さちうすのクイズメモ#4『小京都多すぎ問題③』~野生の小京都編~

承前

これまで2回にわたって、「全国京都会議」に参加している「小京都」の異名を持つ37の自治体について紹介してきた。

しかし、実際にはこれらよりも「小京都」のイメージが定着しているにも関わらず加盟していない自治体も多数存在している。そこで今回はこれら「野生の小京都」についても(クイズで出題される可能性があるため)紹介していく。


「野生の小京都」はなぜ生まれたのか

全国京都会議の成立についてはすでに第1回で述べたとおりである。この時にも言及していた話だが、1999年度に最多の56市町が加盟していた全国京都会議は現在はその2/3程度、38市町に減少している。またこれまでに加盟した市町は述べ67箇所であり、29市町が脱退したことになる。脱退理由について個別の事情までは調べきれていないが、wikipedia「小京都」の項であげられているものとして、財政難や観光誘致へのメリットが乏しいことがある。このような団体の運営には当然ながらお金がかかる。加盟自治体は少なからざる金額を支出していたことは想像に難くない。一方で「全国京都会議」の知名度が高いわけでは無いこともまた事実であり、労多くして功少し、と考えた自治体が多いのも頷ける。
また、「小京都」のネームバリューもまた限界を迎えていた。小林らによると、主要な旅行雑誌3誌における小京都に関する特集が初めて組まれたのは1969年、最後に組まれたのは2002年である。小林らは「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンの開始と前後し始まった「小京都」ブームが2000年ごろに終焉を迎えたと分析している。また、同論文においては各特集記事における「小京都」の構成要件の変遷についても調査しており、その中で「京都との歴史文化のつながり」から「町並み」に構成要素のシフトが進んでいることに着目している。(小林,2017)すなわち、「自然、文化、町並み」という構成要素が「小京都」であるという定義を用いたことにより、逆説的に「小京都」というブランドイメージを用いる必然性が薄れたと言える。

そもそも、小京都という名称を名乗る、あるいは他称するためには全国京都会議に加盟する必要もない。そのため、ディスカバー・ジャパンに端を発する旅行ブームの中で旅行業界が安易なレッテル張りとして多用したのが「小京都」である。少し古いが、高校野球界における「◯◯のイチロー」や嶋重宣(広島)や福田永将(中日)の「◯ゴジラ」と同じである。
結果として、過去の特集では合計118もの地域に「小京都」の呼称が用いられていたのである。

今回、差し引きした80近い地域のすべてを紹介することは困難である(そもそも情報が入手できない)ため、wikipediaの「小京都」の項目を参考にいくつか紹介してみることとする。ここには過去に「全国京都会議」に加盟していたがその後脱退した25の自治体が記載されている。小京都の異名の記載がない大津市、亀山市、伊万里市は除外して紹介していく。
※wikipediaを中心とした記載になること、また訪れた自治体とそうでないもので解像度が異なるため内容に多寡が生じることをご容赦いただきたい。

北海道・東北地方

松前
北海道松前町は渡島半島の最南端に位置する自治体。松前藩の城下町として、アイヌ文化の窓口となっていた。数の子、スルメ、昆布を醤油で漬け込んだ「松前漬」の名前の由来ともなっている。「北の小京都」「渡島の小京都」の異名がある。
弘前
現存十二天守の一つ・弘前城を有する青森県弘前市は津軽氏の弘前藩の城下町から発展した都市である。「お城とさくらとりんごのまち」のキャッチフレーズもある通り、弘前城の名物とも言える桜は市の花、青森県の特産品・りんごは市の木に指定されている。「津軽の小京都」の異名がある。
盛岡
南部氏の盛岡藩の城下町として栄え、現在は岩手県の県庁所在地でもある岩手県盛岡市。市の中心を流れる北上川、多くの校歌に読み込まれる岩手山など美しい自然に囲まれ、石川啄木は「美しい追憶の都」とも表現している。「みちのくの小京都」の異名がある。
遠野
柳田國男の『遠野物語』の舞台となった民話のふるさと、岩手県遠野市。「陸中の小京都」の異名がある。
水沢
水沢伊達氏(留守氏)の城下町として発展した岩手県奥州市水沢地区。南部鉄器の発祥の地としても知られるほか、市内の黒石寺では2024年まで日本三大奇祭の一つと呼ばれる蘇民祭が行われた。「陸中の小京都」の異名がある。
山形
戦国時代は最上氏が治め、江戸時代は山形藩が置かれた地域で、現在は山形県の県庁所在地である山形県山形市。「出羽の小京都」の異名がある。
酒田
東北の米どころの一つとしても名高い山形県酒田市。西廻り航路の拠点として西の堺と並び称されている。市内には出身者である土門拳の記念館がある。「羽前の小京都」の異名がある。

関東甲信越地方

湯河原
東京に程近い温泉地として古くから文豪や画家に愛されてきた神奈川県足柄下郡湯河原町。政治家なども通っており、二・二六事件においては光風荘に逗留中の牧野伸顕らが襲撃される事件も発生している(これが同事件における東京以外の唯一の襲撃先である)。近年は都会田舎(とかいなか)とも呼ばれ、団塊の世代の移住先として人気を博している。かつては「相模の小京都」とも呼ばれていたが、こうしたさまざまなイメージの変化を取り入れるべく、2011年から「小京都」の名称を観光アピールに公式に使用しないことを決定した。勇気ある決断である。
松本
国宝の松本城を有する城下町が広がる長野県松本市。県のほぼ中央に位置し、かつては筑摩県の県庁所在地だったこともあり、現在も長野市に次ぐ県内第2の都市である。古くは開智学校、現在は信州大学と学問の街としての側面も持つ。かつては「信州の小京都」とも呼ばれていたが、現在は「文化香るアルプスの城下町」をキャッチフレーズに掲げている。
飯田
南信州の中心都市として栄えた長野県飯田市。飯田城の城下町、また塩の道として栄えた三州街道の宿場町として発展した同地には数多くの伝統芸能が残っており「南信(州)の小京都」とも呼ばれる。
飯山
長野県飯山市は飯山城址を中心とする城下町でお寺が多く寺の町としても知られる。また伝統工芸として仏壇が知られ、数多くの仏壇職人が暮らす。「北信の小京都」とも呼ばれる他、雪深く雁木が連なる町並みを島崎藤村はこの地を「雪国の小京都」とも呼んでいる。

中部地方

高岡
前田利長が築いた城下町である富山県高岡市。『詩経』の一節から取られた瑞祥地名であり、高岡銅器の技術を応用した鋳物の生産をはじめとする様々な産業が発展している。「北陸の小京都」「富山の小京都」とも呼ばれ、同じく前田家のお膝元の金沢市と双璧をなす。
金沢
石川県金沢市は加賀藩の城下町として江戸時代は名古屋に並ぶ大都市であり、現在も新潟市に次ぐ北陸第2の都市で、関東との結びつきの強い新潟市に代わり北陸三県(富山・石川・福井)の中心を担う。歴史的風情の残る町並みと和菓子などに見られる伝統文化が残り、北陸新幹線の開業に伴いますます観光都市としての地位を確立している。「加賀の小京都」とも呼ばれる。
小浜
他の地域よりも更に歴史が古く、ヤマト王権時代から港町として栄えた福井県小浜市。東大寺のお水送りで使われる水は小浜市から運ばれており、市内の若狭神宮寺では「お水送り」の儀式が行われることでも有名である。数多くの文化財が残っており、「海のある奈良」と称されることもある。若狭塗めのう細工といった工芸品も魅力的。海産物を京都へ送る重要な拠点で鯖街道の起点でもある。「若狭の小京都」とも呼ばれる。
大野
「天空の城」としても知られる越前大野城の足元に広がる城下町、福井県大野市。名水地としても知られ、それを利用した日本酒そばが特産品である。江戸後期には蘭学研究がさかんとなり、作家・司馬遼太郎は「日本における洋学の中心位置」と評した。「越前の小京都」とも呼ばれる。
高山
平成の大合併により全国の市町村で最大の面積を誇る岐阜県高山市。江戸時代は天領として栄えた町並みには高山陣屋を含めかつての装いが残り、春・秋の高山祭りの際には国内外から多くの観光客が訪れる。「飛騨の小京都」とも呼ばれる。

私の中の「小京都」と言うとやはり高山が思い起こされる。地元から近い、というのもあるだろう。地理的には下記の犬山のほうが近いのだが、しっくりとこない。

犬山
国宝の名城・犬山城の下に広がる城下町が有名な愛知県犬山市。風光明媚な川沿いに建つ名城とその前の城下町は確かに「尾張の小京都」と呼ぶにふさわしい。名古屋鉄道株式会社の観光開発資源が集中投下されており、市内には博物館明治村リトルワールド犬山モンキーパークと大型観光施設が複数存在している。名鉄資本ではないお菓子の城もお菓子作り体験ができる施設として知られており、伝統文化と新たな観光産業が同居する観光都市である。

中国・四国地方

三次
中国地方の中心部の三次盆地にある広島県三次市は多くの川が合流する地点にあり、霧の町と呼ばれるほどに霧が多い。かつては五日市と呼ばれた城下町とかつて十日市と呼ばれた現在の中心部で双子都市圏を形成する。「備後の小京都」と呼ばれる。
竹原
港町として瀬戸内の交通の要衝にあった広島県竹原市。江戸時代後期には製塩業と酒造で栄え、「安芸の小京都」と呼ばれる。
大洲
肱川のほとりに建つ大洲城の城下町を中心に発展した愛媛県大洲市。盆地にある町でこちらも霧が多く、白い霧を伴った霧が肱川に沿って吹き抜ける肱川あらし(肱川おろし)という現象でも知られる。「伊予の小京都」とも呼ばれる。
那賀川
徳島東部に位置する徳島県阿南市那賀川地区。足利義稙の養子で阿波公方となった足利義冬が治めた地で、「阿波の小京都」とも呼ばれる。

九州地方

人吉
球磨川沿いの温泉と川下りで知られる熊本県人吉市は相良藩の城下町として栄えた。国宝の青井阿蘇神社があることでも知られ、今に残る城下町の町並みとともに「熊本の小京都」とも称される。

まとめ

今回で現在にもその名前が残っている「小京都」と呼ばれる都市についてはあらかた語り尽くしたものと思う。改めて第1回でも定義した小京都について論文などを元に言及するが、「小京都」とは元々、応仁の乱において地方に疎開した貴族による京都文化の派生によって形成された「都うつし」の都市形成を指す言葉であった。この言葉に多少の変質が加えられたのは戦後~高度経済成長期であり、文化的な紐帯に加え、京都に似た風景・自然景観伝統産業・芸能が存在する地域も指すようになった。これは京都市が明治維新後積極的に近代文化を導入し伝統と科学技術が混在する街となっていったのと対照的に近代化・都市拡大の遅れた地方都市が再度の地域振興を図るために戦後の観光ブームに乗る形で呼称するようになったとされる(上野,2010)。しかし近年はこの伝統文化の個別性や新たなイメージづくりを目指し画一化された「小京都」のブランドイメージを脱却しようと試みる自治体も多く、これが「野生の小京都」すなわち、「全国京都会議」からの脱却につながっている。

 これからもクイズでは「小京都」についての出題が見られる可能性がある。しかし、「小京都」といってもその内容は様々であり、それぞれの都市が持つ良さがある。アタック25Nextでは「ふるさと創生クイズ」やラストのビジュアルクイズで各地域の魅力が発信されている。それぞれの都市を「小京都」ではなく個別具体に愛するために、また「生きた知識」とするために全国の伝統文化息づく都市に足を運んでみてはいかがだろうか。

参考文献

内田, 順. (2015). "小京都に見る日本的風景のイメージ." 国士舘人文学 5.

小林 良樹, 十代田 朗, 津々見 崇, 全国京都会議の加盟自治体による「小京都」を用いた地域ブランディングの変遷に関する研究, 都市計画論文集, 2017, 52 巻, 3 号, p. 887-894

上野裕,「小京都」論と「大京都」形成 -歴史都市京都の近代化." 地域総合研究所紀要, 2010, (2), 91-100.


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