推しエッセイ 踊りとやさしさを推す

数日前からSpotifyで宇多田ヒカルばかり聴いていた。
自分のやりたいことがわからなくなったときに見たくなる映像がある。ベージュの長いスカートをはためかせて森の中で推しが踊る。Instagramの四角い画面に流れるその1分間ほどの動画をはじめて見たとき、ああ、私がつくりたいものってこういうことだったな、と深くしっくりきた。
その映像で初めて知ったその曲は、最近になってまたテレビCMで耳にする機会が増えた。たった15秒ではものたりない。Spotifyを開いて宇多田ヒカルのプレイリストをシャッフル再生する。いつかその曲が流れてくることをちょっとだけ期待して、宇多田ヒカルの歌声を聴きながら通勤電車に揺られた。
今日の朝、電車が会社の最寄り駅のホームにすべりこんでドアが開くまでの間に、知らないイントロが流れてきた。知らないけど知っているような気がして、画面に表示された曲名を確認する。そういえば私は、たった15秒のCMと1分ほどに編集された映像しか見ていないから、この曲のイントロを聞いたことがなかったのだ。
会社に向かう道すがら、耳から入ってくる歌声にあわせて頭の中で推しが踊った。やさしい言葉と、そのやさしい言葉に満ちた推しの一挙手一投足を頭でなぞる。ああ、私がつくりたいものってやさしいことだったな。私はよくいろいろな情報や感情にうもれて道を見失ってしまうけど、そういうときは推しが照らしてくれるから、あまり心配しなくてもよさそうだなと思った。

おいしいものを食べます