仲直りの作法

(千秋と椎)



 雑草が伸びてきたので、椎が庭に出て草むしりをしている。
 千秋は茶の間で麦茶を飲みながらそれを眺めていた。
 本当は、椎が「庭出てくる」と言った時点で手伝おうとしたのだけれど、細い背中を丸めてせっせと働いている姿がかわいかったのでついじっと観察してしまう。
 今着てるTシャツ、俺のだろ。肘まで隠れるほどオーバーサイズなのに、暑くないんだろうか。
 ぶかぶかのシャツを着ていると、ただでさえ細い体がいっそう華奢に見えた。椎はどれだけ食べさせていても、夏になるとすこしばてて痩せてしまう。もっと食わせないと。
 去年買ってやった麦わら帽子はだいぶ日に焼けて、切りっぱなしの端っこがぼろぼろになってきている。新しい帽子を買ってこよう。でも新しいのを買うにしても、同じのがいいなと思った。椎は麦わら帽子が似合う。帽子から覗くえりあしが、軽いねぐせで跳ねているのが見えた。
 空になったグラスを置き、網戸を開けてやっと外に出る。
「椎、手伝う」
「ありがとう。このあたりだけ抜かないで。あとは全部抜いても平気」
「よし、どっちの陣地が多くなるか勝負しよう」
「だめ。それ、こないだやったとき、千秋が急いだせいで根っこ残ってたから。ちゃんと全部、丁寧に抜いて」
「はい、すみません」
 ぴしゃりと咎められ、千秋は頷いて大人しくしゃがみこむ。しばらく晴れが続いていたが、今朝しばらくぶりの雨が降ったおかげで、雑草は容易に抜けた。
 椎がこの家に来てから、荒れ果てていた庭はすこしずつ息を吹き返している。庭の一部を区切って畑を作ったり、花壇をこしらえたりと、椎は好きなように手をかけて楽しんでいた。
 椎が来る前にも、なんの手入れをせずとも咲く花はあったが、やっぱり花びらのぴんと伸びた感じとか、葉っぱのつやとかが全然違うな、と思う。
 椎は、自分自身にはほとんど無頓着のくせに、植物への丹精はすこしも面倒がらずに怠らない。こんなふうに丁寧に扱われたら、植物のほうでもきっとうれしいだろう。
 

 庭のいちばん端から草むしりをはじめて、半分ほどまで進んだところで椎は顔を上げた。
「喉渇いた」
「俺も。休憩しよう」
「うん」
 シャツの袖で額の汗を拭い、それから椎ははっとしたように「ごめん」と口走る。
「は? なにが?」
「これ、千秋の服借りてたんだった。手に取ったのがたまたまそうで……汗ふいちゃった」
「なんだ」
 千秋は笑った。
「そんなのぜんぜん気にしないよ。でもタオルあったほうがいいな、持ってきてやる」
 立ち上がり、休憩のために麦茶と塩飴を盆に載せ、タオルといっしょに縁側へ持っていく。かき氷用の氷もこっそり仕込んできたので、作業が終わってからのお楽しみにしよう。
 椎は、縁側に腰掛けてぼんやりと外を眺めていた。疲れたのかもしれない。
「水分しっかり取れよー」
 のんびり言いながら、椎の隣に盆を置く。その盆を挟むようにして、千秋も隣に座った。
「うん。どうもありがと」
「いーえ」
 タオルも首にかけてやろうとしたとき、細い首筋にふつふつと汗が浮いていて、なんだか目の毒だと思うほどなまめかしさがあった。思わず頭を寄せて、汗の粒にべろっと舌を這わせた。
「は!?」
 めったに出さない大声を上げた椎が、転がるように逃げる。舐めたところを手のひらで隠し、真っ赤な顔で目を瞠って千秋を見ていた。
「なにしてんの!?」
「いや、なんかうまそうだなと思って……」
「そんなわけないだろ、バカ!」
 声を荒げながら、椎はグラスを掴んでごくごく飲み干す。上下する喉骨をじっと見つめていると、「なに?」と警戒するように言われてしまった。
「そんなびびんなよー」
「びびるし……ふつう、いきなり首舐めるとかありえないから」
「いっつももっとすごいことしてんじゃん」
 とうとう椎は耳まで真っ赤にし、怒って千秋の背中を殴ると無言で立ち上がって作業を再開してしまった。
 

 それから千秋も作業を再開し、庭のほとんどの草がなくなっても、椎はまだむっつりと黙りこくっていた。このままでは本当に夜まで無視され続けてしまう。
 抜いた草を乾燥させるためにまとめて山にしてから、千秋は振り返った。
「椎、さっきはごめんな。いいもん作ってくるから、仲直りしよう」
 うろんな目で振り返り、椎は怪訝そうに「いいものってなに」と聞いてくる。
「ひみつ。もう終わりにするだろ? 手洗って待ってて」
「……わかった」
 不承不承といったようすでうなずいた椎は、作業の切り上げを始める。
 先に家に上がっていた千秋は、縁側に立ってしばらく眺めていた。こうして一段上がったところから俯瞰すると、千秋が草を抜いたところは雑で、椎がやったところは草の根一本残さず、というほど丁寧なのがわかる。
 こりゃ怒られるわけだよな、と反省しながら台所へ向かった。
 
 

 先に作っておいた氷をセットして、ハンドルをゆっくり回す。しょり、と涼しい音がして、うすく細かく削られた氷がふわふわとガラスの器に落ちていった。
 かき氷器はレトロなかたちをしているが、買ったのはつい先日のことだった。用事の前の暇つぶしに寄ったロフトで目にとまり、思わず衝動買いしたものだ。
 一人暮らしなら絶対に買わなかっただろうが、いまは椎と暮らしている。毎年、夏になるたびふたりで食べたらきっと楽しいと思った。
 ふたり分の氷を削るのはかなり骨の折れる作業で、電動のほうが良かったかなといまさら後悔する。ぐるぐるハンドルを回していると、ふいに澄んだ鈴の音が聞こえてきた。
 それからまもなく、やっと削り終えた。いちご味のシロップと練乳をたっぷりかけて茶の間へ運ぶ。
 椎は、縁側に腰掛けて外を眺めていた。昼間と同じ光景に目を細め、ちゃぶ台の上にかき氷を置く。
「椎、いいもの」
「かき氷? どうしたの」
「機械、てか手動だけど、作るやつ買った。いちごでよかった?」
「いちごがいちばん好き」
「俺も」
「ふたり分削ってくれたんだ。大変だったんじゃないの? ありがとう」
「どういたしまして。許してくれた?」
「うん」
 椎は頬をほころばせて頷いたのでほっとした。本当にうれしいときにしか椎は笑わない。ふだん表情に乏しい椎がわずかでも笑うと、千秋は満たされた気分になる。
「買ってよかったな」
 とつぶやくと、また鈴の音が聞こえた。なんだかとても懐かしいような、と視線を上げると、向かいで椎がじっと千秋を見つめていた。
「なした?」
「気付かないんだなーと思って」
「え?」
 言われてようやく視線をさまよわせ、窓辺にかけられた風鈴を見つけた。青銅で出来た古いもので、そういえば子どもの頃は毎年吊していたなと思い出す。
「なつかし……どこにあった?」
「そこの戸棚の中。ごめん、勝手に」
「いや全然。知らなかった、すげー綺麗な音だなあ」
「うん。見つけて、いいなって思って出したんだ。磨いてから飾ろうと思ってたから遅くなったけど」
「いきなり夏っぽくなったな」
 ずっと前から夏だったはずなのに、かき氷と風鈴の音色が合わさってはじめて実感として沸いてきた。幼い頃の夏休み、祖父母がまだこの家にいるときに遊びに来たことを思い出す。
 そうだ、あの頃は毎年、祖母が風鈴を吊していた。
「来年も飾るね」
「来年はもっと早めに夏にしよう」
 溶け出してきたかき氷を崩しながらそう話していると、椎が急にスプーンを止めた。かと思えば、おもむろに舌を出す。いちごのシロップに真っ赤に染まった小さい舌が、ちらちらとなまめかしく動く。
「赤くなってた?」
 すぐに引っ込めて、子どもっぽい顔で首を傾げた。ふだんは大人しいくせに、椎はとつぜんこういう行動をとる。
「……なってる。てか、そういうとこだぞ」
「え?」
 なにが、と開こうとしたんだろう唇を食むようにふさぐと、怒ったように鼻を鳴らした。
 せっかく直ったばかりの機嫌がまた悪くなるかも、と危惧したのは一瞬で、すぐに冷たい舌が絡まってくる。
 いちごとも練乳とも違う甘さを味わうあいだも、涼しい音が響いていた。

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