【大河ドラマ連動企画 第12話】どうする基胤(大沢基胤)

ついに今川氏真が滅亡、徳川家康は三河・遠江の国主になった。ここまでで1/4の話数を使っている。このペースで終わるのであろうか、は毎年のことなのでおいておくとして、流石に突っ込んでやろう、いじってやろうと思いながら12話まで見てくると誰が戦犯なのかはっきりしてきた気がする。史実に乗っ取ったストーリー展開については大きなトンチキは発生せず進行している。キャラクター造形についても、今川氏真には氏真なりの苦悩を描いていた。問題はやはり演出と言えよう。今回の早川殿についても史実で確かに徒歩で逃げないといけない描写はあったが、そもそもまず足が悪いという情報を付け足す必要がない。他国に同盟相手として嫁がせる姫に身体障害があるというのがリアリティがないようにも思われる(今よりも身体障害に対する偏見が強かったと思われる時代のことである)。前回の強引ともとれる同性愛描写に続き、変な差し込みである。中途半端にCGを多用する上にセットの作り込みが雑で使いまわしがすぐバレるクオリティ(掛川城と岡崎城本丸が同じデザイン、以前には大高城外と上郷城外が同じデザインだったのもある)。予算が今年は少ないのだろうか…。

さて、今回は武田侵攻と共に一気に瓦解した今川家臣団にもちゃんと戦ってくれる人もいた、というお話。ひとり家臣団岡部元信や氏真を保護した掛川城主朝比奈泰朝など、忠義を尽くしてくれる家臣も何人か残っていた。今回は堀江城攻略で活躍した大沢基胤を扱う。

大沢基胤は代々、堀江城を治めてきた大沢氏の末裔である。大沢氏は室町時代初期(南北朝時代)に堀江に移住した。もともと持っていた丹波国大沢から名前を取り、大沢氏と称した。ちなみに堀江城は浜名湖の東岸にある城で、曳馬城(浜松城)よりも三河よりである。今で言うと舘山寺温泉や浜名湖パルパルがある辺り、と言うと分かりやすいか。

堀江城と各城の位置関係

曳馬城への侵攻は堀江城より北側にある井伊谷を経由して行われ、堀江城は一旦捨て置かれた(『おんな城主直虎』に出てきた「井伊谷三人衆」(近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時)がこの頃徳川家康に内通したため)。しかし、掛川城攻略が長期化するに伴い、孤立しているとは言え背後にある堀江城は問題となる。家康は井伊谷三人衆らに命じ、堀江城攻撃を命じるが、基胤は1ヶ月にわたり頑強に抵抗。なかなか攻略できない状況に家康は本領安堵を条件の和睦交渉を選択する。ここにおいて基胤はついに家康に降伏することになるが、この時、基胤は氏真に書状を送っている。
「ここまで奮戦してきたが、もはや耐えきれない状況となった。城を枕に討死することも考えたが、これは誠の忠義ではないと思う。」
正直、ただの言いわけでしかないのだが、それでも氏真にわざわざ許可を求める書状を送る。基胤にも氏真への忠義はあったのだろうし、そうせざるを得ない不器用な性格だったのだろう。
氏真からの返書についても「随意にして構わない、これまでの忠誠には感謝している」と伝わっており、事ここに及んで取り乱さず落ち着いた名門の風格が感じられる。ドラマだと精神不安定になりすぎている感もあるが…。
かくして降った大沢基胤は酒井忠次配下として活躍、長篠の戦いや小牧長久手の戦いに従軍したと伝わっている。
こうして旧主に仁義を切り、家名を保った大沢家であるが、実は現代にまで影響を大きく及ぼしている。
大沢基胤の孫は他家に養子に入り、持明院基定となる。さらにその子も養子となり高野保春、その子も養子となり四辻実長となる。そしてその孫娘は他家に嫁いで正親町雅子を産む。この正親町雅子が仁孝天皇に嫁ぎ、孝明天皇を産む。孝明天皇の子が明治天皇。つまり、大沢基胤の末裔が現在の天皇陛下なのである。

大沢氏系図。歴史の妙である。


堀江城で基胤が討ち死にしていれば、歴史は大きく変わっていた可能性があるのだ。歴史の偶然を強く感じることになった。

余談:「どうする!氏真」
作品中で語られつくされているとは思うが、溝端淳平氏演ずる本作の今川氏真についての感想をここで書きなぐっていく。
まず、義元が語っていた、家康は本当に氏真に手加減をしていたのか、だが個人的には「していない」が正解だと思っている。義元が言う通り家康には天賦の才があるとは思うのだが、この時点ではまだ開花していないだろう。あの時はむしろ氏真の「無意識下の驕り」が敗因と思われる。氏真自身は家康とは友好な関係を気づけていたし、純粋に努力の勝利を疑わなかった。瀬名を巡る三角関係から全てが狂い始めたのである。努力は変わらず続けていたが目的が「自己鍛錬」から「家康への対抗心」にすり替わってしまい、事あるごとに家康への強烈なコンプレックスに支配されるようになってしまう。義元の伝え方が悪かったため、さらに桶狭間の戦い直前にこじれてしまっている。その後視野狭窄に陥り自分を大切に思ってくれている人全てが憐憫や侮蔑を加えているように見えてしまいますます孤立していく。最後に残ったのが本当に忠義を尽くしてくれているもののみだった時、遂にその才能は開花するのだが、それはあまりに遅かった。命が助かっただけ幸せだったと思える最後で、重荷をおろした姿は晴れやかだった。
このシーンで初めて妻と正面から向き合っている。ちょっと前まで「足手まとい」とまで言っていたのだが、色々邪魔なものが削ぎ落とされて、自分が大切にするべきものが見えるようになった、という素敵なシーンである。…別に障害者にする意味はやはり感じられない。
ストーリー上、おそらくもう氏真は出て来ないだろう。最後に「俺はここで降りるが、お前はまだ降りるな。そこでずっと苦しめ」という呪いのコメント(あるいは激励)を残した時点で彼の「歴史上の舞台での役割」は完結している。もっと絡んでほしかったのだが…。
しかし、こんな有名人物から端役者まで、おそらく誰しもが役割を持つのが歴史の舞台である。一つの歯車の変化が世界に及ぼす影響はとても大きいのだろう。

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