【大河ドラマ連動企画】王道を往くもの

休暇を利用して、浜松の舘山寺温泉を訪れた。近くにはかつて「堀江城」という城があり、歴史に影響を及ぼしている。

そこの湯船に浸かっていると、ふととある妄想が浮かんだので書きなぐってみる。

岩場を降りていくと、そこには湯気を上げる乳白色の湯船が広がっていた。夕日の光を反射している。在地領主によると、かつては武田軍が戦後の傷を癒やすのに用いた隠し湯だと言う。徳川家康は手早く着物を脱ぐと、湯船に体を沈める。少し温い湯が体に染み込んでくるようである。一息。嘆息すると、家康は瞑目する。

小牧・長久手の戦からはや2年である。一旦は秀吉の軍勢を撃退したものの、その後織田信雄が秀吉とあっさり講和。やむなく降伏したところに数正の出奔である。最後に言い残していった言葉の真意は測りかねるが、事実として徳川家中第一の重臣の出奔は大きな動揺を生んでいる。噂では榊原康政や井伊直政らにも調略の手が回っているという。先だっての地震で今は戦どころではない、のは豊臣も徳川も同じだが、次はいよいよ決戦である。

と、そこまで考えた時に家康の視界の端に人影が映る。今は寸鉄帯びぬ状態だ。思わず身を固くするが、
「そう固くならずともよい。久しいのう、童(わっぱ)」
その声を聞き、耳を疑う。
「信玄…?」
「いかにも。信玄入道だ。安心せい、貴公の首を取りにきたわけではない。」
堂々たる体躯、禿頭に髭面。一目には韃靼人か、羅馬人と見紛うばかりの姿がそこにある。いや、そんなはずはない。もう十年以上も前に信玄は卒している。

「何故、今更…」
「化けて出たのか、か。失敬な。元々わしの湯だ。勝手に入ってきたのは貴公の方だ。」
冗談を言うようにニヤリと笑う信玄に、ようやっと家康は気を緩める。
「貴公がここにおるということは…勝頼ではダメだったか。」
「ああ。信長によって、滅ぼされた。」
家康は首桶に入れられた勝頼を思い出していた。戦になれば勇猛であり、また謀においても知恵深く、手強い敵であったが、しかし時代の波に押し流され、散っていった。
そんなことを思う家康の横顔を眺めながら、信玄は世間話でもするように尋ねる。
「その信長は息災か。そうさな…上杉も毛利も潰して、今は大友辺りと戦でもしておろう。大友には立花とかいう猛将がいるらしいぞ。苦戦しておるだろうな。」
「いや、信長は死んだよ。今は家臣だった秀吉が天下を回している。」
「そうか、死んだか。惜しいな。」
信玄は噛みしめるように言う。しばらくの沈黙の後、再び重い口を開いたのは信玄であった。
「貴公、秀吉と張り合うのか。」
「そのつもりだったが…迷っている。」
事実であった。このまま自分が抵抗していてもいずれ勝てなくなる。数正の言っていたことは自分でも分かっていた。いたずらに戦を続けることは、平和…瀬名の願いを遠ざけることにつながると。
渋面の家康に信玄が告げる。
「戦う必要が本当にあるのか。」
「…」
「貴公の夢は戦なき世であろう。それが叶う方法があるのなら選んでもよかろう。先の戦で勝ったのなら、秀吉も無下にはせんだろう。」
「だが…」
「『孫子』は学んだか、童。」
信玄は続ける。
「戦はな、五分、六分の勝ちを持って良しとするのだ。それ以上は驕りに繋がり、無用の恨みを生む。あとは勝ちにこだわれば自滅する。」
「…」
「貴公はすでに六分の勝ちを拾ったのだ。後はどう終わらせるか、だ。」

気がつくと、日はすっかり落ち、夜の星が輝き始めていた。家康は一人で、湯船に浸かっていた。
「…信玄。」
家康はつぶやく。信玄という男から、思えば多くを教わったような気がする。その男が最後に教えるのが、
「膝の折り方、か。」
実にらしくない。だが、大敗を喫しても立ち上がり領土を拡大した信玄の、まさに秘伝かもしれない。

わだかまりは少し小さくなった気がする。まだ、自身の王道をすべて投げ出す気にはなれない。だが、あるいは、別の方法があるのかもしれない。

家康はものも言わず、湯船を出る。おそらく、彼に会うことはないのだろう。それでも、最後にこう言わずにはいられなかった。
「また来ます、信玄公。」

時系列的には33話-34話辺り。家康の迷いの前に、信玄が来たら、というプチ妄想。自分が一番であることを諦める、って相当な胆力がいると思う。ましてや戦国を生き抜いた大名ならばそのプライドたるや。
それを折って臣従した家康の心中は察するに余りある。

そんな太閤も次週くたばる。いよいよ、家康による王道が始まる。

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