【大河ドラマ連動企画 第5話】どうする氏純(関口氏純)

第5話「どうする氏純」 関口氏純

個人的にだんだんと「どうする家康」の見方が分かってきた。大河ドラマではなく民放とかのわかりやすさ重視、コメディあり、恋愛ありのドラマ感覚で見れば「必殺仕事人」風味の服部衆招集シーンとか、場面転換時の寒いアイキャッチとかも気にせず見られる。もはや大河ドラマではない何かな気がするが…。

というわけで今回は初回に憔悴しきったモブとして退場したかと思われた鵜殿長照がまさかの強キャラとして再登場。こんなレベルに苦戦している松平氏が本当に天下を取れるのか、あれかRPGの勇者的なストーリーか。最初はゴブリンやスライムにも苦戦するけど、成長して魔王にも勝てる、というやつか。いやむしろ長照の補正が強すぎる。
そして嫌われ弥八郎こと本多正信と実は忍者じゃない服部半蔵が登場。尋常ではない嫌われっぷりに史実通りとキャッキャしつつ、なんで服部正成にしないのか、と不満げな歴史オタク的コメントに対して、皆さんはもう答えを知っているはず。わからない人は最初の段落読んでおいで。服部衆の描き方は個人的には好きで、隆慶一郎などがよく描いたいわゆる「道々の輩」的な表現である。ステレオタイプな忍者感よりしっくり来る。
というわけで今回もマイナー武将の新規メンバーは少なかった。鵜殿長照のできる息子たちはまだ出番があるかは分からないが父親をすでに最近やってしまったのでネタが少ないと思うので、今回はそろそろ出番が終わりそうな関口氏純を扱うことにする。とほまち。

関口氏純、と聞いても私はあまりピンとこない。個人的には「関口氏広」で覚えているからだ。信長の野望シリーズでは基本的にこの名前で登場していた記憶がある。様々な資料を確認すると関口氏広、関口義広、関口氏興、関口親氏、関口親永、など様々な呼び方がされている他、名字が瀬名となっていることもある。だが信頼のおける一次史料では「氏純」と表記されているものしかない、とwikipediaの「関口親永」のページには記載されている。そこは氏純じゃないんだ…。
歴史的には彼本人がどうこう、というよりも松平元康の舅、として知られることが多い。昔のイメージは元康に好印象をいだかない偉そうな今川家の重臣、だったのだがどの作品から来たイメージなのか記憶が定かではない。おそらく子供の頃読んだ伝記かなにかだろうか。孕石元泰とごっちゃになっている気がする。
だが、冷静に考えて今川義元の覚えめでたい、隣国の領主の息子に娘を嫁がせている時点で氏純が元康を冷遇するわけがない。義元同様、今川家の将来を担う重要な国人衆として頼りにしていたのではないだろうか。

氏純自身は関口氏を名乗っているが、元々瀬名氏から養子に入った身分であり、瀬名氏俊の弟に当たる。妻は今川義元の妹、娘は松平元康の妻、北条氏規の妻と伝わっている。だから築山殿は通称「瀬名姫」なのか、と最初知った時納得いったのを覚えている。つまり、関口氏純はめちゃくちゃ今川家にとって重要人物である。元々、関口氏、瀬名氏というのは今川氏の遠縁での分家に当たる。「今川絶えなば関口が継ぐ」と言っても良さそうな家系である。その名跡の跡取りが絶えたために養子として瀬名氏から入った氏純なだけに今川家への忠誠心は相当なものであったと想像に難くない。そうして、元康と二人三脚で三河の統治を行っていたわけだが、氏純を悲劇が襲う。
桶狭間の戦いで今川義元や多くの重臣が討死、今川家は危機に陥る。加えて娘婿の松平元康も離反し、氏純は苦しい立場に置かれることになる。この状況下で氏純をどのように処分するかは英邁な大名でも判断に迷うところである。今川氏真も(その器量はさておき)判断に迷った結果、一つの決断を下す。それは氏純を切腹させるという決定であった。しかし、この決断は誤りであったと言える。これにより今川氏は関口氏という譜代の重臣を失い、また(本人に特に落ち度のない)親戚筋の家老ですら容赦なく処断する姿勢を示したことは国人衆の離反を招くことになる。ちなみに井伊家の当主・直親を殺害したとされるのもこの頃(『おんな城主直虎』の時代がこの辺り)である。

かくして、彼は歴史の表舞台から消えた…はずだったのだが、現存する史料のいくつかには彼が処刑されたとされる1562年以降にも「関口伊豆守」なる人物の知行について記された氏真の書状が見つかっている。氏純が引き続き今川家に仕えていた可能性があり、氏真が難しい状況でも家臣を信じる選択をした可能性がある。まぁ武田信玄の駿河侵攻時には関口一族にがっつり内応されているのだけれども。
また、近年唱えられた新説に「関口氏経(氏純にとって義理の叔父にあたる)の子が井伊次郎として活動しており、次郎法師=井伊直虎なのではないか」というものがある(この新説、よりによって大河ドラマ『おんな城主直虎』放送中に提唱されてしまう。大河ドラマのおかげで研究が進んだゆえとは言え、ちゃぶ台返しもいいところである)。
そもそも関口氏の始まりからして関口次郎経氏と書かれた直後に五男の経国が祖とネット上のとあるページに書かれていたりいきなり経歴不明なところが多い。まだまだロマンが溢れるところであり、今後のさらなる研究が待たれる内容である。

さて、次回はいよいよ「続・瀬名奪還作戦」。タイトルがダサいとか死んでも言ってはいけない。

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