【大河ドラマ連動企画 第6話】どうする忠次(松井忠次)

今回はイジる要素がなくてつまらなかったなぁ…(感覚が麻痺して少年漫画みたいな忍者軍団を普通と感じてしまった中年男性)。
ちなみに唐突に正信が甲賀衆を連れてきたのを見て「オイオイ」となってしまったのですが、どうやらこれは史実らしい。甲賀衆が忍び込み火を放ち、混乱の中で鵜殿長照は討ち取られ、二人の息子が生け捕りになったと記録されている。つまり、「オイオイ」となるのは服部党のみなさんの方らしい。
後は、氏真の側近にやたら名前は連呼される(関口氏純にフルネームで呼ばれたり、氏真にめっちゃ命令されたり)割に扱いの小さい岡部元信が登場した。史実では、岡部元信についてはいずれ扱いたい(この扱いではろくに活躍しない公算の方が高いがまだ取っておきたい)くらいの重要人物である。本編では氏真に雑な扱いをされながら最後まで見捨てないし、心優しそうな人物として描かれている。というか、鵜殿長照より扱いデカくても良いくらい。

というわけで、今回は逆に出番を正信に奪われたスパッとカットされ、この後も出てこないと思われるマイナー武将を紹介しようと思う。

第6話「どうする忠次」 松井忠次

普通、徳川家臣団で忠次と言ったら、エビすくいおじさん酒井忠次である。今回は松井忠次を紹介する。松井氏は今川家臣の松井氏(松井宗信、宗恒など)と同族であり、幡豆郡の東条吉良氏領に住み、東条松平氏の寄騎として活躍する。途中で東条松平氏の主君がわずか1歳の亀千代丸になってしまい、後見人として実質的に東条松平氏の指揮を取ることとなる。詳しい経緯は不明だが徳川家康に合流したのは東条吉良氏服属の前後と考えられている。

で、この松井忠次をなぜ今回ピックアップするのか、というと。今回の甲賀衆による上之郷城攻略を計画したのがこの松井忠次だからである。史実によると忠次の家臣が甲賀の多羅尾光俊より甲賀衆を借り受け、攻城作戦を行った結果、撤退しようとした鵜殿長照を討ち取り、その子二人を生け捕りにすることに成功したとある。ちなみに鵜殿長照を討ち取ったのは伴与七郎、二子を捕縛したのは伴資綱という甲賀衆であったという。服部党、便乗するのみならず手柄も横取りしていた。正信もしれっと忠次の手柄を横取りしていた。
これは今回終盤で語られた瀬名姫との人質交換に繋がるので超大手柄である。松井忠次(と松平亀千代丸)への家康の好感度はストップ高である。

その後も忠次は主君・亀千代丸(家忠)を支えて徳川家臣団の譜代として活躍。徳川家の主要な戦いに参加する。三方ヶ原の戦いでは家康を守り、忠次の一族も多くが討死。その後も西三河で武田氏と戦い続け、その功績で松平氏を名乗ることを許され、松平康親と名乗った、とされている(異説あり、これにより主君・家忠の家系は東条松平氏、忠次の家系は松井松平氏と呼ばれるようになった)。家忠が病死した後も、家康の子・忠吉が養子となった東条松平氏を支え続け、武田氏滅亡後は駿河に移り、後北条氏と戦い続ける。そして対陣中にそのまま没することとなる。

彼の人生は徳川四天王や有力家臣ほど輝かしいものではなかったのかもしれない。しかし、徳川家が独立した当初から、主君を支えて戦い続け、多くの一族、家臣を失いながら徳川家に貢献し続けた。その働きを見ていたからこそ松平姓を許され、重要な仕事を任され、家康の子の後見となったのであろう。今回の大河ドラマでは省略されたが、すべての忠義の武将、すべての凡庸な武将にドラマがある。
※脚本を批判したい意図はまったくない。今までの大河ドラマでもストーリーをわかりやすくするため、省略された人物はいる。
時に卑怯な選択を、時に卑劣な選択を迫られることもある。しかし、それは自分が「最善」と思う方法を選んだ結果であり、その結果によって後に愚将、名将と評価されているだけなのだ。今回の大河ドラマの主人公・家康に限らず、すべての人は決断の連続で生きている。そんな主人公以外の決断をこのシリーズで伝えていけたらと思う。

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