みんなもっと軽い気持ちで担降りしてみてもいいんじゃない?っていう話
拙著「きみはアイドル vol.3」をお読みいただいた方にとっては、あーはいはいあの話ね、って感じの内容です。
気づけば担歴が11年を超えました。11年の間、そりゃあもちろんめちゃくちゃ楽しかったけど(楽しくなかったらとっくにやめてるね!)、自担に対してもやもやしたことも一度や二度ではなかった。ひとりのアイドルを10年以上応援していて自担の言動にもやもやした経験が一度もないオタクがいたら、それはとても相性がいいってことだからすごいと思う。誇ってください。
私は特に誇れるところもないし、自担のすべてを許せるような寛大な心も持ち合わせていないけど、そのもやもやに逐一対処することができたからこそ明るく楽しく能天気に、そしてなにより後悔なくオタクを続けられた気がしている。これはそんな私のおすすめオタクライフハックを紹介しようという主旨の記事です。
好きなアイドルの言動にもやもやしたとき、そのもやもやをなかなか解消できないことがある。黙って堪えればいいとわかっていても、どうしても我慢できないときもある。そういう感情をもやもや発祥の地であるアイドル本人にぶつけたり、アイドル以外の他者にぶつけたり、はたまた受け入れられないでいる自分自身を責めてしまったりと、誰かや何かを傷つける方向に進んでしまうのは当然ながらよくない。
まず、もやもやすること自体は間違っていない。アイドルに対して抱くどんな感情も正しい。他人に迷惑をかけない限り、アイドルの応援方法に正解や不正解はない。だからこそ、誰かのことも自分のことも傷つけず、なるべく穏便に対処したいところである。
そんなとき私がやっているのは、もやもやから距離を置くという方法。具体的に何をするかというと、担降りです。
えー!? いきなりそんな極論!? と思われるかもしれないけど、もうちょっとだけ聞いてください。
ここでいう担降りは一般的な担降りとはちょっと違った、いわば「サイレント担降り」。誰にも何も言わず、ひっそりこっそりと、一時的にその人のファンをやめるというものだ。降り先はなんでもいい。他に気になるアイドルがいればその人に降りるのでもいいし、特にいないなら担当不在ということにしてもいい(私は後者の場合が多い)。もちろんアイドル以外の趣味でもかまわない。とにかくいったん、「私はもうこの人のファンじゃない」という設定で生活をしてみる。試験的な担降り。
あくまでも一時的なものなので、日々の生活に大きな変化が生じるわけではない。みんなには内緒の担降りなので、周りから何かを言われることもない。すると、それでも案外普通に生きられることに気がつく。自担のいない生活が気楽にすら思えてくる。もやもやを解消するために必要な「時間」も稼ぐことができる。そういえば、私もうあの人のファンじゃないから、もやもやしなくていいんだ。そんなふうに思っているうちに、アイドルとの向き合い方がリセットされていく。
担降り期間は決めなくていい。1日でもいいし、10年でもいい。もやもやが落ち着いたあとは、そのままほんとうにファンをやめてしまうという選択肢もある。ちゃっかり出戻るという選択肢も、もちろんある。担降りしたことは誰にも言っていないから、どんな選択をしたところで、誰かに咎められることはない。
私の場合、これまでサイレント担降りを3回ほど経験してきて、短いときは数日、長いときは2か月くらいで出戻っている。やっぱりこの人のことが好きだし応援したいな、という気持ちがふつふつと湧いてきて、結局もとの生活にのこのこ戻ってくるのだ。生活は戻るけど、心持ちは変わっているような気がする。感情の整理をつける期間を設けたことで、無理せず楽しめる範囲でやっていこう、と思えるようになる。「やめようと思ったら私はいつでもあなたのファンをやめられるんだからな!」という妙な自信のある、自立したオタクになれる、ような気がする。
だから私の担歴は厳密に計算すると11年未満です。たぶん現時点で10年10か月くらい? ちなみにサイレント担降り期間にうっかりグッズを断捨離したことをあとでちょっと悔やんだりもしているので、そのあたりは冷静に判断することをおすすめしたい。
アイドルとオタクって、ほんとうは赤の他人なのに、そこに疑似的な信頼関係を見出してしまいがちだ。アイドルがきらきらした夢をたくさん見せてくれて、みんなのおかげで僕たちは頑張れてるよ、なんて言ってくれるから、私たちは「何があっても応援しなきゃ」と感じてしまう。でも、「何があっても応援しなきゃ」いけないような義務は本来存在しない。私たちはいつでもファンをやめることができるし、他のアイドルを応援することもできる。
「義務感で応援するようになったらオタクは終わりだ」とはよく言われているけど、私はそういう無意味な義務感を勝手に背負ってしまうところも含めて、オタクって楽しい! と思う。だって、赤の他人に対して「何があっても応援する!」って思えるようなこと、普通に生きていたらなかなかない。
でも、そういう義務感が苦しくなってしまったときは、いったんその義務から逃れたほうがいい。それはほんとうは存在しない義務だから。
サイレント担降りには、そうした義務感から一時的に解放されるという効果があると思う。「担当」という言葉には妙な重みがあるから(この重みについても研究してみたいなと思っている)、それをいったん降ろすことで見えてくるものって、意外とあるのかもしれない。
応援する義務がなくなると、フラットな目でアイドルを見つめなおすことができる。「いろいろあるけど、やっぱりこの人のことが好きだな!」と愛を再確認するもよし、「ファンをやめて正解だったな!」と他に目を向けるもよし。気分次第で応援をやめるなんて無責任だと言われるかもしれないけど、赤の他人の応援なんて、きっと無責任すぎるくらいがちょうどいい。逆に言えば、いつでもやめられるからこそ、私たちは赤の他人を無責任に応援できているのだと思う。
もちろんこれがすべてのオタクに有効な最適解というわけではないので、誰のことも傷つけず、もちろん自分のことも傷つけず、楽しくオタクをやっていく方法をこれからも探っていきたいですね。