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『ベイビー・ドライバー』

 クライムサスペンス、というものを想像してもらいたい。
 舞台はアメリカ。主人公は腕利きの「逃がし屋」、イカした車を飛ばして、どんな状況からでも生還してのけるスーパードライバー。もちろんビズには音楽が欠かせない。オールディーズのロックをガンガンに、ポリを相手に手球にとって、きょうもシビれる走りを見せつける。

 どんな人物だと思うだろう。たとえば厳つい巨漢、たくましい顎に上腕。そうでなければ刃物のように痩せた男。ともかくスタイリッシュか、さもなければタフそうなファッションでキメて、危険な空気を身にまとう。

 ところで、『ベイビー・ドライバー』の主役はこんな男である。

 野暮ったいジャンパー。似合わないサングラス。常に耳に突っ込んだ、アップル純正品らしいイヤホン。タフな男を気取った顰め面がまったく似合っていない。
 名乗る名前はBABY。プロレスなんかでいうところの、文字通りにベイビーフェイス、というやつである。実際、とんでもない腕っこきの運び屋には違いないのだけど、仕事で組む相手には必ずナメられる。カレを信頼しているのはフィクサーだけ。そのフィクサーにしたところで、ろくでもない脅迫でもってカレを縛り付けているだけだが、これがまたBABYは腹の底までお人好しで、これをまっとうな契約か何かのように信じている。酒もタバコも女もやらない、まるっきり縁がない。仕事の帰りに馴染みのダイナーで食事をするのだけが楽しみ。私生活にも華がなく、里親の、聾で足腰の立たない爺さんと二人暮らし。サンプリングした音で音楽を作って、テープに溜め込むのがただひとつの楽しみ。いつも耳にイヤホンをぶちこんでるから、まともに人と話すことがない。犯罪者連中は自暴自棄なくらいに陽気だが、BABYはいつでも顰め面で押し黙っている。

 犯罪者は似合わない。というか、大人であることが似合わない。BABY、イカした音楽をかけて車を走らせれば満足できる男の子。けれどもカレがいるのは犯罪の只中で、当然、ろくでもないツケが山のように襲いかかる。

 こうして書き出すと暗い話だ。実際、ストーリーラインはまさに陰鬱で、だいたい幸せという幸せはぐちゃぐちゃにされて、BABYは転がり落ちるように不幸になっていく。クライムものだから当然だ。そりゃそうだ。どんなに子供みたいなやつだって、悪漢は報いを受けなきゃあならない。

 けれど、実際に見てみると、そんな印象は吹っ飛ばされる。いや、途中でなんともいえない気分になる場面だってもちろんある。そしてこの映画、 音響が主人公の耳とだいたい同期している という特徴がある。張った予告の画面にもあるけど、BABYは持病で耳鳴りに悩まされている。音楽だけがそれを癒やしてくれる。

 映画を見ている最中、ぼくらは知る。音楽を奪うというのは、カレをどういう世界に突き落とすことなのか。映画館の巨大なスピーカーが、いやというほど観客に教えてくれる。

 けれど、それと同時に。
 音楽がカレをどれだけ救ってくれているかも、ぼくらに教えてくれるのだ。

 陰惨な場面でも、逃げ出したいが逃げたら殺されるっていうような無茶な場面でも。どうしても勇気をふりしぼらなければならないときでも。音楽はいつでもBABYとともにあって、カレのことを支えてくれている。それを文字通り体中で体験できるのは、たぶん映画館でかかっている今だけだ。

 騙されたと思って行ってみてほしい。たぶん、損はしないと思う。

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