言葉にする→イメージになる

自分の中にある漠然とした考えや思いを、とにかく文章や、音声、言葉にすることの価値を見直していきたいと思う。

思っているけど、言えないこと、言葉になっていないこと、一度、思い浮かんだが忘れ去ってしまい、また、思い出していること、などなど。

自分の中で形を得ることができずに、絶えず浮かんでは流れていくものが、日々、確実に存在していると思う。

それらは繰り返し繰り返し、巡り巡ってくるものでもあれば、ある時、その瞬間、その場所で、その人と話したり、過ごしたり、通り抜けたり、その行動して、自分の認識する世界が変化したときだけに訪れるものもある。

そういったものの中で、自分に去来したできるだけ意味があるもの、価値があると自分が思えるものを、言葉にして残しておくこと。

最悪、残すことは意識しなくても、その時、その瞬間、たとえ一瞬でも言葉という形を与えられたという、行動自体の記憶が自分の中に残ること、その時の感情、感触、イメージが自分にとって大いに意味があるように思う。

配達しながら夜中の3時や4時ごろ、ふと、ツイートするのは、そういったふと浮かんできたものを、最低限、前後の脈絡はなくとも、言葉にしていくことで、自分の印象に残すことができるということを、もっともっと大切にとらえておく必要があると改めて、最近は強く意識する。

インプットが多すぎる傾向にある時代、現状であるから、全くの真空地帯である「無」と、自らの意思に基づいた能動的なアウトプットの、これら3つのバランスをしっかり意識したいと思っている。

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