推しエッセイ 推すと決めたから推す

深夜番組でグループの結成が発表されたとき、「よし、この子たちを推そう」と決めた。今から1年くらい前のことだ。まだグループ名もついていない段階で、顔と名前すら誰ひとりとして一致しないまま、ただ概要だけを見てその箱を推すことを決断した。推すかどうかを心じゃなくて頭で決めたのは、長いオタク人生ではじめてのことだった。
オタクとは理性を放棄してこその生き物なのに、「理性で推すことを決める」なんてオタクにあるまじき行動をなぜとったのかというと、その箱には好きになる条件がそろいすぎていたからだ。全員がマイクを持って全員が踊る。ラッパーが3人もいる。プロデュースに大好きなグループが関わる。合宿中にカバーしているのはどれも私の大好きな曲。「私はいずれ絶対にこのグループを好きになるから、今から推しておけば後悔しないはず」と判断するには十分だった。
メンバーの顔と名前を覚え、第一印象で推しを定め、日報のように更新されるブログを読み、現場でパフォーマンスを見る。そこまではまだなんとなく愛着が湧いてきた程度で、ちゃんと応援するようになるのはまだ先だなと思っていた。ゆっくりじっくり見ていこう。彼らはまだまだこれからなんだし。今みたいにゆるく距離を取っているくらいがちょうどいい。つまり、完全に油断していた。
彼らがはじめて単独で全国を回るフリーライブの初日に足を運んだら、彼らはそこではじめて、先輩のカバーではないオリジナル曲を披露した。勢いと、爆発力と、完成度。すごい。やばい。かっこいい。超好き。おしゃれ。天才。全ての語彙が死に絶え、手が震え、ステージに釘付けになり、ついに理性が崩壊した。「私はいずれ絶対にこのグループを好きになる」という予想が現実になったときだった。理性で推すと決めたところで、結局ほんとうに好きになってしまったら、その瞬間から理性なんて役に立たなくなるのだ。
デビュー発表を生配信で見て号泣した。地元のリリースイベントに行くためにGWで激混みの新幹線の時間をずらした。CDは問答無用で「一番高いやつ」を予約した。記念すべきデビューの日、フリーライブの初日と同じ場所で行われるリリースイベントを見るために会社を早退した。ステージに立つ彼らは大きな大きな名前を背負いながらも、今まで見てきたどの彼らよりも一番堂々としていた。
見れば見るほど好きになる条件が増えていく。メンバー同士のフラットな関係性も好きだし、子どものころから一緒に活動しているメンバーがいるところも好き。びっくりするとみんなそろって固まって動けなくなるところもかわいくて好きだし、パフォーマンス中のいたずらみたいなアイコンタクトもたまらなく好き。ここまでくるともう、どこまでが理性でどこからが理性じゃないのかなんてわかりっこない。わかるのはただ、大好きな人たちが今日も夢に向かってがんばっているということだけだ。

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