【230122】Snow Manについて語るときに我々の語ること

 何かを語ろうとするとき、本来はその周辺の知識も持っていないと正しくは語れないと思っていて、例えばピザハットのことを語ろうとするとピザーラやドミノピザのことを知らないと比較が出来ないし、2023年現在のチキンラーメンのことを語ろうとするとそれまでのチキンラーメンの歴史を知らなければ奥行きのある話はできないと思うんですよね。
 だから半年ちょっと前にSnow Manにハマったばかりで、かつジャニオタ遍歴も10年前に嵐のオタクだった程度の私が正しく語れることは何一つ無いと思うんですが、一旦この機会に現時点での感情を出力しておきたいな~と思った所存です。とんでもなく長い割に読んで得することは何もありません。3周年に新規オタクが出張ってすみません。全然石とか投げてください。

それだけで救済たり得ること

速さ的には恋かもしれない

 私がSnow Manに興味を持ったきっかけは、近所に住んでいる友人からもらった「おそ松さんの実写版興味ない!?」というLINEだった。2022年の夏頃のことだ。

 しかし当時リアルの生活が完全に終焉(おわ)っていた私は、元々ずっと大好きだったゲーム実況者の動画もろくに観ることが出来ないくらいほょほょの状態になっていたところだったので、新しいコンテンツを楽しむ余裕はあまり無かったのだ。とはいえオタクはライブの鑑賞会が大好きなので、その友人から実写おそ松さんを観る前にライブ円盤の鑑賞会開催をちらつかされると抗う術も無く、カラオケのでっか~いモニターでライブを観る約束をしてしまった。

 この時点で私は数年間ニコニコ動画ばかり見てテレビもろくに観ていない終わりの人間だったので、Snow Manについては「人数が多くて脚が長い」くらいの知識しかなかったのだが、ライブを観る前に少しくらい予習しておこうとYouTubeで公式MVや企画動画を観始めた。そして気付いたらそのままファンクラブに入会していた。「おそ松さんの実写版興味ない!?」から2週間くらいのことである。

 友人もまさかDVD鑑賞会の前にファンクラブに入ってくるとは思わなかったようで、普通に怯えていた。私自身もこんなことになるとは思わず、震えながらそのままジャニーズウェブにも入った。理性を失ったオタクは怖いですね。


「2D.2D.」で私が見たもの

 そして鑑賞会の日、友人に観せてもらったのは2020年に行われたデビュー後初コンサート「2D.2D.」のDVDだった。わかってはいたけれどこれがもう本当に最高で、呼吸も忘れるくらい格好良いのにあたたかな朗らかさもあり、儚くも力強くもある輝きが画面いっぱいにキラキラしていて、私がアイドルのライブで見たいもののすべてがそこにあった。

 これは9人のダンスを初めて見たときから感じていたことなのだが、Snow ManはMCやトークだけでなくパフォーマンス中の姿からも、9人各々の信頼関係や共に過ごす喜びや積み重ねた愛着が痛いほど鮮烈に伝わってくるのだ。それをこんなにも高い明度のままこちら側に届けてくれるのが本当に素敵で、アイドルってやっぱりすごいなあ……としみじみ思ったりもした。

 そして終盤、9人が各々挨拶をする場面。彼らの言葉にはまっすぐな喜びや感謝があふれながらも、デビューまでに味わってきた辛酸の濃度とそこで手にした得難い覚悟がありありと滲んでいて、私はド新規オタクにもかかわらず既に涙腺がゆるんゆるんになっていた。本当に素敵なグループだなぁと思いながらでっけ〜モニターを眺めて、白昼夢のような浮遊感に包まれて、それから佐久間くんが挨拶の中で「生きててくれてありがとう」と叫んだ瞬間、私は突然尋常じゃないくらい泣いてしまっていた。
 ──もちろんこのときの彼らの言葉は2022年の夏に生きる私に向けられたものではなくて、このライブが行われた当時にはファンですらなかった私がここに自分を結び付けて何かを思うのは本当におこがましいこと極まりないわけである。その注釈を己の思考回路に何度も何度も釘で打ち付けていたはずなのに、それでもなお、この一言に私はどうしようもなく救われてしまったのだ。

 以下唐突スーパー自分語りで恐縮なのだが、私は今まで生きていてずっと、自分の人生をどうにかこうにかやりすごしている感覚があった。昔から自分の人生丸ごとどうしようもなくしんどくて、大人になってからもそれは全く拭えないどころか迫りくる現実の質量に耐えかねて言い訳のモラトリアムすら失い、本当に常時ギリギリのところで過ごしていた。それでもおめおめと生き延びていたのは結局自らを終わらせるほどの気力も体力も持ち合わせていなかったからなのだが、前述の通りこの頃私は本当に終焉-demise-を迎えていて、私の最寄り駅が鈍行も快足も停車する駅じゃなかったら、乗り換えの駅にホームドアが設置されていなかったら、彼岸の淵は白線ごといつでも簡単に踏み越えられてしまうような状態だった。

 そんな風にして頑強な苦痛が蓋をした人間の空洞に、自我と怠惰が絡んで根を張った奥の奥に、佐久間くんの声と言葉はあまりにもまっすぐ飛び込んできたのだ。

 あともう本当におこがましすぎて書きたくないのだが(じゃあ書くな)、阿部さんの「この手は絶対に絶対に離さないでください」という言葉を聞いた瞬間、本人の意図した内容とは異なるにしても、私は一人の人間としてこの場所に生きていることをまるっと承認してもらえたような気持ちになってしまった。畏れながら阿部さんの言葉を借りるなら、この瞬間にあたたかく手を握ってもらったような……狭窄した視界の端から光を注いでもらったような……どういう表現をしても不遜にしかならないが、とにかくあの瞬間、確かに私はこの世につなぎとめられたのだと思う。

 ここまで来るともう本当に涙が止まらず、ウォータープルーフマスカラのすべてを涙で洗い流して私の初ライブ鑑賞は終了した。

 そこから先はもう激流に身を任せたままというか、あれよあれよという間に後戻りできない大海の沖の方までざぶざぶと流され続けている。オタク特有の誇大表現でなく、本当にSnow Manのおかげで今自分は生きているな……と、賑やかなイヤホンの奥で思いを馳せたりもするのだ。あのとき私の地獄に音楽を流してくれたのは、紛れもなく彼らだったから。

Snow Manという星のこと

きっと酸素で満ちている

 落雷のような勢いでSnow Manという存在に脳を裂かれてから半年経ち、最大瞬間風速のまま今もどんどん歩を進めている最中だが、彼らのどこにこれほど惹かれたんだろうか……とふいに考えたりもする。結局いつも「……全部?♡」と浮かれポンチの大ノロケみたいな結論になるのだが、思い返せば私が一番初めに感じた魅力は「空気感の良さ」だったような気がしている。

 あまり彼らについて詳しく知らなかった頃は特に、Snow Manというとそれぞれの個性が多方面に突出しているイメージがあった。そのため私のような陰鬱社会性終了人間は、この個性が9つもあって……どう仲良く……?という余りにもおこがましい(コイツずっとおこがましいな)不安を抱いてしまっていたのだが、実際のところそんな憂慮が本当にアホらしくなるくらい、彼らから感じる空気はあまりにも心地良いものだったのだ。
 接し方といい話し方といい表情といい、とにかく見ているだけでこちらまで楽しい気持ちになるような温度感がグループ全体に満ちていて、それが2人ずつや3人ずつになっても変わらず存在しているところもすごく魅力的だった。

 特に相手の好きなものや夢中になっているものについて、貶めて笑いを取るわけでも変に特別視して敬遠するわけでもなく、ただその人を構成する要素の一つとしてごく身近に扱うところがめっちゃ最高〜! と思う。もちろんそれは彼らが当たり前に授かった能力ではないはずだが、9人の中ではそれが当たり前なんだろうなと思えるような空気そのものが素敵だ。

 それから、最初の印象だと岩本くんと佐久間くんの2人はなんとなく(本当になんとなく)対極に位置しているように見えたのに、実際岩本くんは佐久間くんが何か愉快なことをする度にけらけら笑って誰よりはしゃいでいて、えっカワイイ……となったのも大きかった。要するにSnow Manは全員ギャップが最高なのだ(サムズアップ)。


酸素を食らうもの

 それからもうひとつ私が強く感じているSnow Manの魅力は、ひとことで言うと「強靭さ」である。

 私が彼らのファンになった頃には既に、Snow Manというアイドルは画面の向こうで光り輝く一等星のような存在だった。しかしその輝きは無条件に与えられた光などではなく、骨を砕くような苦悩の過程で得た決意がぎらぎらと燃えている、燦然とした炎の輝きだったのだと今は思う。

 アイドルは偶像である以上、振り翳される無数のエゴイズムをその肉体で受け止めるようなある種健全さを欠いた存在でもあると思うのだが、Snow Manはそのエゴイズムとの向き合い方がみんなちがってみんな強い。
 偶像としての不可侵性が強いメンバーもいれば、マジシャンのように器用なメンバーもいて、たやすく消化されることを拒むことのできるメンバーもいる。皆一貫して強く見えるけれど、強さの種類も表現の方法もそれぞれ違っている。

 そしてそれほど多様な強さと個性を持ちながらも、グループとして見たときに「個性の塊×9」になるわけではなく、どこまでも強くてしなやかな「Snow Manという一個体」になるのがとてつもなく美しいのだ。各々の個性や強みを閃光のように鋭く尖らせつつ、グループという内側に向けられた凹凸のやわらかさと血脈のように通う親愛が、まるで本当の生き物のようですらある。

 しかも彼らの個人仕事への向き合い方を見ていると、鋭さの先で得たものをグループに還元することにあまりにも何の躊躇も無いというか、もどかしいほど献身的にすら見えるときがある。それなのに、まるで痛々しさや悲壮感を感じさせないのが不思議だ。…………と、書いたのだけど、1/20に行われたラウールくんのインスタライブを見ていて思った。きっと彼らの献身には、ひとつも“自己犠牲”が含まれていないからだ。いや、献身という言葉もやっぱり相応しくないかもしれない。彼らは各々の眼前にある光へ手を伸ばすことにあまりにも真摯で懸命で貪欲で、その光に手が触れたとき、誇らしげな笑顔でくるりと仲間たちの方を振り返っているだけなのだ。

 彼らの背後で燃えている炎を視認したときの感情は、初めて『よだかの星』のラストシーンを読んだときの感情に似ていたかもしれない。

 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。

宮沢賢治『よだかの星』

 『よだかの星』は、みにくい鳥として生まれたために周囲から罵られ虐められる「よだか」が主人公の話だ。あまりの苦痛に耐えかねて太陽や星に「あなたのところへ連れていってください」とお願いするが、それすらまるで相手にされず、見捨てられたよだかは自らの力で半ば狂気的に夜空を飛び続ける。そして最後には自らが燃え盛る星になる。

 『よだかの星』は美しくて強くて悲しい物語だと思っているが、Snow Manを悲しい物語とするには彼らはちょっと強すぎるとも思う。そして彼らはよだかのように孤独ではない。
 それでもその強靭さこそが、針山の上でダンスを踊り切ってみせるようなエンターテイナーとしての覚悟と意地が、私には夜空でも晴天でもいっとう輝いて見えるのだ。


阿部亮平さんが好きです

温度的にも恋かもしれない

 私はSnow Manの皆さん一人一人に揺るぎない魅力を感じているのだが、中でも特に阿部亮平さんが好きだ。

 こう書くとなんだか理性的に見えるが、普通に泥酔して泣きながら「亮平おる人間絡みいらん卍(まんじ)」と言って液体になったりもする。
 そのくらい道理の無いオタクだし、そもそもまだ好きになって半年しか経ってないし、私は阿部さんのことが何もわからないのだが……(いや5年経っても10年経ってもわからないとは思うが……)(……)差し当たって、私が今思う阿部さんの好きなところを記しておきたいと思う。や、阿部さんの好きなところも「……全部?♡♡」ではあるんですけど。

偶像は人肌程度の夢を見るか?

 やっぱり今特に語っておきたいのは、阿部さんの「体温のある偶像」っぽいところが好きだ、という話である。

 私は元々〈偶像〉的な人間がめちゃくちゃ好きで、こちら側からは決して侵犯できないような絶対的で揺るぎない存在が大好きなので、阿部さんのあらゆるアイドル性に惚れ惚れする機会が多々ある。その一部として、しばしば「秘密主義」や「リスクマネジメント」という単語で表されがちな部分も阿部さんにはあるのだが、とはいえそれらの言葉を彼に100%当て嵌めるのには少し違和感があったりもする。

 というのも、好きになって半年ちょっとのオタクから見ると、阿部さんは自身の人間らしい部分をひた隠しにしているというよりも、見えている部分すべてを通して“アイドル・阿部亮平”という生き物の頭からつま先までを見せているように感じるからだ。

 偶像とは偶像であるがゆえにこちら側と完全に断絶されている部分があるというか、体温と血液の通っていない部分が少なからずあると思っているのだが、阿部さんの場合はそこにあまりにも人間らしい体温を感じる。偶像だーーー!!!!(紅だーーーー!!!!)と思っているはずなのに、差し出される手があまりにも人間で、その度にちょっと戸惑うくらい驚いてしまう。

 だから本当は、彼は偶像というよりも‟アイドル・Snow Manの阿部亮平”であることにどこまでも誠実で一直線で、いっそ頑固ですらあるほどにひたむきなのかもしれない。そしてその使命を完遂しようとする彼のまなざしの強さを知ったときから、私はずっとまばたきすら出来ずにいるのだ。

目に見えないものを束ねてリボンをかけられる人

 阿部さんが発信されている言葉を見聞きしていつも思うのだが、阿部さんって恐ろしいほどのスムーズさで相手の立場に立てるひとのような気がする。それが目の前にいる相手との1対1の関係性ならまだしも、アイドルとファンという対極の関係においてもなお、いともたやすくかがんで瞳を覗き込んでしまえる。そういう優しさや許容はともすれば距離感の崩壊を引き起こしてしまいかねないのに、何者にも侵犯されない‟阿部亮平“の状態でころっとそれができてしまうのだ。

 瑕疵のない徹頭徹尾のアイドルのままファンの立場に立てること、自身のこともファンのことも一人の人間として勘定し愛を差し向けられること、それぞれの目線まで膝を折ってしゃがみこんで、手を握ってくれること。
 きっとそれができるのは、彼が狂おしいほどにアイドルで、いじらしいほどに人間だからかな、と思う。

 そしてそんな彼だからこそ、私はあの日地獄の底で本当に手を握ってもらったように錯覚して、やわらかくて優しい光で救ってもらったように錯覚して、それでもその不遜過ぎる幻覚を大事に手渡された花束のように抱きとめて、ずっとずっと生きていけるのだ。


 ……あとまあ、私は背がおっきくて可愛い人が大好きなので……(台無し)


アイドルについて語るときに我々の語ること

 改めて3周年、本当にすごい。本当におめでたい。

 たった半年しかオタクをしていない私が「3周年」という数字に様々な感情を差し挟んでしまうほどには、もしかするとアイドルってかなり刹那的な存在なのかもしれない。
 けれど、この刹那の光とぬくもりを灯台の先に煌々と灯して生きていくことだってできるくらい、アイドルとは鮮烈で強烈で圧倒的な存在であることも常々感じている。

 今アイドルのオタクをしていてよく思うのだが、「推しが笑ってるだけで人生頑張れる」というやつは本当に全くもって大げさじゃないのだ。本当に!
 推しがいる生活というのは不思議なもので、好きなひとの言葉だけで、笑顔だけで、もはや存在しているだけで勝手に人生が彩られていく。「仕草や癖 香り 好きなものすべて」、どうしようもなく愛しくてまぶしくて守りたくて、何よりも大切な光になってしまう。


 本当は彼らの言葉や笑顔や存在に「だけ」なんて助詞をつけられないくらい、それらがこの上なく尊いものであることも確かなのだけど……。

 とはいえ、きっと人生の中心に推しを据えることを愚かだと思う人はいくらでもいるだろう。就活とか仕事とか交際とか結婚とか、そういう身の回りに根を張った“暮らし”と推しが持つキラキラとは、あんまり地続きになっていないからだ。

 それでも、私はあのとき本当に本当に苦しかったからわかる。夜中に動画で見た阿部さんの笑顔がものすごく可愛かったから、9人ではしゃいでるのがうるさくて楽しそうで笑っちゃったから、それだけでやっぱりもう少しだけ生きていたいと思ったときの、世界の色づき方を知っている。

 だから私はこれから先、至近距離で星を直視するような無茶なまぶしさを抱えながら、祈りも確信も炎にして、彼らを観測することに必死になっていたいのだ。
 そう思わせてくれたのは、他でもなく彼らが辿ってきた衛星のように遥かな軌跡、そのものだから。


 Snow Man、3周年おめでとうございます。

 あのとき私を救ってくれたヒーロー達の手に、もっともっとたくさんの人が触れられる世界になりますように。


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