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推しエッセイ 自担を好きな自分は好きか

mixiでマイミクになったばかりの人とはじめましてのメッセージをやりとりしていたとき(お察しの通りずいぶん前のことだ)、「自担のどこが好きなんですか?」と尋ねられた。そのとき自分がどう答えたのかはまったく覚えていないけど、私が同じ質問を返したら、その人はこう言った。
「◯◯くんのことが好きっていうより、◯◯くんのことを好きな自分が好きなんですよね」。
当時中学生だった私は、変な回答だなあ、と思った。◯◯くんの好きなところを尋ねたのに、自分の話をするなんて、変わった人だな。
今になって思うのは、「◯◯くんのことを好きな自分が好き」っていうのは、実はめちゃくちゃ大事なんじゃないか、ということだ。

リアルタイムで誰かを応援しているときにはなかなか気づかないけど、あとになって自分のオタ活を振り返ったとき、無理してたな、と思うことがまれにある。身の丈に合わない応援をしていたとか、苦手なタイプのオタクとがんばって接していたとか、もっと漠然と、なんとなく違和感があったとか。もちろん楽しい思い出ではあるんだけど、自分の人生の一部としてしっくりくるかと言われるとちょっと違うなあ、みたいな。応援している対象の側に問題があるわけではないし、自分の中の好きな気持ちに嘘があるわけでもないんだけど。
そういうときには、「◯◯くんのことを好きな自分が好き」とはなかなか言えない。◯◯くんに焦点を当てているあいだは幸せでも、自分に焦点を当てたときに、どこかもやもやが残るからだ。

そう考えると、「◯◯くんのことを好きな自分が好き」と思えるには、まず「◯◯くんとその周囲の環境が心地よく、等身大の自分でいられること」がひとつ条件に挙げられる。その人を応援するにあたって、マイナスの感情が湧いてこないことだ。
もうひとつは、「◯◯くんのことを好きでいるだけで、自分までキラキラしているような気分になれること」。これは「好き」のパワーがもたらすプラスの感情だ。アイドルがもつキラキラを見て、まぶしさに目を細めてしまうのではなく、自分の内側に取り込んで力に変えられること。このふたつの条件が揃わないといけない。かなりハードルの高い条件だけど、そのふたつの条件が揃う場所はものすごく恵まれているということでもある。

あのときのマイミクの担当は今もドラマや映画で活躍している。その姿をメディアで見るとき、毎回ではないのだけど、何回かに1回はあのメッセージのことを思い出す。「◯◯くんのことを好きな自分のことが好き」ときっぱり言い切れるって、誰かを好きでいることで自分のことも好きになれるって、めちゃくちゃすてきなことじゃないか。私は自担のことを好きな自分を好きでいられてるかなあ、うーん、いられてるなあ。それってすごく幸せなことだな。そんなふうに噛み締めてみるのもたまにはいいかもしれない。

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