土曜の夜に、自担への「好き」を思い出す #SixTONESANN #推しエッセイ

燃え尽きていた。自担を自担と呼ぶようになって数年目の夏、長かったマラソンがようやく終わった。CDデビューが発表されたのだ。
口では「デビューまだ?」と言い続けながらも、何度もくじけそうになって諦めかけて、それでも自担のデビューという夢にしがみつかずにはいられなかった。もしかしたら自担以上かもしれないほどデビューに執着していた。そうしてずっと求めていたゴールにようやくたどり着けたのだ。泣きながら喜んで、祝って、友人たちと乾杯をして、そしてCDが発売されるより先に燃え尽きた。
私の仕事は終わったと思った。好きな気持ちに変わりはないけど、もう以前のように熱量を持ってがんばることはできないな、と確信した。本人たちは「デビューはゴールじゃなくてスタートだ」と言うけど、私にとっては完全にゴールだった。
8月のあの日にマラソンを終えてからの私は、ゴールを通過したあとのクールダウン状態に入ったようだった。ただの趣味なんだから誰かのためにがんばって走っているわけじゃないし、そもそも何もがんばる義務はない。また走りたくなる日が来たらそのときまた走ればいいやと思いながら、私は今もクールダウンを続けている。

CDは各形態1枚ずつ。雑誌はしばらく買っていない。バラエティ番組の出演情報はそろそろ追いきれなくなってきた。そういう状態でオタクを続けていると、私は今でも本当に自担のことが好きなんだろうかと疑問に思うことがある。めいっぱいがんばっていたあのころの私は「自担を応援しています!」と胸を張って言えていたけど、今の私には胸を張れる要素が何一つない。なあなあになっていないか。義務感だけで続けてはいないか。あの頃みたいに全力で好きだと言えるだろうか。
そんなふうにめんどくさいことをうだうだ考えがちの私が、それでも「やっぱり自担のことめちゃめちゃ好きだわ……」と思い直す機会が週に一度ある。それこそが、自担がレギュラー出演しているラジオ番組の放送だ。

私にはラジオを聴く習慣がない。元担のラジオは3日で挫折した。自担のラジオ出演が決まったときも、果たして聴き続けられるだろうかと心配に思っていた。ところが初回から現在まで、結局一度も欠かすことなく毎週リアルタイムでradiko を開いている。
ラジオ番組は自担だけが毎週レギュラー出演していて、もう一人の出演メンバーは週替わりだ。一緒に話すメンバーが変わると自担の表情も話し方も変わる。メンバーと2人きりで話す自担の声を毎週1時間半も聴くことができるなんて、どれだけ贅沢なんだろうと思う。

そもそも自担を自担と呼ぶ決意をしたのも、レギュラー出演していたバラエティ番組があったからだった。コンサートではMCの時間が一番といっていいほど楽しみだった。YouTubeの番組で進行役を任せられているのが誇らしかった。
アイドルギリギリの発言をして物議をかもしても、見学に行った公演でMCを乗っ取ってそのグループのファンに叩かれても(迷惑ではあったかもしれないけど)全然つらくなかった。その公演に入れていなくても、Twitterのタイムラインに流れてくるレポを見て「今日もたくさんしゃべっていたんだな」と思うだけで幸せだった。
彼のしゃべり方が好きだ。優しくて表情にあふれた声。ら行が巻き舌になるところ。勢いよくしゃべると少し滑舌が悪くなるところ。くせのあるジェスチャー。メンバーの話にすばやくツッコミを入れられるところ。どんな場面でも適切なリアクションができて、どんな話も否定せずに受け止めてくれるところ。人や自分を不必要に下げないところ。それでいて盛り上げ上手なところ。キャラクターづくりがうまくて、アイデンティティを確立させているところ。あえて少し乱暴な話し方をするときでも、その中にちゃんと愛情があるところ。

ラジオを聴きながら、今きっとこんなふうにジェスチャーをしながら話しているんだろうなと想像する。きっとこんな顔で笑っているんだろう。眉毛がハの字になっているかもしれない。そういう光景が全部、明確に想像できた。回を重ねるごとにパーソナリティも板についてきて、スタッフやリスナーとのやりとりもうまくなっている。おしゃべりで好きになった人のおしゃべりの仕事をこんなふうに楽しめている現状がうれしくて仕方がない。
純粋な気持ちで、何も考えずにただラジオを聴いてゲラゲラ笑いながら、ああやっぱりこの人のことが大好きだ、やっぱりこの人が私の自担だと思い直す。そういう土曜日を毎週繰り返している。

おいしいものを食べます