あぁ自分って今、全然幸せじゃないんだ

幸せだと思っていたことが、実は幸せじゃなかったのかもしれない。幸福感は睡眠の質に影響を与えるかもしれない。

日記をつけてわかったことがある。自分は定期的に怠くなる。2週間に1回くらいの周期。調子が良くなって、人生の歯車が回り始めたと思ったとたん、なぜか睡眠の質が悪くなる。その結果、好きなことに好きなだけ取り組むエネルギーが奪われる。人生がうまくいかない呪い。

もう少し細かく書く。自分はDTM(パソコン作曲)と動画編集(切り抜き動画)が趣味だ。すごく調子が良いときはDTMをやって、普通のときは動画編集をやる。調子が悪くて、ダウンしているときはYoutubeを見る機械になる。

去年の12月くらいか、Java Silver(プログラミング資格)の勉強がうまくいき始めたタイミングで、夜中息苦しくて起きた。それから朝までずっと寝付けなかった。普通に息は吸えるし、後日の検査で異常は無しと診断された。息苦しいという感情だけある感じ。

今でもこの息苦しさを感じることはある。特に波に乗り始めたタイミングで。趣味の時間が多かった日の夜、交感神経が収まらない感じがして寝付けない。脈もいつもより早くて、息苦しさを感じる。そんなときはだいたい睡眠の質が悪くなっていて、次の日起きると怠い。趣味に取り組む気力が無くなっている。せっかく調子が良かったのに振出しに戻る。そんなときが一番辛い。自分には何もないことが突きつけられている気がする。

毎日有酸素運動をして、血流が良くなってもこの症状は出た。

この文章はほとんど衝動で書いている。書こうとして書いているわけじゃない。これを書いているときの自分は、まぎれもなく自分だ。DTMとか動画編集しているときの自分は、自分じゃないのかもしれない。本来感じるはずの幸せを削って、理想の自分(ほぼ他人)のために、やせ我慢してるだけなのかもしれない。

この息苦しさは自分をどこに連れて行ってくれるんだろう。

大学生になってから一番幸せだった時間は、ママチャリ改造してた時間かもしれない。コロナが治りきってない半ダウンの状態だったのに、取り組めていた。無理をしていた感じはしない。1日があっという間だった気がするし、なんというかその期間の空気感が好きだ。頭がスーッと落ち着く感じがする。

中学生のときはエレキギターを改造したことがある。ホームセンターで、自動で削るやつを借りて、塗装を削る。やすりで整えてから塗装下地を吹きつける。アクリル塗料で塗る。ピックアップ、ピックアップカバー、ダイヤルのカバーとかも、中国製の部品にダウングレードした。

たぶん自分はメカニックになれば、幸せなんじゃね?と思う。改造はお金がかかるから、人生で2回しかできなかった。気づくきっかけが少ないだけで、自分に向いていることは存在するのかもしれない。多分、自分が世界で一番得意なこと、それをするために生まれてきたみたいなことはある。ただ、それが今の時代に存在しているかどうかはわからない。それに出会えなかった人生は、幸せを感じづらいと思う。自分と同じ人間は存在しない。自分は世界中で誰とも被らない存在だ。自分が世界で一番適任者だと言えるほど、向いていることは無きゃおかしい。でもそれに出会いずらいのが現実。

自分は考えることが好き。頭の中のものを形にすることが好き。それらを無理なく達成可能なアクティビティがあるはず。

とはいいつつ、日中は頭を空にして働いて、帰ってきて趣味をやる生活になれば、幸せは案外簡単に手に入るのかもしれない。単純に、今の自分は考えすぎなのかもしれない。単純作業は脳のリソースをあまり奪ってくれない。ある程度、作業にバリエーションがある仕事が、一番頭を空にできるかもしれない。

地獄の単発工場バイトにて

自分「このバイト辛くね?」
同年代の人「え、頭空にできるし、結構良い仕事だと思うよ」

今年の3月くらい

やってる仕事は一緒でも、感じてる感情がまったく違うことに驚いた。単純作業がトラウマ級に辛かったこと、それをあまり苦痛と感じない人種がいることの2つの驚きで、記憶に残っている出来事。

よくよく考えてみれば、メカニックは上の2つの要素を満たしてる。自分の得意を活かせるし、頭を空にすることもできる。故障した車を修理するんだったら、故障原因を考えて、あとは頭を空にして部品を外せばいい。これじゃん。

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