペックがあれば英語力は後付け可能

英語スキルというわかりやすすぎる看板

英語スキルはそのわかりやすさゆえに英語が原因でレッテルを貼られやすくなるというデメリットを持っています。
先述した通り、私は理系院卒の機械系エンジニアでありゴリゴリの理系ですし、英語が好きではありません。しかし、TOEICのスコアが理系にしてはそこそこ高かったためにすぐに"英語の人"というレッテルを貼られてきました
しかし、私は自分の専門である機械工学の知見には英語よりも何倍も自信を持っています。しかし、このわかりやすすぎる看板のおかげで"英語だけの人"という的外れな批判さえも受けてきました

例えば、「就活も仕事も英語能力だけで決まるわけじゃない」やら「英語ができるからって高い給料がもらえてズルい」といった内容です。
私の立場からすれば、わかりやすいスキルである英語能力が並みの人よりも少し秀でているだけで一芸野郎呼ばわりされるのは意味不明ですし、英語が他者よりもできるだけで他の能力が低いと断定する彼ら彼女らの論理的思考力の低さの方が理解に苦しみます

日本に最も多いのはノースキルな上に英語すらできない人

社会人になって色々な仕事をしている人に出会ってきて感じていることがあります。非常に辛辣な本音を言わせていただきますが、最も多いのはノースキルな上に英語すらできない人です。
もっと正確に言えば、自分自身は何の努力もしない事を棚に上げて、誰かが努力の末に勝ち取ったものを否定している人たちです。

こうした自助努力によって能力を上げる事ができない人ができるのは同じように努力ができない人同士で集まって、努力している人の揚げ足を取る事によって自分の現状を肯定する事です。
そうした人たちは英語だけでなく他の分野でも同様に努力ができないため、英語ができる人を見つけたときに"英語しかできない雑魚人材"と断定して仲間内で傷を舐め合う事しかできないわけです。

しかし、私はこのような生き方をしている人たちにも価値はあると思っています。実際に会社員として働いて感じている事なのですが、こうした努力して自分の力で何かを勝ち取る事の価値を否定しているような人はソルジャー要員としては非常に扱いやすいからです。
自発的に動くことができなくて、他者から与えられるものを期待して生きている人って作業員としては最高に適性があるじゃないですか!

親からの廃課金で英語力を手に入れた人

日本人にも頭が良い人と頭が悪い人がいるように、英語ネイティブにも頭が良い人と頭が悪い人がいます。しかし、ネイティブで英語が流ちょうに話せない人はほとんどいません。
これはつまり、地頭が多少悪い日本人でも子供に長期間の留学をさせてあげられる財力のある親の元に生まれれば英語力が身に付けられるというわけです。
英語学習の本質は"習うよりも慣れろ"ですし、そうした環境を親からの廃課金によって手に入れて英語力を身に付けた結果、無駄にエリート意識が高いけどお世辞にも頭が良くない人が生まれた事例を私も何人か知っています。

基礎スペックが高い人にとっての英語力

色々と本音を吐き散らしてきましたが、最後に私が最も言いたい事を言わせていただきます。それは基礎スペックが高い人にとっての英語力はオマケに過ぎないという事です。
例えば、私がたまに2人で飲みに行くくらい仲が良い友人に東京大学大学院を卒業してから大手製薬会社の研究職として勤務している人がいます。彼は薬学が専門であるにも関わらずTOEICのスコアは当たり前のように900を超えています
ていうか、私の観測範囲での上位大学の優秀層には自分の専門分野以外にも英語やプログラミングのような異分野のスキルを自発的に習得している人がゴロゴロいます

そんな人たちの本当の強みは目に見えるようなわかりやすい能力ではなく"謙虚さ"であると思います。
優秀な人は自分に足りないものに真摯に向き合って努力してきたから優秀なわけであり、自分に無いものを持っている人を妬んで否定する事で自分を慰めているような人たちとは根本的に価値観が異なるわけです。
私の意見としては英語うんぬんとか関係無く、実行力がある人は何をしても成し遂げられます。
その傍らで、実行力に乏しくて人から与えられるものをアテにするしかない人って何も成し遂げられずに有能な人を僻むような生き方しかできないんですよね

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