任せることと、思い切り

人を信じて任せることの重要性を感じる。やはり、できうる限りに丁寧に教えたら、仕事でも何でも、相手を信頼して任せることだと思う。

完璧を求めたら、自分の手から離れた仕事の結果に対する責任を、自分で負ったり、逆に、手を離れてからも、その責任を自分のものだとして、任せた相手に対してプレッシャーをかけすぎてしまうことは、仕事を失敗させてしまう原因になるのではないかと思う。

仮に、何をやっても最初は失敗するのだったら、最低限の失敗は許容する。あるいは、その失敗は今後、うまく物事がまわるために絶対に必要なものだと、割り切って、受け入れることなのだと思う。

同じ失敗なら、失敗を有効活用しないと、無駄に繰り返したり、任せた相手のメンタルを下げる結果につながって、悪循環に入ってしまう。

つまりは失敗する→叱責する→失敗する→叱責する、そんな負のスパイラルに入ってしまう。仕事は任せられて、自分で一人やってみて、初めて見えてくることがあると思う。

思ったよりもできたとか、わかっていたつもりになっていたけど、実は全然できなかったとか、重要なことが抜け落ちてしまったとか、そういったことが起こりうる。

逆に自分が、仕事を任される側だったら、細部より、まずは全体の流れと大枠をつかむことが、一番最初にすべきことではないかなと思う。

教える側はきっと、1から10に向かって細部から一つ一つ丁寧に詰めていくことになると思う。教える側の論理でいえば、順番に一つ一つ仕上げていって、全体を網羅するという形になる。筋道立てて、順番にという形で。

しかし、教わる側は最初から最後まですべてが一度に入らないから、印象に残ったことと、印象に残らなかったことと明暗が出る。だから、細かい部分では抜け落ちができて斑が出る。

覚える側とすれば、最初をまずは覚えて、最後を必ず意識してから、その中間にチェックポイントをいくつか設定して、全体の流れをイメージする。イメージする中で思い浮かぶ疑問点に関しては、すぐその場で解消しておく。

あるいは、自分の特性を客観的に見て考慮して、どういう時に自分は抜け落ちるか逆算しながら、話を聞いていると、自分が抜け落ちそうなポイントが見えてくるものだと思う。

そして、思い切りということ、これを新聞配達で説明すると、集合ポストのある高層住宅などで、指定された部屋番号に、指定された新聞を入れるときの心理状態が、思い切りというものを考えるときに、適当だと思う。

配る側は、自分が果たして指定された部屋番のポストに、指定された新聞を本当に投函できたか、疑心暗鬼になる。たとえば、一列ずれたとか、一軒飛ばしたとか、間違った銘柄の新聞を入れたとか、間違え方はいろいろある。

その対策として、新聞は一回で投入せず、半ざしにして、最後に確認しながらもう一度、完入させていくというのが初心者向けのオーソドックスなやり方だが、究極のところは思い切りと、その場の集中力が正確さの成否を決定する要素だと思う。

今、101号室を入れる。銘柄を確認する、101のポストの口の位置を確認する、そこに入れる、奥まで投入する。次に103へと、その1軒をきちんとその場で、一つの仕事として意識して、締めて思い切りよく、完結させていく。意識の向け方と、自信をもってやるということで、結果やスピードにも大きく影響がある。これは長年の経験上いえる。

逆に、何年続けていても、常に自分の直前にした行動に自信がないと、いつまでも、一つの仕事がその瞬間に完結できない。その結果、どこかのタイミングで抜け落ちが起こってしまう。なぜなら、少し前のことに意識が向いたまま次の仕事を行うので、目の前のことに集中できていないという状態が発生してしまう。そういうときに、たいてい失敗が起こるのが常だと思う。

この失敗の構造と特性を知っているだけで、すべてのことに対しての結果がまるで違うと思っている。

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