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過去の戦争の記憶から学ぶ

今日はピースデイ。


今週、第二次世界大戦の時代に、兵士としてアジアへ行き、たくさんの命を奪った(ことに関わってしまった)人たち。その先で、家族の命を奪われたアジアの人たち。双方のインタビュー映像を見せていただく機会があった。

この映像を見ることで、漠然としたイメージの「戦争とは何か」という問いが、今を生き、未来を生きる私たちにとっても、大切な問いであることが、すっと心と頭に入ってくる。

インタビューの中で、ある元兵士は、戦中の行為を悔いていた。
あるアジアの女性は夫を奪われた悲しみと怒りを、全身で語っていた。

70年以上たった今でも、命を奪い、奪われたことに関わらざるをえなかった人たちは、その人生を終えるまで、深い心の傷を抱えたまま生きていかざるをえない。

その想いは「戦争」と言う、誰に責任があるのかわからない、顔の見えない対象にぶつけてみたところで、どうすることもできない。だから、その傷を抱えたまま亡くなっていく人も多いという。

そんな中で、戦争を経験していない世代が、「お話を聞かせてください」と声をかけ耳を傾けたことで、身内にも話せない辛い記憶や経験を話してくださった、ことは、お互いにとって大きな意味がある出会いで、素晴らしいなと思った。そしてその映像を共有させてもらえたことが嬉しかった。

改めて、なぜこんなことが起きてしまったのか?と思う。「戦争」という、個人では抗えない時代の大きな流れが始まってしまうと、その中で信じられないような手段で、信じられないようなたくさんの命が失われてしまう。その流れはどうしたら防げたのか?

第二次大戦みたいな戦争なんて、今はもうおこらないよと誰かに言われたことがある。私も、現代や未来に、同じ形の「戦争」が起きるとは思わない。

でも、今は社会や個人の集合体がカタチを変えて、一人の大切な命を奪う、ことがたくさん起きていると思う。

例えば、経済システムから生まれる格差だったり、マジョリティがマイノリティに耳を傾けない民主主義が横行する政治システムだったり。しかも奪う側が、奪われる側の姿が全く見えてないことが多いことは、顔の見えるリアルな戦争よりももっと深刻なのかもしれない。

命を奪わない、を必須のスタンダードに、経済や政治のシステムを再考してみたい。

そして戦争経験を映像や、機会があれば文字や、直接伺える機会があれば、私よりも若い未来世代と共有しながら耳を傾けていきたい。

サポートありがとうございます!これからもつながっていきましょう!